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「………………」
墓守は嘆息した。彼の憂鬱の原因は、目の前に建つ真新しい墓だ。先程棺の埋葬が済んだ所で、盛り土は掘り返されたばかりの色をしているし、雑草も生えていない。故人を悼むべく飾られた白い百合の花がそっと風邪に揺れていた。……これだけであれば何の問題もないのだ。
しかしこの墓に立つ墓石は__良く言えば個性的、悪く言えば華美、悪趣味、傍迷惑の三拍子である。
自分が将来埋まる墓については、遅かれ早かれ誰もが一度は考える筈だ。各々の経済事情や好みもあるだろうし、事前に家族と相談しておくべき事柄だろう。でなければ、故人の意志と遺族の意地の間で悲しい摩擦が生じることにもなりかねない。
今回の場合がそれに該当するのかどうか、それは部外者である墓守には分からない。しかしこの墓石は、物悲しい墓地よりも街の華やかな高級ホテルのロビーにでも飾られている方が余程自然に違いない。
恐らく故人の勇姿を彫ったと思しきその石は周りの墓石よりも幾分大きく、また本来であれば墓石にはあまり使われない高級な石材を使っている為に見るからに煌びやかである。しかし墓地の雰囲気には全くそぐわない。いっそ清々しい程合っていないのが一周回って腹筋に悪い。
「……しかもこのポーズは何なんだ。己に不可能はないとでも言いたいのか。それにしては馬はいないが」
墓守は憎々しげに呻いた。しかしこの場に更に馬の彫刻まで鎮座していたならば、余計に邪魔で仕方なかっただろう。
「大体この手の奴は最初は見栄を張って立派な墓を建てるが、その後は墓参りにも中々来ないものだと決まっている。第一こんな墓石じゃ手入れも面倒だろうに……」
墓守は知っている。この墓石の素材に使われている石は確かに美しいが劣化しやすいということをだ。雨風にさらされるのに弱く、手入れに手間がかかる。専ら屋内で展示される彫刻に向いているものなのだが。
「しかもあの成金喪主、墓の手入れは俺に任せるだの何だの偉そうに」
そこまでやるのは俺の仕事じゃない、と呟いて立ち上がった。気付けば辺りはすっかり茜色に沈んでいる。そろそろ今日の仕事を終えても良い頃合いだった。
墓地の傍には年代を感じる風情の教会が在って、今日も隙間風に揺れていた。一見して廃墟間近の様ではあるのだが、これでもきちんと教会の役割は果たしている……らしい。そしてその古めかしい教会の、裏庭の片隅に建つ小屋が墓守の住み家だ。
元はと言えば教会や墓地の草木の手入れをする庭師が代々住んでいた小屋らしいが、今は専属の庭師もおらず、すっかり物置きとなっていたのを譲り受けた形で済んでいる。お世辞にも立派な家とは言い難いが、墓守はそれなりにここでの暮らしを気に入っていた。
さて、そんな墓守が仕事を終えて、この小屋に帰ってきた時のことである。
「……ただい」
「お帰り。邪魔してるよ坊や」
扉を開けた瞬間固まった墓守を尻目に、薄暗い安楽椅子でギシギシと揺れていた老婆が二ィと笑いかけた。さながら年老いた悪い妖精か、伝承に聞く東洋の妖怪のイメージが頭を過ったのも無理はないだろう。
「……シスター・グレイス。どうして俺の部屋に」
「どうしても何も、お前に用があるからに決まってるだろう」
さも当然そうなしたり顔が余計に不機嫌を煽ってくる。
「だとしても勝手に部屋に入られるのは迷惑だし失礼だ」
「何だい、いかにも思春期の息子が母親に部屋の掃除をされるのを嫌がる様な言いぐさは。もうそんな歳じゃないだろう。それとも何か疚しいことがあるのかい?」
「そういう問題じゃない。とにかく俺は疲れてる。とっとと出て行ってくれないか」
「お待ちよ。あたしは用があると言ったろう。それにお前が苛々してるのはあれだね、今日建ったばかりの墓か」
あたしも流石にあれはどうかと思うねぇ……と老婆が皮肉気に口元を吊り上げる。
「全くだ。幾ら上流階級用の敷地とはいえ、あんな悪趣味で成金趣味の墓は初めてだぞ」
「いい迷惑だと言いたいんだろう、それには同感さ。やれやれ、何のために墓があるのかを全然分かってないね」
天井から下がっている燭台に火を灯しながら墓守は息を零した。手早く外套を脱ぎながら老シスターに本題を急かす。
「シスター、いい加減用件を話してくれないか」
「分かった分かった。実はね、ちょいとお前に頼みがあるんだよ」
「頼み?」
「この黒猫をね、預かって育てて欲しいんだよ」
「黒猫?」
墓守が訝しげに老婆を見遣ると、彼女の膝の上、黒いくたびれたシスター服に紛れて同じく小さな黒い毛玉が乗っていた。一定の間隔で動いているのを見るとどうやら眠っているらしい。
「しかし、何故急に猫なんて……」
「この子はまあ、訳ありでね。なんたって次の妖精猫の王なのさ。だから立派に育つ様に、お前に託したいんだよ」