第4章『始まりはいつも雨』
今日の洋介はいつもと違った
いつもの休日なら朝10時までは寝ているが今日は6時に起きた。ってゆうか、昨日から一睡もしてなかった。
今日のシミュレーションを一晩中続け、全く眠れなかったのである。
いつもなら起きてからテキトーにシャワーを浴びる。しかし今日は朝から風呂を洗い、ゆっくり湯船に浸かった。そして、いつもより念入りに体を流す。
普段は使わないトリートメント、普段は使わない整髪料を使い、いつもより念入りにヒゲを剃った。
鏡を覗き込む
…よし、鼻毛も出てないな
今日は特別な日…になる…といいな
『今日の天気は全国的に晴れ。初冬の朝の寒さもなく暖かな陽気に包まれるでしょう。洗濯指数は100。先月から40日連続で雨は降らず、ダムの貯水率が38.2%と、平年の6割程度にとどまっていることから、本日午前9時から10%の取水制限が始まります…』
朝の天気予報がそう伝えている
…ほんとに晴れるのか?
洋介には彼女がいる。名前は加奈子。来月のクリスマスで付き合ってちょうど丸4年が経つ。洋介も来年には30歳。仕事も順調。コツコツ貯めた貯金も目標金額達成。加奈子も来年には28歳になる。お互い、今日まで真剣に付き合ってきた…つもりだ。今日、プロポーズをしようと思う。
プロポーズをしようと決めた日から毎日シミュレーションしてきた。多分、加奈子は受けてくれる…と思う。加奈子も同じ考えのはず…自信はあるが、やはり….「そんなつもりはなかったの」とか言われたら…いやっ、そんなはずはない…
などと考えれば考えるほど眠れなくなり、今朝の状態に至った。
アドレナリンが出っぱなしなのか、全く眠くはない
今日のデートの予定。
10時に車で迎えに行く
そのままショッピングに出かけ、ちょっとオシャレな人気店でランチ。すでに予約は取ってある。ランチの後、湖へドライブ。場所は加奈子と初めて出会った湖畔にあるカフェ。そこのテラスでプロポーズしようと決めた
服装には迷った。いつもの服装にするべきか、かしこまってスーツで行くべきか。
やはりスーツにしよう。指輪は買ってある。忘れてはいけない。既にスーツのポケットにいれてある。昨晩から何度も何度もスーツのポケットにちゃんと入っているか確かめたから大丈夫だ。車のガソリンも満タンにしてある。
あと、気になるとすれば…雨である
洋介は雨男である。
もし、雨男にも「良い雨男」と「悪い雨男」がいるとするなら、洋介は間違いなく「悪い雨男」である
・旅行やイベントはだいたい雨が降る
・家を出たときは晴れていても、いつの間にか曇ってきて雨が降り出す
・ってか、朝から雨だ
・コンビニでビニール傘を買う頻度が他人より多い
・天気予報で晴れと言われても信じられない
・修学旅行の写真に晴れ間が写っていない
・受験や運動会のときは雨だった
・夏に旅行すると台風の進路と自分の行先が重なる
・雨が降ると「お前のせいだ」「お祓い行け」などとしょっちゅう言われる
・洗車をした翌日は必ず雨が降る
・そもそも生まれた日も土砂降り
…もう、雨を呼べる気さえする…
昔から雨が降るとロクなことがなかった。人生の節目節目では必ず雨が降り、その結果はいつも悲しい結果ばかりだ。
悲、流、止、無、別、死…
結末を漢字にするならこのような漢字が並ぶ
…もし、今日も雨が降るなら…
悲しい結末が待っているに違いない
だから、今日だけは降らないでほしい
加奈子との待ち合わせ時間が近付いてきた
ピシッとアイロンをかけたスーツに着替え、ポケットの中の指輪を確認すると車に向かった。
外に出て、空を見上げた
空の真ん中にはなにやら不思議な形の雲がひとつポツンと浮かんでいたが、概ね快晴
「頼むぞ、雨降らすなよ」
空を見上げながら、洋介はそう言うと車に乗り込み、アクセルを踏んだ。
4年前の夏の終わりの頃だった
「おい、西沢。明日の結婚式の二次会、行けるんだろ?」
会社の昼休み、同期の新谷が缶コーヒーを飲みながら話しかけてきた。
新谷と共通の友人であり、社会人になってからの付き合いの…まぁぶっちゃけ、さほど仲良くはない友人の結婚式の二次会であった。それほど乗り気でもなかったが、誘われたものを無下に断るわけにもいかない。
「もちろん大丈夫だ。あの湖畔のカフェでやるんだろ?」
近くの湖にちょっと小洒落たカフェがあった。綺麗な景色と美味しい料理が自慢のイタリアンの店だ。
「店を貸し切っての50人程のパーティらしいぞ。たまには気晴らしにパーっと楽しもうぜ」
その年の春、洋介は大学時代から付き合っていた彼女と別れた。雨の中の大失恋だった。未だ心の傷は癒えていなかった
「ぼちぼち楽しむよ」
「まぁあまり深く考えないで気楽にいこうぜ。じゃまた明日な」
翌日、午後4時から二次会が始まった。
壇上では友人たちからのスピーチや歌、ダンスなどが次々と行われている
みんなから祝福されて、幸せそうな新郎新婦。
もちろん友人の結婚は喜ばしい。祝福してはいるが、あまりに幸せそうな二人を見ると、何故か心が苦しい。洋介にも少し前には一緒に結婚を夢見た女性がいたのだから…
「ふーっ」
ほとんどが知らない人。たいして盛り上がるでもなく、たいして楽しくもない結婚式の二次会…しかも洋介は下戸である
洋介は途中で席を離れると一人でテラスに向かい、そこにあるテーブルに座った
先刻から雨が降っていた
雨の中、テラスから眺める景色はまんざらでもなかった。豊かな緑に囲まれた庭。中央には小さな池があり、小さな噴水がある。池の周りには木の根っこでできたテーブルとガーデンベンチ。決して派手ではない程度の花が咲いている。庭全体が優しい光でライトアップされ、やや幻想的な風景となっている。その向こうには静かな湖畔が広がる。
都会の喧騒からはなれ、パラパラと降る雨が新緑の上で跳ねる音だけが聞こえる。昼間はやかましいセミの声もなく、激しくではなく、静かに降る雨音は洋介の心を落ち着かせてくれた。
「すみません、ここ空いてますか?」
一人の女性が洋介に聞いてきた
洋介の座ってるテーブルのもう一つの椅子が空いている
あいにくの雨の為、ほかのテーブルはびしょ濡れであり、テラスにはここ以外に座るところがなかった
「どうぞ」
年の頃は洋介と同じか、少し下
小柄で、綺麗とゆうよりかわいい感じの女性である。大きな目と歯並びのよい八重歯が印象的だ
「ありがとうございます」
女性は椅子に座るとふーっと息をついた
ネイビーのワンピースに黒のボレロ
服装も控えめな着こなしであり、やらしい派手さがなく好印象である
テラスには二人以外には誰もいない
「こういう服とか、こういう場はちょっと苦手です」
女性ははにかむような笑顔でそう言った
「あっ、わかる。俺も同じです」
「ふふっ」
女性は嬉しそうに笑った
「あんまり知り合いとかいないし、お酒も飲めないんです。でも、幸せそうな二人を見てるとなんだか羨ましいです」
…この人も何かに傷ついている
そんな気がした
「うん、羨ましい。二人とも幸せになるといいね」
雨は一向に止む気配はなく、相変わらず降り続いている。
「雨、降り続いてるね」
空を見上げながら洋介が言った
「はい。最近よく降りますね」
「結婚式当日に雨だとせっかくの衣装が汚れたりして嫌だな」
「そうですね。でもいい事だってありますよ」
「えっ、いい事なんかある?」
「はい。きっと今日という日が『そういえば結婚式は雨だったね〜』とかで一生忘れられない日になるんじゃないかな」
…そんな考え方もあるか
洋介は笑った
「俺はさ、雨の日はあまりいい思い出がなくて…雨が降るといつもロクなことがないんだ。雨は嫌いです」
「あらっ、私は雨の日、好きですよ」
「どうして?」
「昔から人生の節目には雨が降るんです。私が生まれた日も雨だったみたいだし…雨の日はだいたいいつもいい結果にしかならなかったから」
「俺は逆だ。雨が降ったら何か不幸な出来事がよくあって…その度に『あぁ、俺ってダメだな』って凹みます。究極の雨男だしね」
「ダメなんかじゃないですよ。雨男にも雨男の使命みたいなのがきっとあって…雨男を必要としている人だって沢山います」
…必要とされる雨男
いつも雨で嫌な思いばかりしてきたから、そんな事は思いもしなかった
「それに…雨は悪い事ばかりを連れてきたりはしないと思います。あの花だってそうですよ」
と女性は庭に咲いている花を見て言った
「晴れの日があって…雨の日があって…だからあんなに綺麗に咲いたんじゃないかな。私、ふと思うんです。人間も同じなんじゃないかなって。人間にも嬉しい日と悲しい日があって、だんだん成長していくんじゃないかなって」
心の中を見透かされたような気がした。
洋介がこの女性に感じたように、この女性も洋介の中に悲しみや迷いを見たのかもしれない
洋介に向かって言ったのか、自分自身に言い聞かせたのか…庭を見つめる女性の目には強い決意のような確固たる意志のような、未来を見つめるような強さがあった
そうだ、嬉しい出来事も悲しい出来事も…どんな事だって成長するために必要な出来事なんだ
フッと洋介の体から力が抜けていくのを感じた
落ち着かせてくれていたのは、この庭だけのせいではない。今、洋介の目の前にいる女性こそが洋介を穏やかな気持ちにさせていた事に気付いた。
それからしばらく話した。
好きな音楽、好きな映画、好きなスポーツ、好きな食べ物、嫌いな芸能人、美術鑑賞の趣味や犬派か猫派か、仕事観や倫理観…
二人の趣味、嗜好、考え方は驚くほどよく似ていた
始めの「雨の話」以外はほとんどの部分で気が合った。
「あらっ、もうこんな時間」
気付けば1時間ちょっとの時間が経過していた。
「…そろそろ会場に戻りますか?」
女性は少しうつむき加減で言った
…ダメだ、今、ここでこの人を手離してはいけない
洋介の頭も心もそう言っている
「あ、あの…もう少し…話しませんか?」
思わず声に出ていた
女性は顔を上げると少し驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔を見せた
「はいっ♪」
そう言って嬉しそうに笑った
『…名前は?』
「西沢洋介です」
「植村加奈子です」
こうして加奈子との交際がスタートした
この日の雨は洋介にしては珍しく、いい雨の思い出となった
いやっ、その思い出も今日の結果次第では嫌な思い出に変わるかもしれない
待ち合わせ場所には5分前に到着
加奈子は既に待っていた
洋介も加奈子もいつも5分前には行動をする
だったら初めから9時55分に待ち合わせにすればいいのに…
と、いつも洋介は思う
加奈子は洋介の車の助手席に乗り込んだ
「おはよう」
今日はいつもと違い、少し緊張する
加奈子にバレないようにポケットの中の指輪を再確認した
「おはよう。ふふっ」
加奈子は笑った
「えっ?どうしたの?スーツ、変かな?」
「ううん、なんでもないの。スーツ似合ってるわよ」
デートのプラン通り
少し前に出来たショッピングモールへ向かい、服や生活雑貨を見て回る
「この服、素敵。あらっ高っ!」
「このマグカップ、かわいいわね」
「ねぇ、見て。お洒落な写真立て。いいわね」
楽しげにはしゃぐ加奈子。
「ああっ、いいね。買っちゃえば?」
気もそぞろな洋介を尻目に加奈子はショッピングを楽しんでいる
洋介はさりげなく家具コーナーへ立ち寄ってみたり、家電を見たりし、努めてプロポーズの雰囲気作りをしていた
「ふふっ」
加奈子は笑っている
ショッピングも終わり、人気のランチを食べに向かった
昼時には店の前には長蛇の列が入店を待っていた
「あっ、予約していた西沢です」
並んでいる客をよそ目に二人はすんなりランチタイムとなった
「あらっ、珍しい。予約してたんだ」
加奈子も驚いていた
…ここまでは順調…
店の窓から空を見る
大丈夫、雨は降りそうにない
「やっぱ、人気あるだけあって美味しいわね」
加奈子は美味しそうにパスタを食べている
「そうだね」
しかし、洋介はそんな事はどうでもよく、食べたもの味なんか全く覚えていない
…次は
湖畔のカフェのテラス
緊張が高まる
「ふふっ」
加奈子は笑っている
ランチを終え、車に乗り込むと、湖へドライブ
湖周りにある公園は絶好のデートスポットである。湖の美しさもあるが、近くにはダムもあり、また紅葉のシーズンでもある為、行楽客で賑わっている。
公園駐車場に車を止め、少し散歩
あいにくの日照り続きの為、ダムの水位は低く、多少残念な風景である
「雨、降ればいいのにね」
加奈子はそう言った
…いやいや!今日はダメだ!今日は雨は降らないでくれ!せめて明日以降に降ってほしい
空を見上げると南の空に大きな雲が出ていた
まぁ、雨降りまではいきそうにはないが…
再び車に乗り込み、いよいよ湖畔のカフェへ
「あらっ、なんか懐かしわね」
加奈子と出会ったあの日以来の来店である
「洋介と初めて出会ったのはここだったわね」
テラスにあるあの時のテーブルに座ると加奈子がそう言った
「うん、懐かしな。あれから4年か」
洋介は再びポケットの中の指輪の存在を確認した
いけ、俺!頑張れ、洋介!
洋介はテーブルから立ち上がった
「4年間、いろいろあったけど、いつもありがとう」
「なによ、改まって」
加奈子は笑っている
「4年間、真剣に加奈子の事を考え、真剣にお付き合いさせていただきました。これからもずっと一緒にいたくて…その…あの…」
ポケットの中の指輪の小箱をぐっと握りしめる
ちらっと空を見上げた
なにやら暗い
かすかに雨の匂いを感じた
洋介は指輪の小箱をポケットから取り出すとテーブルの上に置いた
「家族になりませんか。絶対に幸せにします。結婚してください」
と同時に、先程、空の真ん中あたりでポツンと浮かんでいた雲が、南にあった大きな雲と合流。大きな雨雲となり、突然雨が降ってきた
「ああっ…雨だ…なんでだよ…」
まさかの奇跡のようなあり得ないタイミングでの降雨
…なんでこのタイミングなんだよ
洋介は全否定されたような気がして、下を向いたまま顔を上げれなかった
雨音はますます激しくなってきた
ほんの少しの時間…長く短い沈黙が流れた
「洋介、ありがとう」
加奈子は泣き声で言った
洋介は顔を上げた
「私、洋介からそう言われるのを待ってたんだよ」
加奈子の頬を涙が伝う
「ほんとに私なんかでいいの?」
…加奈子以外には考えられない
「じゃぁ、OKって事?」
「もちろん!こちらこそよろしくお願いします」
泣きながら、満面の笑みを浮かべ、加奈子はペコリと頭を下げた
洋介の全身から力が抜けた
「俺さ、昔言った事あるよね。雨が降るといつも悪い事ばかり起きるんだ。何故このタイミングで雨なんだ、と。だから、今もダメかと思ってた」
「そんな訳ないよ。断る理由なんかない。私にとって雨は幸運の証なんだからね。それにさ…」
加奈子は空を見上げた
「ねぇ洋介、知ってる?雨雲を越えたら、向こう側はいつも青空なんだよ」
加奈子は笑った
世界が輝いて見えた
その笑顔を一生見ていたい
洋介は幸せにする事を改めて誓った
雨はますます激しくなってきた
しかし、洋介はもう雨は嫌いではなくなっていた
…雨は不幸も呼ぶけど、幸運も運んでくる
雨は終わりをもたらすけれど、同時に始まりももたらす
終わりは始まり、始まりは終わり。
結局、同じ意味なんだ
…雨は悪い事ばかりじゃない
洋介の雨降りの結果の漢字
悲、流、止、無、別、死
そこに新たに「始」の漢字が加わった
もぉ大丈夫…
…よかった、ほんとによかった
ここ最近の緊張感から開放され、洋介はそのまま椅子にへたりこんだ
「ねぇ、洋介。帰ったらさ、レイトショーでも観に行かない?どうしても観たい映画があるんだ。ねぇ、洋介?洋介?」
ここ数日眠っていなかった洋介
疲れが溜まっていたのだろう
洋介は眠ってしまっていた
「ふふっ」
加奈子は笑った
今日、プロポーズされると思ったよ
いつもとなんか違うし
スーツ着てるし
整髪料も違うし
さりげなく家具を見に行ったり
ランチ予約したり
ポケットばかり気にしてたり
多分、何日も前から計画してたんだろうな
で、洋介の事だから何日も何日も考えて、きっと昨日は眠ってないんだろうな
ほんと、純粋でいい人
ウソもつけない
きっと、ずっと大切にしてくれるに違いない
洋介となら幸せな家庭、幸せな家族になれると思う
雨は不幸なんか連れてこない
私が生まれた日も雨
洋介が生まれた日も雨だったよね
洋介と出会った日も雨
プロポーズしてくれた日も雨
そう
始まりいつも雨
私は雨、好きだよ
雨男、大好きだよ
洋介、これからもずっと、よろしくお願いします
加奈子は空を見上げた。
雨は相変わらず降り続いている
「あらっ?」
雲の切れ間から赤と青の何かが光った気がした
テーブルの上には指輪の入った小箱が置いてある
加奈子は小箱を開けた
小さいながらも上品なダイヤがちりばめられた指輪があった
加奈子は小箱から指輪を取り出すと、左手薬指にそっとはめた