108回:Magnus Effect
垂直の回転は一番スピードの乗る回転であるが、この回転を用いる投手はいない。
垂直回転を再現する事自体は簡単である。ベッドに寝転がって、天井に向かって真っすぐボールをリリースすればいい。
だがマウンドではそうはいかない。投手のフォームは使う腕の側から対角線の足元へ振り下ろすのだから、どうやったって垂直回転で投げられるはずがない。
しかし仮に。どんな指の使い方をするかはさておき仮に。完璧な垂直の回転を投げられる投手がいたとしたら。打ち込める様になるのに、一試合では確実に足りない。
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「剣聖、何三振してんだよ!」
「133キロのストレートだぞ? 当てられない理由があるかよ」
三振して戻ってくる4番・上泉。ベンチ一同に浴びせられる罵声も一切無視し、力なく座り込む。
「剣聖。さっきの球だが」
「お前も気づいたか。望田……たぶん、愛洲も分かっているだろう」
決して速い球ではなかった。だが打てない理由は確かにある球だった。その理由が分からないままに打席に向かう五番・兵庫。
「さて、俺もそろそろスタンドにぶち込ませてもらうかな」
決め球が130キロ台のストレートなら、何も脅威は感じない。そう思って打席に入った兵庫を見て、マウンド上の真柄は舌なめずり。
「分からないかな。サービス期間は終了したんだよ」
セットから投じる初球。上泉への決め球と同じ、インコースへのストレート。リリースの瞬間から球筋を予測して、十分に引き付けて腰を切る兵庫はオーバーフェンスを確信する。
「あっ!?」
だが、ホームランはおろかバットにすら当たらない。まるですり抜けたかの様に、来訪を確信した手応えにすっぽかされた。
そして速球は里見のミットを弾いた。
「ストップだ沖田!」
本塁を狙う三走・沖田は兵庫の声を聴いて止まる。里見はボールを弾きながらも体の前に落としていた。これでは本塁に突っ込めない。
打者兵庫、捕手里見が共に現状を認識できていないという、不思議な状況が生まれた。
「里見、ちょっと来い」
真柄が手招きするので、里見は主審にタイムを要求しマウンドへ向かう。
「何が起こってるんだよ。ストレートの軌道が全然変わってる。というか、上泉を抑えたらマウンドを降りると言ったくせに」
「いいか。俺のストレートはもうシュートしない。真っ直ぐだ。それも浮き上がると思え」
「浮き上がる!?」
「もちろん本当に浮き上がるわけじゃない。だが『予測した地点より遥かに上に到着する』事だけ頭に入れておけ。いいな」
里見はますます戸惑う。先程までのちゃらんぽらんな真柄とは、口調から何からまるで別人。変わらない事と言ったら滝のように流れを止めない汗だけである。
里見の事など委細構わず、第二球を投じる。
「ボール!」
同じ球種が、全く別のコースに投じられた。兵庫はスイングを行わなかった。打撃動作の始動すらしていない。これに真柄は舌打ちをする。
「気づいたか。コントロールが定まっていない事に」
真柄がこの球を投げるのは実に5年ぶり。リリース以外のフォームはいつもと変わらないとはいえ、やはり感覚の復活が完全には行われていない。よってコントロールが高めに乱れているのだ。
――如何にバットをすり抜ける球でも、ストライクを取れなかったら意味がないぞ。
ニヤリと笑う兵庫だったが、真柄に笑い返された。その笑みに、自分の知らない情報があると悟った兵庫は気を引き締め直す。
第三球。コントロールのつかない筈の投球がど真ん中に来た。
「チェンジアップか!?」
今まで通りの球種なら、高校三年間従えた僕である。簡単にストライクゾーンに制御できる。
2ストライクと追い込まれた。こうなると兵庫の頭は混乱する。次はバットをすり抜けるストレートなのか、それとも入れに来る今迄の4種なのか……。
4球目。指先から離れた瞬間に、経験則からストライクゾーンに来るストレートと確信し、振りに行く。
だが、ボールはバットに当たりはしなかった。
「バッターアウト!」
「た、高めのボール球だと!?」
続く6番大石も、真柄のストレートの敵では無かった。義輝に二塁打を打たれてから、結局この回は三者三振。明らかに満身創痍の真柄に対して、この結果。項垂れながらベンチに帰ってくる。
「スマン望田……こんなはずじゃなかった」
「マグナスだ」
「え?」
「次の攻撃時に円陣を組むぞ。安心しろ、俺は絶対に点を与えない」
望田はまだマウンドにいる真柄を睨み付けながら近づいて行く。真柄は笑顔でボールをトスして来た。
「ほら、ボールだ」
「マグナスエフェクト……俺以上に操る奴がいるとはな」
「まだ50%ですがね」
「……何ッ!?」
「5点しか取れなかった味方を恨むんだな」
去っていく真柄の背中が、望田には果てしなく大きく見えた……。




