49話 君のままで
線路は続くよどこまでも
フェンリスの様子がおかしい事に気付いたのは、俺が夕食を食べ終え、自室で寛ごうとした時だった。
俺の部屋を守るために設置された物見やぐらにフェンリスはいた。彼女はそこで物憂げな表情で月を眺めていた。普段、隙を見せないフェンリスのその様子に俺は興味を持った。そこで俺は一度、酒蔵に行き、酒を取ってきた。
木で出来た階段を登り、フェンリスの許までたどり着いた。近くで見て思う。やはり、様子がおかしい。普段の大人の余裕が感じられない。
「こんばんは、フェンリス。月が綺麗だね」
「旦那様……」
「どう? 一杯」
持ってきた酒瓶を見せた。果実の匂いが付いた、チューハイのようなやつだ。俺は飲めない事はないが、あまり酒が得意ではなかったのでアルコール度数は低いものだ。フェンリスも、あまり強い酒は好まないようだから、丁度いいだろう。
「いただきますわ」
酒皿を渡し、こぼれない程度に注ぐ。それを一気に飲み干し、今度は俺が、これまたこぼれない程度に注がれた酒皿を受け取って一気に飲む。
こうして見ると、何かの儀式か何かのように思えるが、決してそんな事はない。なんとなくだ。ただなんとなく1つの酒を、1つの酒皿で共有したかった。それだけの話し。
「美味いな」
「そうですね」
もう一口酒を飲み、俺はポケットからタバコを取り出し、一本咥えた。そして、今度はジッポを取り出し、火をつけた。吐き出した紫煙が、夜風で薄く流れていった。
最初この姿を見た人は、皆一様に驚いたものだが、最近では誰も驚かない。シュッっとするだけで火が出るライター。火種が欲しい時に頼られるくらいだ。
皆疑問に思っている事だろう。だけど、誰に聞かれても答えずにひょうひょうと流していた。すると、いつの間にかこんな噂が流れていた。「里中公平は人間ではない。神族だ」
そんな噂が流れていると知った時は、慌てて否定したが、誰もまともに取り合わなかった。戦乙女であるアンジェを従えているから、余計に噂に信憑性が感じられるのだろう。
真相を知っているのは騎士長と嫁さん達だけ。ハウトゥーファンタジーの存在を知っているスフィーダのカルド王ですら、俺が人間ではないと強く信じているらしい。
「タバコ、でしたよね? 美味しいのですか?」
俺が吸っているのを見るまで、フェンリスはタバコの存在すら知らなかったらしい。狩りをする事が生活の全て。興味はあったが、娯楽がない。故にユグドラシルに来た当初のフェンリル達のはしゃぎようは今思い出しても笑みが溢れる。
見た事のない食材。初めて食べる魚の味。そして、なんといっても温泉。彼女達は、今まで体が汚れるとあのクソ寒い中川で体を清めていたのだそうだ。いくらフェンリルが寒さに強いといっても限度がある。故に、ここに来た当初、彼女達は日に何度も温泉に入っていた。フェンリスの言葉を聞いて、ふとそんな事を思い出した。
「うーん。美味いか不味いかで言えば美味いかな。俺のいた世界ではあんまり良い目では見られなかった。俺の場合は特に法律を無視してたから」
フェンリスがタバコを初めて見た時は、大層興味を抱いて吸わせて欲しいと言っていたのだが、騎士長に女が吸うものじゃないと言われ、それ以降興味を失っていたようだったのだが、今の様子から見るに、再び興味を抱き始めたのだろう。
女の人は子供を産んだりするからあまり良くないんだけど、なんだか弱っているみたいだし、今日ぐらいはいいかもしれないな。と、思う俺はきっとダメ男だ。
「吸ってみるかい?」
「ええ。よければ」
無言で、半分程残っていたタバコをフェンリスに渡した。彼女は一瞬の躊躇を見せた後、小さく一口吸った。
吐き出した煙が完全に白い。肺まで煙が届いていないのだろう。いわゆる吹かしというやつだ。タバコを吸い始めたばかりの人に見られる吸い方だ。
普段、いやというほど大人の余裕を魅せつけられているからか、なんだか可愛らしく思った。こんな事、口に出したら間違いなく倍になって返ってきて、赤面させられるからとてもじゃないが言えない。
「どうだい? 初めてタバコを吸った感想は?」
「……美味しいものではありませんわ」
「まだ吸いたい?」
「いえ、もういいですわ。お返しします」
「それがいい。タバコなんて、吸うもんじゃない」
返ってきたタバコの吸い口にうっすらと紅が付いていた。何故か、妙に色っぽく感じたと同時に、フェンリスに対して強く「女」を覚えた。
「何も……聞かないのですね……」
紫煙が、夜風に舞い、うっすらと流れ、消えていった。
「あの男が言った事がゆっくり、今になって効いてきました。やはり、私達フェンリルは人の目から見ると奇異に映るのでしょうか?」
それは、いつかはくると思っていた質問。複数の部族が一塊で生活しているというのは、この世界ではほぼあり得ない事らしい。部族ごとの住み分け。それが暗黙のルール。
そして、そうした風習はつまり、人は他部族とは交わらない事も意味している。だがここはどうだ? 部族の境目なく共に生活し、最近では異なる部族同士で恋愛をしているという話しまで聞く。
フェンリスの問いに、俺を筆頭に、ここにいる者は口をそろえてこういうだろう。「そんな事はない」と。だが、そう思わない人間の方が多いのも事実だ。そして今、フェンリスはその事を気にしている。
俺としてはそんなくだらない事でフェンリスが悩む必要はないと思っている。どうすればこの気持ちをフェンリスに伝える事が出来るだろうか?
「ここにいる人達はそんな事思ってないよ。俺だってそうだ。じゃなきゃ俺は今ここにいない」
「同情……では?」
潤んだ瞳で、上目遣いで言うフェンリス。背の高いフェンリスの上目遣いは、とても儚げだった。
人である俺にはフェンリスの気持ちはわからない。きっと過去には人による排斥があったのだろう。でなければ色々と説明がつかない部分がある。
エルフは最初全く俺の事を信用してくれていなかったし、ドワーフは強制労働させられていた。鳥人族にしてもそうだ。人間に虐げられていた。フェンリルもきっとそうだったのだろう。
人よりも強いのに、人よりも弱い。
「そんな事はないさ……。態度で示すよ……」
ゆっくりと、本当にゆっくりとお互いの吐息が近づいていく。
「旦那様……」
フェンリスとの初めてのキスは、大人の甘さと同時に、タバコの味がした。
「ふ……う」
月の灯りに照らされた銀色に光る糸がゆっくり垂れた。
「わかってくれた? フェンリス」
「フェン……と、お呼びください」
「フェン……」
夜は長い。今だけは、全てを忘れよう。
『人狼フェンリス 愛情度200 レベル81 育成度360』
ランクアップ。好感度→愛情度
夜は長い(意味深)
次回はカンナ。




