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アルテリーベ殺人未遂事件簿

作者:
掲載日:2015/04/25

 全国の青少年と男子高校生たちへ告げる。

 幼馴染の女の子に夢を抱くな。

 奴らはとんでもない犯罪者なのだ。

 一つ、奴らは不法侵入の達人だ。

 自分が長年連れ添った相方だからって好き勝手に朝なんか強引に部屋へ侵入してきて

無理矢理叩き起こしやがる。

 その所為で秘蔵場所から引っ張り出してそのまま寝堕ちした状態で放置してしまった思春期の御伽草子を何度白日の元へ晒されたことか。

 二つ、平然と暴力で意見を通そうとする。

 「もう~馬鹿~変態ッ」と蔑みをぶつけられながら日常的に平手ビンタが左頬へ直撃する。

 時々、グーパンチになるのだけは本当に止めてほしい。

 最近は腰が入り始めて冗談で済まない。

 三つ、白昼堂々と脅迫してくる。

 たまの休日は遊びに連れていけとさも当然の権利の如く駄々をこねて、それを自由民権に則り拒否すると女子トモ間でその不満を発散して俺の評判を殊更に貶める。

 特に食い意地の張ったぽっちゃり系は甚大。

 「もうコーちゃんのけちんぼ!!」

 「わーってるてぇの。まったく……これだから業突く張りの幼馴染は」

 「だ・れ・が・業突く張りなのよ~~~っ」

 「あだだだほっぺ!! ほっぺた千切(ちひ)れる千切(ちひ)れる」

 その関係維持費は最低で年間費用フルコース二回分は必須。

 無からば去れ、有らば心へ刻め。

 幼馴染に理想を抱けば、奴らの生態系は過酷で無慈悲に甘い夢幻を打ち砕く……!!!

 「ほら、お店の入口が見えて来たんだからしっかりしてよね」

 予約したの俺なのに、びた一文払わねえ身分で偉そうにすんじゃねえコン畜生。

 看板も表札も見当たらない白い曇り硝子のドアノブを捻ると、店内から吹き込むそよ風に、スンスンとミユキは数回鼻を鳴らした。

 「どうだ、何か変な匂いでもしたのか」

 「ううん、まだディナーが始まっていないみたい」

 「そりゃ好都合だ。俺たちの本来の目的は自主的課外授業によるレポート作成。ったくウチの学校も面倒くさい課題出してくれやがって」

 「その宿題のお陰でこうやって美味しそうなお店に来られたんだから良かったじゃない」

 店内から響くヴァイオリンの生演奏がミユキの瞳を期待で輝かせていく。

 「気を付けてよハジメちゃん。何時もみたいにうっかりミスしたら許さないんだからね」

 夢と希望のワンダーランドへ突撃しようと開かれる食の凱旋門。

 「申し訳ございませんお客様」

 待ち受けていたのは謝罪の一言。

 「こちらは裏口となっておりますので正面からお入りください」

 挫かれて閉ざされる出鼻と真っ赤になった俯き加減を眺め下ろしながら、口元から空気が抜ける爆笑を必死に噛み潰す。

 「プクククっ間違えてやんの」

 「ふんぬ!!」

 「照れ隠しのビンタから膝裏へローキック!!? ぐぎゃああ……くぉら……最後は余計、だろおおお……」

 ムッチンプリンな蹴り一つでも大質量故に強烈なインパクト。

 「誰が太っているのよ!!」

 「心を読むなこの女サトリぐぎゃああああああッツツツ」

 「ハジメちゃんが考えていることぐらい、幼馴染なんだから顔見ればわかるもん」

 手持ち鞄が空中がクルクル回りながら、飛び出した路上で本来の入口が金具に照らし出される。

 店名はアルテリーベ。

 テレビやグルメ雑誌で何度も三つ星評価を獲得した有名なフランス料理のお店。

 知らなかったんだ。

 まさかこの後、俺たちの身にあんな恐ろしい出来事が降り懸かるなんて、この時点で誰一人として知る由もなかった。

 「美味しいフランス料理を堪能できる上にバイオリンによる生演奏付き。しかもシェフが私達と同年代なんで全然思えない~特にまるでどこかの誰かさんとは大違いね」

 「けッ言ってろバーロー」

 こっちはお前みたいな幼馴染の為に超有名レストランを予約したんだ。

 絶対に、必ず、味わって喰えよ。

 ミユキに表情を窺わせずに幼馴染としての文句を憤慨しながら今度こそ正しい玄関先から入店した。

 「ようこそ味覚の最前線へ」

 パリッとノリの効いたYシャツのウェイターがすかさず俺たちの前に現れた。

 「ご予約いただいた金田一様でございますね。お席へご案内します。どうぞこちらへ」

 夕陽の沈んだ室内を暖かく彩るシャンデリアに見守られながら、俺たちは店内が一望できる窓際のテーブルへ案内された。

 「う~ドキドキしてきた……素敵っ」

 ミユキが緊張でトイレに席を立っている間に、ウィーン様式漂う都内有数の有名店内を軽くおさらいしておく。

 無数の円テーブルが起立する中央に置かれたグランドピアノとヴァイオリン。

 柱には黄金の月桂樹が描かれている。これから宵闇に染まりながら予約客で埋まっていくであろうテーブル席は今の所は空席が大部分を占めている。あらかた眺め終えるとミユキが戻ってきた。何故かその表情は席を立つ前よりロマンチックでキラキラうっとりしていた。

 「嬉しい。コーちゃんがアダムで私がイヴ」

 「喜んでくれて何よりでごぜえます」

 ロマンチックが止まらなくて意味不明な台詞を口にする幼なじみと面と向かい合いなかまら時間がゆったり進む。

 中央に安置されていたヴァイオリンとピアノは伊達ではない。

 夜が深まり、都会の喧騒が息をひそめる瞬間を今か今かと待ち望んでいたのだ。そして今、静けさに花を添えるメロディーが流れ始める。

 「綺麗な音色……うっとりしちゃう」

 この厳かでも優しい場の空気が壊れたのは、独りの来店がキッカケになった。

 「ウィ~ヒック! ……おら酒持って来いや酒~まだこっちは飲み足りねえぞぉぉぉ」

 たった一人で、テーブル席を真っ赤なトナカイの我が物顔で占有する不届き者。

 汚い革靴の脚組みで真っ白いテーブルクロスを乱暴に荒らす輩。

 出来れば目線も向けたくないあからさまに場に不釣り合いなベロンベロンの酔っ払いに、俺は視線を注いでしまう。

 「お客様、まことに勝手ながらそろそろお酒をお控えになられてはいただけては如何でしょうか。前菜の前にそれほどお飲みになられてはお食事に差し支えてございますので」

 「てンめっえ、私に飲むなってんのかよ……おーおー良い度胸してなー切るぞ? そんなこと言ってると首スッパンポロリンチョでぶははは、アヒャハハハッ」

 地団駄を踏む子供のように揺れる長いブロンドヘアーがサラリと大きく開かれた悪趣味な寅柄スーツの胸元でギンギラギンのアニマルネックレスと悪遊びしている。

 帯びた酒気に任せて美しい空間を野獣の如く汚す姿はその身に付けるアクセサリーのように下品な獅子そのもの。

 だが女だ。

 かなりの美女だ。

 鳩胸の男と呼ぶには野性味を帯びた美貌が邪魔をしたスレンダーで汗の雫を官能的に散らすおっぴろげられた巨乳の谷間に引き寄せられた視界の外側で、ギリリリッとまた頬をつねられた。

 「なーにーみーてーるーの?」

 「ひゃいほうふふぁ、ミユフィ」

 大丈夫だ、ミユキも負けてないぞ。

 豊満さならお前が勝ってる。

 幼なじみとして誇りに思うぞ。純然たる事実なのだから仕方のないことだ。それだけ俺の幼馴染は凄いということだ。その無駄にデカい胸を張って誇っていいぞミユキ。同年代の女生徒と比べて明らかに突出した世界ランク級の脅威の胸囲部分だけは俺もお前の幼馴染に生まれて良かったからさ。

 「ハジメちゃんのH変態!!!」

 だから心読むなってなあ……。

 騒動が終わり、最初よりも深まった静けさ。

 コック帽のウェイタ―が運ぶ予定外の一品。

 「すいません、こんな料理はメニューに乗っていないんですけど」

 「これは本店からのサービスとさしていただきますサーモントマトのフレッシュカルパッチョになります。先ほどは当店の関係者がお客様方へご迷惑をおかけしてしまったお詫びとしてどうかお召し上がりください」

 「おっしゃラッキー! いただき~ッ」

 「ハジメちゃん!!」

 俺を非難しながらも興味深々なのはミユキも同じである。

 幼馴染だからそれぐらい顔見れば一発でわかるもんだ。

 パクリと一口、で、絶句した。

 爽やかなトマトの酸味が身のギッシリと詰まったサーモンと絶妙にマッチ。

 五感に訴えかけるもの全てが、めくるめく芸術的であるような、果汁と脂身が絡み合ったバジルソースが奏でる数百種類に及ぶ旨味のオーケストラが舌の上で大音響を弾けた。

 「~~~~ッッッ」

 旨い、旨すぎる、十万ドルのカルパッチョ。

 そして恐るべきことに、これまで食べた一品の数々がその深い味わいと共に蘇る。

 オマケなんてとんでもない。本当は欠けていたコースの一品と呼んでも構わない構成力。

 「もしかして貴方が雑誌でよく取り沙汰される天才料理人の」

 「ウィームッシュ」

 頭に載せていたコック帽を外して胸に捧げながら恭しく礼を正す姿は一級の紳士。

 「アルテリーベの支配人を務めさせていただくおおとりと申します。先ほどは当店のオーナーが飛んだ粗相を」

 「へ? あの迷惑極まりねえ酔っ払いがこの店のオーナー!?」

 首って解雇(くび)かよ。

 「あれでも酒気が抜ければ辣腕を奮う経営の天才なのですが」

 「信じられない」

 「お恥ずかしいばかりで。まったくレオナの奴ときたら」

 「何時もあんな感じに無茶苦茶のんべえなんですか」

 「あれでも普段に比べれば半分以下です」

 「マジですか」

 日本酒と白ワインをちゃんぽんして一気飲みという、見ただけで胸焼け起こしそうなドえらい酒豪っぷりも最終形態の本の第一形態にすぎないという。

 「本気のレオナはあと三枚脱ぎますよ」

 「それは是非とも酔いつぶれて」

 「あの、すみませんこの料理」

 会話に不参加していたミユキが、最後のバジルソースまで綺麗に味わいながら天才料理人へ疑問を口にする。

 「本当は別の誰かへ出す筈だったんじゃないですか」

 鳳が目をパチクリとしばたかせる。

 思ってもいなかったこと口にされた表情。

 「いえいえ、そんなことはありえませんよ。どんな料理もそのお客様へ最適な一時を楽しんでいただくのが私どものもっとう。決して別のテーブルの料理をお出しするなど……それは楽しみに来て下さるお客様方への冒涜です。支配人であるこの鳳が許しませんので」

 「そうなんですか。うん、ううん」

 そして最も味わってほしいミユキはどうしていたかと言うと。

 不思議そうに首を傾げていた。

 「あの、怒らないで聞いて下さいね」

 申し訳無さそうに、けどここで嘘の感想を口にする方が失礼な気がするから正直に述べよう。

 真っ直ぐすぎる率直な言葉はだからこそ真実を射抜く。

 「美味しいと言えません」

 オマエハ何ヲ言ッテルノダー。

 一瞬、時間が凍ったかと錯覚した。

 一触即発、心臓の鼓動が痛いほど高まった。渾身の一品を悪く評された一流シェフは、

 「――お客様にそう評していただけるとは、これはまだまだ私も未熟ということですかな。ははは」

 広い懐で意見を受け止めてくれた。

 氷解した時間の流れが再稼働する。

 冷や汗を拭いながら、肝心な瞬間は俺よりも歯に物を着せぬ幼なじみのパッと華やぐ姿にホッと一息。怖がるなら正直に言うなよ。怯えて喉奥へ引っ込んでいた感想をミユキはつらつらと口にする。

 「なんていうか今の料理。スッゴい美味しくてはスッゴい想いが籠もっているのになんだか、心ここにあらず、みたいな感じがしたの。私たちじゃなくて別の何かを見ているような」

 「別の何かねえ。案外、店の経営で悩んでるとかその辺りじゃねえの」

 「そんな後ろめたい気持ちじゃこんな味作れないよ!」

 「じゃあなんだよ」

 「愛、かなあ」

 「プクク」

 「あっ~笑ったなあああ精一杯考えたのに」

 「ヒヒヒヒッ、感が外れたんじゃねえのそれ。或いは的外れとかさ」

 プンスカと文句を垂れるミユキと会話しながら、その視界の端で鳳シェフが自分自身の料理を運んでいく姿がチラホラと見える。

 他の席にも運ばれていく余計な一皿。

 この分だと俺たちだけが特別じゃなさそうだ。それぞれの席に配膳された一品を一つ一つ合わせればフルコース丸々一個分になる。視界の外では極力音量ひそめている店員数名の話声がうっかり客である俺たちに聞こえてしまっていた。

 「鳳支配人、怒らなかったな」

 「普段は自分の料理の腕だけは世界一自信を持ってるから意見一つだけでも見るからな機嫌悪くするのに」

 よかったよかったと耳に届く店員達の言葉に止まった冷や汗がドパっと溢れ出した。

 「おいミユキ」

 「わかってるけど……美味しいって、言えないだもん」

 結構、危ない綱渡りを渡りきったのだとヒシヒシと実感する。

 「ねえ、覚えてるコーちゃん。幼稚園の頃」

 今ある幸福を皿に残る前菜と一緒に深く味わった。

 つーか本当に美味いなこれ。

 「昔、コーちゃんとオママゴトをしていた時に、コーちゃんが私と約束してくれたよね」

 舌に抉り込んでくる多幸感の桃源郷で脳内エンドルフィン過剰供給される。

 「知ってるよ……ここって……調べたら、その、あの……カップルさんたちが、次の段階へステップを踏むのにも有名なお店だよね。牧師さんを呼んで結婚式を上げられるフランス料理店って分かった時は素敵すぎて胸がドキンドキンして」

 あー視界が霞んで耳も遠くなる。

 うおーうめーちくしょーなんだよーこんなのU・MA・Iしか言えないだろー言えないだろー言えない訳ないだろー。

 「あれから何年も経って、互いに成長して、だらしないところは相変わらずだけど昔の約束なんて大海原の彼方みたいに霞んでしまった今でも私は思う。もしかして、あの時の約束を覚えていてくれて――」

 大方、最初に感じたその違和感が原因で素直に美味いと言えなかったのだろう。

 昔から頑固なところは相変わらずでったく、ミユキらしいって言ったらそれまでだけど。

 「――コーちゃん? 話を聞いて」

 とにかくうんめえ。

 それ以外、考えることなんてないぜ。

 「……………………………………コーちゃん」

 「うんあ、何か言ったか」

 ミユキに呼ばれたので意識をそっちへ向けた。

 どうした、そんな呆れた顔して。

 「ナンデモナイヨ」

 この世の一切合切の苦悩や雑念から解放された何も考えていない顔で一言。

 そんな顔出来たのかよ。

 幼なじみの俺も今日初めて知ったぜ。

 「はあ? 何でもないなら喚ぶなよ」

 食事に戻る。

 ……………。

 ……………………?

 今、何か重要な機転フラグが聞こえたような折れたような……ふむ。

 まっ、気のせいか。

 今度こそ食事へ没頭する。それから空耳に顔を上げることは、この食事中一切なかった。

 つつがなくノンアルコールの食前酒からデザートまで腹がパンパンに膨れ上がる。

 少しの食休み後に、俺とミユキは会計を済ませて先を立つところであった。

 「おい腹膨れて満足しただろ。なのにどうしてそんな不機嫌そうな顔すんだよ」

 「ふんだ、もうコーちゃんのことなんて知らない」

 不機嫌なミユキが顔を背けてわざと俺と距離を置いて歩こうとする。

 腹が立つので負けじとツカツカ距離を詰める。

 「聞き捨てならねえ。俺が、今日、一体、お前の堪忍袋のどこを刺激した」

 「それがわからないんだったら、それが正しいのよきっと。どうぜコーちゃんは私のことなんて」

 次のミユキの言葉は聞こえなかった。

 何故なら店内から調理場へ繋がる両開きの扉が、

 ドンッツツツツツツツツツ!!!!!!

 内側から轟き弾け飛んだから。

 耳をつんざく空間の悲鳴はヴァイオリンとグランドピアノの宴を引き裂き、粉塵が入り口へ歩いている最中の俺たちまで襲い掛かった。平衡感覚を失う五里霧中の粉塵が遮る視界の中で、

 「ミユキ大丈夫か!?」

 まず先に大切な幼馴染の女の子の安否に焦燥を狩られた。

 「ミユキ! どこだミユキ! ミユキィ!?」

 さっきまですぐそこに居たのに、一瞬で遥か三千光年先まで離れてしまったような恐怖に俺の心臓は握り潰される。

 「――ここだよぉ……コー、ちゃん。私、平気だよ」

 沸騰しかけた血液がこの瞬間、何よりも欲したその言葉で冷静に沈下された。

 声のした場所に、見えないだけで僅か数歩の距離を、俺は無限にも等しい足元の覚束(おぼつか)ない浮遊感で駆け抜けた。

 誰よりも、彼女自身よりも、ミユキの肩を汗ばむ両手で掴んで強く抱き締めた。

 「よかった……本当によかったッ……無事で、無事でッ!!」

 お前に何かあったら俺は生きていけない。

 二度と離さないぐらいの激情で抱き締めた温もりを再確認する。

 「い……痛いよコーちゃん、それに恥ずかしいっ」

 ミユキの安否を肌でヒシヒシと感じながら視界不良の店内を見通す。

 爆発と粉塵で生じた一拍の静寂を区切って、見えない粉塵の霧の向こうでガヤガヤ騒がしくなっていく。次第に洪水のようになっていく困惑と恐れ慄きを四方八方から浴びながら俺はその独特の気配を感じ取った。

 「コーちゃん、これって」

 「ああ、糞ったれながらミユキの考えてるように何時も通りだ」

 それは俺が、江戸川家が代々の家業で培ってきた伝統ある嗅覚。

 親父や爺ちゃんはこれを臭いと呼んでいた。

 「俺たちは巻き込まれたんだ」

 陰気でむごたらしい事件の臭いを一族の末裔である俺はビンビンに嗅ぎ取っていた。

 


 「どうもみなさんの取り調べをさせていただく東京都警察の明智と申します」

 店員の通報で駆け付けた警察による取り調べが開始されるまでに一時間が経過した。

 「なるほど、殺害されたのはこのアルテリーベのメインシェフであり支配人の鳳氏であると」

 「あのう、まだ殺されたと決まった訳じゃありませんよね」

 「おっとこれは失敬。ついつい刑事の感が疼いて先走った発言をしてしまったようで」

 「それってつまり……警部さんはこれは殺人と」

 「九分九厘間違いないでしょう。私の感で」

 それはまた性急な第六感だな。

 ミユキと共に他の容疑者たちを集めた警察による尋問の前段階の設問に、気付かれないように俺は軽く首を縦に揺すった。

 調理場を吹き飛ばした正体は恐らく粉塵爆発。閉め切られた空間内で散布された可燃性の粉状物質に着火することで連鎖爆発を引き起こす現象は調理に使われる小麦粉や香辛料でも発生する可能性がある。そういった事故を防ぐために通風孔やファンが取り付けられている訳だが僅かながら運悪い可能性は極小だが存在する。一見して事故かもしれない粉微塵の現場を目にしながら殺人と断言するのだから余程の根拠があるのだろう。俺は知らんが。

 「それでは用意させていただいた別室でこれから取調をさせて頂きます。ではまず」

 警部の視線が俺と重なる。

 「江戸川コーイチさんからどうぞ」

 俺からか。

 面倒くさい厄介事から真っ先に解放されると考えればラッキーだ。

 別室へ移動しようとして途中で足を止める。チッと舌を鳴らす。

 案内しようとしていた警部も困惑顔で困り気味だ。俺の横隣に目線を向けながら。

 「ミユキ」

 「うん、なあに?」

 「俺から離れろ」

 「ええっ」

 ええっじゃありません。

 「だってこれからコーちゃんが颯爽と事件の謎を解くんだから傍にいた方が楽しいのに」

 何だその勝手なヒソヒソ声で耳元へ呟かれる理屈は。

 ただの高校生である俺がいつ事件現場を見ると言った。

 個別の取調だと説明されていたのに、この幼なじみが俺の横隣にピッタリ追随して離れようとしない。止めろ、変に今は目立ちたくない。これ以上注目を浴びると。

 「江戸川ってもしかして、あの江戸川ランポの江戸川ですかもしかしてえええ!?」

 ヤバい。

 容疑者の中に爺ちゃんのファンがいた。

 捕まった。いや待て待て落ち着け。落ち着け俺。思いもかけぬ伏兵の強襲からアウト取られたが、まだ俺は一言も返事をしていない訳だからツーアウト。いける。まだまだ口八丁でごまかしを。

 「えっへんその通り。なんて言ったってこのコーちゃんはかの有名な名探偵の孫息子なんだからね」

 「ッッッ!!? おいこらミユキ!!」

 肩を掴み引き寄せるが手遅れ。

 「痛い! 何するの」

 「アホう!! こういうのはおおっぴらにすると面倒に――……ってもう手遅れだけどな」

 警部と容疑者たちが二人を見る目が変わる。

 特に明智警部の眉間に深い皺が寄って、口元が引きつるように歪む。

 「なるほどなぁ、君が風の便りに聞く名探偵の孫か」

 あ、コイツ、内心では絶対に俺を見下している

 納得の裏側に蔑みを滲ませる物言いがその証拠。

 「そうなんです。コーちゃんのおじいちゃんもお父さんも凄い人で彼も負けないぐらいカッコいいんです。えっへん」

 だから無駄にデカイ胸を張るな。

 「それは是非二人っきりで話をしたいところだ」

 余計な混乱を招いたミユキを容疑者一同へ置いて案内された簡易個室。

 「どうぞよろしく頼むよ。三代目名探偵江戸川くん」

 悪意のイントネーションは滑舌がよろしいことで。

 「爆発時に俺は」

 「ああ喋らなくて構わないよ」

 取り調べの意味ねー。

 「君が我々日本警察に多大な恩恵を与えた大名探偵・江戸川ランポの御孫と信頼させて打ち明けると、実は、この事件の犯人の目星はついている」

 個人的な内輪話に警察権限行使すんなよ。

 「犯人がもうわかっている?」

 「あとは本人に自白させるだけさ」

 警察の十八番の尋問か。

 「犯人ってわかっているなら普通に書類送検でも何でもすりゃあいいだろ。自白なんて回り道する必要なんてない」

 「そこは企業秘密」

 自身と自慢で凝り固まった笑い顔を貼り付けるその裏側。

 背中がすすけて見えた。

 犯人の目星は付いても確たる証拠がないのだろう。尋問で足掛けを作る予定なのだ。それに名探偵の孫にも解けなかった (面倒くさいからやらないだけだが)事件を解決した人材ともなれば高く評価されて昇進間違いなしだろう。どうやら上進思考と虚栄心が強い性格傾向の警部らしい。

 「実は、君たちに料理を運んでいたのは鳳支配人の偽者だったのさ」

 ほら、聞いてもいないのに勝手に企業秘密をばら撒いてくれた。

 とにかく自分の成果を誰かに聞いて褒めてほしい手合いと断定する。

 「鳳 誇次郎。兄の誇太郎氏と同じ食の道を進んで挫折した落伍者で、最後に確認された消息はこの日本で途絶えている。この男なら十分に鳳支配人の影真似を可能だろう。これで犯行時刻は御孫くんたちが来るより以前で遺体は冷蔵庫に」

 「なるほど、じゃあそこまでわかってるなら例え俺が名探偵だとしても必要ありませんね」

 「そうだ。それに、殺人事件が起こった後にノコノコ推理する名探偵なんていない方がいいんだよ」

 「それはそうだ」

 早く開放されたい俺は明智警部が心地よく思えるような合いの手を会話で挟んでいく。

 努力の甲斐あって事情聴取はすぐに開放された。

 一人だけ納得がいかない表情のミユキの手を引っ張って厄介事の現場から離れていく。

 「ぶ~コーちゃんどうして~」

 「世界はお前の都合で動いている訳じゃねえってことだ。旨い飯食べられたんだからそれで満足しろ」

 「コーちゃんコーちゃん」

 「だからさあ」

 「違うよコーちゃん、あれ」

 俺が掴んでいない方の手でどこか遠くを指差す。

 「誰か倒れてる」

 何? と言われた方向を見てみる。

 確かに、夜の人気が失われたオフィス街に誰かが両膝を付きながら倒れかけていた。

 汗びっしょりにぬれた服装はまるで重態で運ばれた病院から急いで抜け出してきたような着物。

 「おい! 大丈夫かアンタ! おい――アンタは」

 その疲弊した人相はまさしく鳳支配人と瓜二つだった。

 「アンタまさか鳳」

 この男が明智警部が言っていた鳳 誇次郎なのか。

 「……私を、知っているんですか?……」

 襟元を強く掴まれ引き寄せられて体勢が崩れる。

 「お願いします。どうか、この先のアルテリーベという私の店まで、連れていって、ください」

 決死に意識朦朧としながら訴えかける男の瞳に邪な気配は感じられない。

 どうしても叶えたい願いを口にしている正直者の気配。

 「お願い、します。どうか、私を、彼女の、元……へ……」

 そして男はぐったりと意識を失った。

 呼吸で上下する胸板の様子から命に別状はなさそうだ。

 死んでいるはずの被害者が生きている。

 つまり、被害者の鳳が生きていることを隠して犯人からボロを出させた?

 「そりゃダメだろ」

 俺の胸で渦巻いた怒気がたまらず口から毀れた。

 「確かに警察を犯人を逮捕することが仕事だろうさ。けど、その為に真実を偽ったら何も信じられなくなる。そんなのは許してはおけない」

 易々と帰る気分は根こそぎ吹き飛んだ。

 俺はこれまで一度も殺人事件に出逢わなかったことが一番の誇りだ。

 だから俺はこの事件の真実は必ず暴く。解き明かす。幸福な結末に至れると信じているから。

 「いいだろう。爺ちゃんの名に掛けて俺が解決する。」

 「うう……レオナ……レオナ……」

 「安心してください」

 ミユキが本物の鳳支配人へ確証を告げる。

 「ハジメちゃんは確かに普段は居眠りばっかで何かに全力で取り組もうとしても大概エッチなことばっかり企んでいるし基本怠け者のオタンコナスですけど――絶対に諦めません」

 永い時を寄りそい続けた幼馴染の少女は確信と共に断言する。

 「悲しんでいる人を助ける為ならどんな困難や運命だろうと立ち向かえる」



 明智警部は灯りの静まった店内で犯人を追いつめている間際であった。

 「自白しては如何かなレオナ氏。アナタが鳳氏を害した犯人だと」

 孕んでいた酒気を取り払った才女が唯一料理の運ばれなかったテーブル席に腰を据えている。

 そこはガラス張りの行き止まり。

 明智警部の黒い目には見えざる司法の檻に繋がれた鎖が借りてきた猫のように静まるレオナ女史の全身に絡みつく光景がありありと浮かんでいる。

 「証拠は挙がってんだ! 大人しく真実を告白してお縄に頂戴されたらどうですかな」

 警部がテーブルを叩くと店内で反響する。

 横に結ばれていたレオナ女史の血のように赤いルージュの口紅がゆっくりと開かれていく。

 「私は彼を愛していた。誰よりも愛していた。彼も私を世界で一番愛してくれた。始まりは幸福だった。二人ならどんな困難も苦痛も乗り越えられると信じられた。なのに」

 ジッと掌を見つめる瞳。

 暗闇の中で光を掬い取る金髪が俯いたレオナの表情へ注がれる明智警部の視線を遮る。

 「彼の全てが私から離れてしまった」

 見えない双眸は、正面を見つめていながら誰も何も写さない曇り硝子の瞳。

 「せめて彼を殺した罪を背負いながら生きたかった……」

 「そんな真似を鳳支配人は望んじゃいない」

 「そうね……それぐらい誰にでもわかるのに馬鹿ね――私」

 「確かにアンタは馬鹿だよ。どうしようもない馬鹿野郎だ。人殺しめ」

 これがこの事件の全て。

 語られた悲劇に一同沈黙しか他にない。

 「語り終えたのだから逮捕させて貰う」

 「終わっていないわ」

 ガタンッ!!

 椅子が蹴倒される。

 一瞬の空白に伸ばしたレオナの手先が未使用のナイフを自ら首元へ肉薄させた。

 「誰にも私は裁かせない。あの人に手を掛けてしまった罪を私はずっと背負い続ける!!」

 「早まるな!?」

 「遅いぐらいよ。彼があの世で待っていてくれているんだから」

 白い首筋に添えられたナイフの刃先から赤い色が滲む。

 「今、会いに行きます。誇太郎さん……ッ……!!」


 「その自殺ちょっと待ったあああ!!!」


 パリンッッガシャアアアン!!!

 店のガラス窓を割りながら舞い落ちる破片と混じりながら人体が転がった。

 つまり、

 「俺の登場だ」

 唖然としている室内を見回して大体の状況を把握する。

 「そこのべっぴんなお姉さん。死んじゃダメだ。お姉さんみたいな美人がいなくなるのはこの世の損失に他ならない」

 「あら、説得におべっかするなんて見上げた根性だわ」

 「口先じゃない。事実だ」

 俺の幼馴染には負けるけど。

 「黙って頂戴。これで私は終われるの」

 「まだだ」

 俺は探偵としてこの事件に秘められた謎を切り裂く権利を執行する。

 「まだアンタは真実を知らない。本当の真実を」

 「何を言ってるの坊や。私の犯行は全て」

 「アンタのことじゃない。アンタが殺してしまった恋人の本当の気持ちだ」

 俺の脳細胞がピンク色から灰色へ切り替わる。

 殺人事件を解き明かすのだけが謎解きではない。

 今から俺はこれまで目にした耳にした舌に感じた海馬に記録した情報の全てをフル活用してこの場に蟠る謎を解明する。明智警部が言っていたことだけでは説明不十分な箇所は確かに存在しているからだ。加速する、思考の、アルゴリズム。


 コーちゃんがアダムで私がイヴ。

 酒気が抜ければ才女。

 こんな料理はメニューにはない。

 美味しいと言えない。


 目蓋の裏で深き迷宮を光照らす。

 「すべては理にかなうように繋がる」

 いざ語らん。

 幸福へ導く謎解きを。

 「鳳 誇次郎。それが綺麗なお姉さんの協力者で間違いないか?」

 レオナと明智警部が同時に俺の問い掛けに頷き、そして首を傾げた。

 今更、そんな事前情報を確認して何になるというのかといった表情。

 わからいのは当然だ。わかっていないからこそ人は大切な出来事の横を通り過ぎて、時に台無しにしてしまう。

 「彼は今どこに居るんだ?」

 「知らないわよ。すぐにどこかへ逃げてしまったに決まってるでしょう」

 「じゃあどうして誇次郎が俺たちや他の客に特別な一皿を振舞ったかお姉さんにもわからない訳だ。犯行を完璧にするなら偽者の自分が作っフレンチなんて披露しない方が十倍マシなのに」

 「……あ」

 レオナのナイフを握る手がピクリと止まる。

 犯人である自分でも許容し難い謎が現れた名探偵の孫の抗弁によって浮き彫りにされたからだ。

 先ほどまでのすべてを受け入れたと錯覚していた犯人はそこにはいなくなった。ここにいるのは納得の出来ない謎を突きつけられた一人の迷い人。

 「さあ矛盾を洗い出して行こう。その先にはお姉さんの光がきっとある」

 名探偵の定義とは何か。

 謎を解き明かすだけでは探偵に過ぎない。

 名探偵はその一歩先へ進む者。謎を解き明かし、そこから被害者と加害者両方を含んだ全員を幸せな結末へ導けなければ名探偵とは呼べない。

 「そういえばお姉さんは何時、どうして、どんな状況で好きな鳳支配人に危害を加えてしまったんだ」

 「それは、あの人が」

 レオナが発作的に殺意を発露してしまった記憶から引き上げる。

 ――あの人は私に目もくれなかった。

 他の、私よりずっと大切なフルコースの下拵えに情熱を注いでいた。

 彼が見ているのはもう私じゃない。

 情熱を注ぐのはもう。

 「集中しているんだ後にしてくれ」

 その言葉で私の中で何かが鎖を引きちぎった。

 気付くと彼を殴り倒していた。

 彼が愛する料理の為のフライパンで。

 そして知る。

 殺人事件の第一発見者は、被害者を手に掛けてしまった犯人自身である事実を。

 一面に広がる血の海。

 温もりが遠ざかっていく愛する人の肉体。

 「――どうして、こんなことに……ッ」

 一瞬前に両手へ伝わった命が砕ける感触が離れない。

 その両手は真っ赤な罪の色で泣き濡れていた。

 戻せぬ時の歯車が実感となって両肩から全身へ魂の根元までのし掛かる。

 「こんなつもりじゃなかった……こんなことになるぐらいなら、いっそ――」

 それで咄嗟に私は――。

 「そのフルコースは誰のために作っていたのかな」

 「え」

 「だって、メニューにない料理を一心不乱に真心込めて調理するなんて、それはそれだけ大切なお客様に出そうとしていた品じゃないのか。もしかして、全部お姉さんの好きなものだったんじゃなのかな」

 重要だからもう一度言う。

 「今日、お姉さんが招待されたのは鳳支配人が特別な贈り物をする為じゃないか」

 俺は明智のおっさんの事情聴取の一部をそれとなく聞いていた。

 そして容疑者の一人である店のウェイターの女性がある事実を涙ながら証言していた。

 被害者である店長を心から尊敬する彼女が犯人とはとても考えられない。

 「ぐす……ううう……店長……てんちょおおお……」

 「悲しみのところをお悔やみ申し上げます。すみませんがお話を」

 「はい……わだじ……店長のごとが前がら……ずぎで……どぅえもおおお」

 「いえ、そんなプライベートの前にとにかく事件時のアリバイを聞かせて貰いたいんだが」

 「わがで……わがっでましたよおおあんなおしどり夫婦に付け入る隙なんてないってえええ」

 「だからいい加減――あの二人が夫婦?」

 差し出されるテッシュ箱を片手に、ち~~ん!!! と涙や鼻水が一掃されてすっきりしたウェイターが鼻を鳴らしながら席に座るいずまいを正す。

 「……はい、正確には、今日なる筈だったというか、店長とオーナーさんはみんなは知らないけどお付き合いしてました。でも…色々すれ違いがあって険悪になっちゃって、それで偶然、私、知っちゃったんです」

 「何を」

 「店長からオーナーさんへのサプライズプレゼント。二人の出会った記念日に彼女との思い深い料理と一緒に婚約指輪っを渡すって。それを偶然知っちゃって店長から口止めされてたんです。「みんなには黙っておいて」って……ふええ店長おおお」

 涙ながら被害者に隠すよう願われていたウェイターが口を開いた真実を一言一句口頭で再現する。

 「今日は記念日だったんだろ二人の。俺たちや他のテーブルに配膳して処理したフルコースは本当はアンタへ向けた物だったんだよ」

 「うそ」

 「メニューになかったから鳳支配人に扮した偽者もどこへ配膳すればいいか分からなかった。それでお詫びの名目で各席にばらまいた」

 「うそよ」

 「ミユキが美味しいって言えなかったのは、その一皿が、たった一人の女性へ奉げられた究極の」

 「うそよおお!?」

 無力な言葉がレオナに激震をきたす。

 罪と嘆きの奥底に隠れてしまった真実を突き付ける。

 悲劇に塗れた傷だらけの虚構を皆が笑える喜劇に塗り替えるべく傷口を切開する。

 被害者は死の間際 (今回は生きているので死を覚悟した刹那)に、自分の本当の気持ちを伝えたかった。それは遍く死にゆく者たちが胸に秘める燐光と同じ尊き輝きを秘めていると信じているから俺は告げる。

 「信じられない信じない!!」

 そして60キロはあろうテーブルが土台ごと片手で持ち上げられた。

 俺以外全員がギョッと目ん玉をひん剥いた。

 血の気を失った真っ青な顔と錯乱しながら血走る眼のレオナが信じられない豪腕で掴んだテーブルや周囲の物品を投げ捨て始めた。

 「うおお!!?」

 明智警部やその部下の警官たちが慌てて物陰へ隠れる。

 均衡の崩れた精神が危険領域へ水渋きを上げて飛び込み、本能が咄嗟に火事場の馬鹿力で自己防衛を図り始めたのだ。

 何度か、似たような姿を俺は見たことがある。爺ちゃんや親父に追い詰められた人たちとそっくりだった。

 「そんな回りくどい真似しないでよ!! まっすぐに伝えてよ!! それでよかったのに!! それなのに!!」

 寄る辺を失った迷子。

 わめく泣き声。

 肉と骨を削り取る嵐の海。

 「この――ッわからず屋ああああ!!!」

 爺ちゃんと親父から教わった伝来の力技が解き放たれる。

 バゥンツツツ!!! と投げ飛ばされたテーブル席を肩越しで弾き飛ばしながら嵐の目であるレオナへ掴み掛かった。

 俺をどんなに傷つけても、周りをどんなに壊して崩してもお姉さんはもう逃げられない。悲劇には逃げられても、幸福には逃げ道なんてことを背中から、個室トイレの見える壁際まで、体当たりで優しく追い詰めた。

 「がッ、は」

 「おれたちは、ロマンチックに伝えないと気がすまないんだよ」

 「そんなの……私の気持ちも知らないで勝手よ……」

 「お姉さんだって、そっちの方が嬉しかっただろ。振り向いてくれないあの人が実は自分のことを大事に思っていてくれたと知れたら嬉しくてたまらないでしょう」

 にらみ合う俺とレオナ。

 探偵と犯人。

 「逃げるな。目を背けるな。鳳支配人は悪くない。悪いのは早とちりしたお姉さんだ」

 「違う、うそ、そんなのはうそ、ぶっきらぼうなあの人がそんな気の効いた真似を考えられるなんて、ましてや他人のアナタに彼のそんなことなんてわかるわけない」

 「わかるさ。同じ男なんだから。その証明が……あれだ」

 視線を誘導する。

 その先にあるのは、飲食店なら必需な男性と女性の個室トイレ。

 原初から分かたれながら決して切り離されることがない運命のごとく隣り合う二つの性別表記。

 「ここのトイレは変わっているよな。個室トイレが」

 トイレに立ったあとにミユキが見せた満足な笑みが蘇る。

 「マンとウーマンじゃなくて、アダムとイヴって表記されている」

 「それが、何ッ」

 「トイレのあれはお姉さんが決めたのかい」

 「違う。知らない。私はそんなことしていない」

 「だとしたら、あとは鳳支配人しかいない。彼以外に店の内装に口出す訳がない」

 彼女の瞳に溢れかけた感情の兆しが除けた。

 「思うに。きっとこの店が結婚式場として使えるのもそんな語呂合わせの一環じゃないかと俺は考える。大事な女と肩を寄せ合って生み出した大切な自分たちの店」

 俺の言葉を聞かないで、無視して、耳を塞げばかまわないのに、彼女は、レオナはそれをしない。

 出来ない。

 すべては、今回生じてしまった殺意ですら一人の男性を思い煩った故の尊き結晶。

 「だからお姉さんの恋人はこの店に【原初の恋人たち(アルテリーベ)】って名付けたんじゃないのか」

 能面のようだった表情が決壊した。

 露わになった真なる己が罪に悲しみが押しつぶされる。

 「うそだと言って、ねえ、ねえ、貴男、ッあ」

 彼女の胸にポッカリ開いた虚無。

 「ッツツツああああ!!!!」

 もうそれを埋めてくれる愛しい人はいない。

 自分が、コノ手で、壊して、喪ってしまった。

 彼女は大切な男を殺した罪を一生その心の穴を罰として受け入れなければいけない。

 「ああああ!!!! ああああ!!!! ああああ!!!!ーーーーーー大好き、アナタぁ……」

 届かぬ最愛の男へ。

 それが嘆く彼女の最後の言葉となった。


 「泣かないで。愛しい人」

 そっと無事なテーブルに置かれたデザートが意識を回復させた鳳支配人の到着を告げた。


 ナイスタイミング。

 グッドヒーロー。

 「……え……誇太郎……さん?……」

 死人が蘇った表情のレオナ。

 彼女にとって確かに最愛の彼は死んでいたのは間違いない。

 「死んだ、はず、なのに」

 「本当にお酒が入っていると注意力が疎かになるよね。大丈夫、どうにか生きているよ」

 「それでも爆発に巻き込まれたら」

 「死んだと勘違いしたあとに冷蔵庫へ詰め込んだろう。分厚い冷蔵庫の壁が爆発から身を守ってくれたのさ」

 「うそ、うそ、嬉しいッ」

 これから来るメインディッシュを楽しみとして溜飲を下げる俺。

 行き違いをすれ違いながら取り戻した一組のカップルが荒れた店内で祝福される。

 「なんたって二人が出会えた記念すべき日で……アルテリーベ開店記念日だろ」

 一番に驚いたのは祝福される片方。

 「誇太郎さん……貴方、今日が何の日か」

 「覚えてるに決まってるだろ。ほら、僕たちのベイクドチーズケーキ。これだけは冷蔵庫で守られていた。だから」

 取り出される四角い小箱。

 見る間でもなく結婚指輪。

 「オレと結婚してくれ」

 「喜んでっ」

 まったくこれじゃあどんなフルコースも味が霞んじまうよ。

 「ねえコーちゃん」

 「あ? なんだ」

 「さっきのレオナさんとの会話を聞いてて思ったんだけど」

 ミユキのその笑顔は満天の星空すらかすむ輝きを放つ。

 「コーちゃんもロマンチックにアルテリーベを選んだのかな。私の、為に」

 「……」

 答える必要がなかったので脱兎の勢いでミユキから視線をそらした。

 真っ赤になった顔を両手で押さえた。

 「あれ~どうしたのかな~いいのかな名探偵が人に隠し事して~」

 いいのである。

 世の中には解かなくてもいい謎も一杯あるのだから。

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