3回:禿だった
「待て、斎村」
恐ぁーい声で呼ばれたバンダナ少年は、椅子へ降ろした目線を担任へ持ち上げる。
「何ですか」
「そのバンダナは校則違反だ。外せ」
「先日、壇ノ浦先生がこれでいいと仰いました」
その名前に、野球部志望全員が反応した。壇ノ浦。自分達が崇めるべき野球部の監督である。
こいつも特待生か?と一瞬朝比奈は考えた。しかし成田から聞いた話では、斎村という名前は出てこなかった。
「関係ない。外せ」
「嫌です」
「外すんだ」
「嫌です」
「分かった。なら、先生が外してやる!」
頑なにバンダナを外さないバンダナ少年に対し、ガタイの良い担任教師は実力行使に移る。
「やめて下さい!やめろ、やめて!」
奪われようとしているのはたかがバンダナ一つなのに、まるで強姦魔に抵抗する少女のように、不自然なほど頑なに拒絶するバンダナ少年。そして170センチ超の体格に相応しい力で、担任との取っ組み合いは拮抗状態となった。
いつ野次馬が緊張に耐え切れず、煽りを入れてしまってもおかしくないほどの空気になってしまった。
「……ん?」
いつの間にか、クラスメイト全員が朝比奈に目くばせしていた。争いを止めて欲しいらしい。
確かに、この一件を止めるのはやはりガタイの良い朝比奈しかいないのである。
「し、仕方ねぇな……。先生と、え~と、君も落ち着いて下さい」
そう言って、両者の手を掴み距離を置かせようとする。そしてバンダナ少年の手の力が緩んだ瞬間であった。その隙をついて担任教師は、剣道で言う引き面を打つ様にバンダナを奪い取った。
彼が剣道部の顧問であった事が朝比奈とバンダナ男の誤算であった。
「あ……」
教師としての面子を保ち、一瞬勝ち誇った顔を浮かべた担任と、朝比奈の顔は驚きを伴って硬直する。あると予想したものが無い時、人間の頭はフリーズする。
坊主頭にしているバンダナ少年の頭頂部の毛髪は、所々が円形に抜け落ちていた。
「何あれ……」
「こ、こりゃ酷い……」
「え、ちょっとヤバイって……」
考えてみれば、予測できたことだった。雰囲気、体格から不良と決めつけてしまったクラスの雰囲気と、担任の早とちりが原因であった。
そう、彼はむしろ弱者なのである。
「う、うぅ……」
そして数拍おいて、クラス中にバンダナ少年の泣き声が響いた。その顔には悲しみが、その声には糾弾が、その頭にはどうしようもない現実が現れていた。
朝比奈は後悔した。彼は、きっと中学の三年間を虐められて過ごしてきたのだ。そして誰も知る者のいない高校で心機一転、新しい学校生活を送るためにはその頭頂部は隠さざるを得なかった。なのに、クラスがその心中を察せなかったばかりに、彼の高校生活にはまたしても、陰が差してしまったのだ。
「うぅうぇぇん……えっ、ひっく」
栄光なる門出を、心無い他者に蹂躙される。自分に置き換えれば、どれほどに悲しい事かはわかる。
とりあえずこの騒動で、残りのクラスメイトの自己紹介時間は消滅した。
******
担任は壇ノ浦監督に話を聞きに行った後に、廊下にバンダナ少年を呼び出し、約十分をかけて謝罪した。
その後、同じく申し訳なく感じた朝比奈は、バンダナ少年に話しかける。
「やぁ、さっきはその……済まなかった。ごめんな。え~と……」
「……斎村。斎村芯太郎」
真っ赤な眼を見られまいとして視線を背けながら、バンダナ少年……もとい芯太郎は再び名を名乗った。
「そ、そうか。よろしくな、芯太郎」
距離を置くことも出来た。しかし物理的な机の距離が近いという事もあって、朝比奈は芯太郎と仲良くすることはもはや義務である、と感じた。
「よろしく、朝比奈君」
ファーストネームで呼べば一気に親密になると考えたのだが、芯太郎には余所余所しさが見られる。この距離を出来るだけ早く埋めて安心させてやろう。中学時代にキャプテンを経験している朝比奈には、そんな親心が芽生えた。
「芯太郎は野球部に入りたいのか?」
「そうだけど?」
何か文句でもあるのか。そんな敵意を有した表情で芯太郎は睨む。
「いや、さっき先生の名前を知ってただろ」
「壇ノ浦先生?」
「ああ。何で知ってたんだ?特待生じゃないのに」
朝比奈はしまった、と思った。これじゃまるで特待生である事をひけらかしているみたいではないか。芯太郎からしてみればただの自慢にしか聞こえない。
「特待生じゃなくても、野球部の監督の名前ぐらい知ってるよ。さっき校門で挨拶もした」
「へぇ」
しかしバンダナ着用の許可を担任でもない教師が出していいわけがない。朝比奈はその辺りの事情を聴きたかったが、傷口を抉る可能性が高いため流石に自重した。
「えっと、ポジションは?」
「外野」
「レフト?センター?ライト?」
「決まってない。レフトが多い」
「へぇ。俺はショート」
ショートは守備の花形。朝比奈はこの役割の多いポジションに誇りを持っていた。
「じゃあ上手いんだね。さすが特待生」
「いやぁ、それほどじゃないよ」
仮に嫌味な話題であっても、徐々に芯太郎が乗って来てくれることが朝比奈は嬉しかった。中学時代もこうやって内気なチームメイトとの壁を壊してきたものだ。
もしかしたら、自分の影に隠れさせることになるかもしれない。それでもこの少年には少しでも高校生活が楽しかったと最後には言って欲しい。
朝比奈は出来の悪い弟を持った兄の様な気持ちになった(因みに、彼に兄弟はいない)。例え実力差が開いていても、ずっと五分と五分の友達でいてあげよう。そう思わせる男であった。