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左中間の悪魔 ―呪われた力で目指す甲子園―  作者: 大培燕
二年夏 ――戦犯の章――
43/129

41回:あーっ!? 誰もいない!

「壇ノ浦先生……何という事を!」


 打席に向かう芯太郎は、息が止まりそうだった。


 何という事をしてくれるのか。

 ただの満塁じゃない。タッチアップでの得点まで放棄して満塁で回した。

 敬遠を避けるために。もしも、もしもここで打てなければ。

 打てれば明日も日常。打てなければ囚人の様な非日常。

 

「振りたくない……」


 打席に向かう足には、枷が付けられた。

 引き摺りながらやっとの事で打席に辿り着く。


「ぶつけない為に、上げるしかない。上れ……」

「プレイ!」


 気合いの入った声でプレイがかかる。

 手が汗でベトベトだ。ロージンを取りに戻りたいが、最上はもう振りかぶっている。


 振りたくない。振らなければ。

 筋肉が動き出す。意識した軌道よりもずっと上を動き出す。


 ボールが放られる。

 ゆっくり、ゆっくりとボールがこちらへ向かって進む。

 バットもゆっくり、ゆっくりと動く。

 意識した軌道よりもわずかに上を。そのずれがだんだんと大きくなる。

 制御が効かない。筋肉がいう事を聞かない。

 ボールが止まって見えるほどの緊張。


 打たなければならないプレッシャー。それに被さる『記憶から来るプレッシャー』。

 この両輪が、イップスを引き起こす。


 急速に汗が引いて行く。グリップにピタリと張り付いた手の皮が、握力を最大限に引き出した。

 いつもの芯太郎が、出来なくなる。『打てない芯太郎』が、いなくなる。

 そして体に振動が伝わり……。


あがれぇぇーッ!」


 視界から白球が消える。


                      ******


「打った!」


 ナイン全員がベンチから乗り出す。


「回れ!三つ行け、三つ!」


 放物線を描く打球は間違いなく長打コース。成田も伊集院も高坂も、腕をグルグルと回している。隣のチームメイトを殴っている形になっている事にも気づかず、宗教の儀式の様に回し続けている。


「あ~これって……」


 座っていた真柄も立ち上がり、茫然としている朝比奈の横に立つ。


「いっちゃう~?」

「あ……」


 クッションボールを待つレフトの頭上を遥かに超えて、カシン、とフェンスの上にバウンドした。

 そしてそのボールは、塀の向こう側へと消えていく。

 審判が理解するのにも三秒を要した。そして頭上でグルグルと手を回し始めた時、球場全体が時間差で認識を完了する。


「入ったぁ!」

「逆転満塁ホームラン!」

「すごいすごいすご~い!」


 その場に白目を剥きそうな勢いでへたり込んでいる芯太郎に、祝福の声援が飛ぶ。

 田口が、片岡が、そして里見が返って来たところでようやく立ち上がり、歩き出す。


「何者なんだお前はーーーッ!?」


 最上が帽子を地面に叩きつけて叫び、一塁手も殺気を放っている。逸れもその筈、芯太郎は徒歩でベースを回っているのだから。ここまでゆっくり進むと、流石に侮辱行為と思われても仕方がない。しかしそれほどに消耗したのだ。

 不可能なはずのスイングをしたのだ。意思に反して体が動いたが故の消耗。

 夢遊病の様に本塁に返って来る芯太郎。ベンチでナインが迎え入れた。


「朝比奈」


 壇ノ浦監督が朝比奈に語り掛ける。


「お前の打率は」

「さ、三割五分ですが」

「打率はな。その打者の輝度値だ。輝きだ」


 その言葉の要領を、朝比奈は得なかった。


「ランナー三塁での斎村は七割五分」


 何を言いたいかが分かった。


「殊その状況に置いて。全ての打者が、アイツの前ではゴミだ」


 真柄が最終回のマウンドで躍動する。しかし疲労は明らかな進行を見せていた。

 先頭バッターは最上。初球、甘く入ったアウトコースのボールをレフト前に運ばれた。


 『芯太郎』がボールを取り、『朝比奈』へ投げ返す。

 試合には影響なかったが、朝比奈は、ボールを掴みそこなった。


「しっかり」


 芯太郎の声がグサリと刺さる。

 真柄にボールを投げ返す朝比奈は、先ほどの壇ノ浦の言葉が頭から離れない。

 俺が必要だから特待生にしたのではないのか。

 俺に頼るためにレギュラーにしたのではないのか。

 四番バッターが送りバントを決める。ワンナウト二塁。


「五番、ファースト、馬原……君」


 外野が前進守備を敷く。その間に朝比奈は雑念を入れる。

 そう、芯太郎だってエラーぐらいするだろう。例えばこの場面でレフト前ヒットを後逸して、ランニングホームランなんかになってみろ。一転、あいつは戦犯だ。


 真柄のストレートがまたも甘く入る。インコースにヤマを張っていた五番・馬原の打球は鋭く三遊間を抜いた。

 しかし芯太郎は後逸しなかった。憎たらしいほど澄ました表情で、当然の様にボールを捌く。

 朝比奈は芯太郎の首を絞めてやりたかった。


「六番、セカンド、井上……君」


 内野は前進守備。当然第一にスクイズ警戒である。

 同点になれば、一気に高津の流れに傾く。逆転サヨナラ勝ちまで有り得るのだ。

 朝比奈は思いつく。


 そうだ。この場面で最後のプレーを飾れれば、それでいいじゃないか。

 その勝利の一端に俺が居れば、それでいいじゃないか。確かにヒーローは芯太郎だが、それがどうした。

 それでいい。それで行こう。そうと決まれば、エラーの後では遅い。肩の力を抜いて、いつも通り。練習通りにプレーするんだ。


――カィン!


 スクイズの予想に反して、まさかの強攻策であった。


「うおっ!?」


 そして朝比奈の望み通り、ショート真正面を強襲した。

 それをギリギリ体で、腹筋で受け止める。


「セカンド!」


 6(ショート)―4(セカンド)―3(ファースト)のダブルプレー。それで試合終了である。

 ファーストランナーの全力疾走を見て、朝比奈は急いでボールを握り直し、セカンドへ投げる。

 だが未来を悟った瞬間、朝比奈の背中が急速冷凍された。握り直しが、甘かった。


「え……?」


 ボールはセカンドの遥か頭上を越え、右中間へ飛んでいく。


「ライト! センター! 止めてくれ!」


 里見が叫ぶ。


「ちくしょぉぉ!!」


 送球のカバーに入ったセンター高坂が、声をあげて走る。

 ボールは無情にも、差し出したグラブの1センチ先を通り過ぎた。


「バックホーム!」


 送球の勢いがなまじ強かったのが災いし、フェンス手前までボールは転がる。

 サードランナーはホームインして同点。ファーストランナーは二塁を蹴って三塁へ。


――頼む、止めてくれ!


 朝比奈は願った。声に出したいぐらいに。自分の何を放りだしても叶えたい願いだった。


「ゴーッ!」


 三塁コーチの声によって、本塁突入が決定する。

 セカンドの高木が中継。さらに一塁の主将、片岡が中継。

 バックホームをしようとしたその腕が、力なく下げられた。

 ランナーは既にホームを踏んでいた。


 5対6。九回裏、智仁高校のサヨナラ負け。

 歓喜に満ち溢れた甲子園行きの予定は、二十分でキャンセルされた。

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