八話
一時は寝る為のエネルギーを得る場所としか考えてなかった現実世界。
だがナリカ……いや夏莉奈がこちらの世界に引き戻す切っ掛けを作ってくれた。
しかし今はそれを見失い、俺の興味、興奮を刺激してくれたものたちは、霧がかかって見えなくなってしまった。
あれだけ夢中だったヴァモスでさえ、色あせてモノクロームに映る。
……まったく自分らしくない。
初志貫徹。
徹頭徹尾。
それが俺の生き方だったはずだ。
自分を取り戻す方法は分っている。
それは充足していたあの頃に戻ればいいだけだ。
だがそれには夏莉奈の存在が必要だ。
彼女だけが仮想世界と現実世界――その興味のバイパスを繋いでくれる存在だ。
しかし仲直りというものはどうすればいいんだ?
話かける?
話をするにしても何を話せばいい?
学校の休み時間。
教室で窓の景色を眺めて、黄昏れている夏莉奈を横目に見た。
彼女は今は一人でいる。
教室には他にクラスメイト達がいるとは言え、声をかけるには最適な状況じゃないか?
なんて言おう……第一声は?
いきなり謝る?
いやまさか……こんな人前でありえない。
衆目を集める事になって、なおさら彼女の怒りに火をつけるだけだ。
じゃあ完全に一人になるまで後を付けるか?
いやいや、それじゃあ完全にストーカーだろう。
と、仲直りの切っ掛けを探るものの、結局夏莉奈と顔を合わせることは出来なかった。
彼女に正面からぶつかっていかなければならない時なのに、無意識に逃げてしまっている。
関係の修復方法が分からない……。
これが人とのコミュニケーションをないがしろにしてきた弊害なのか……。
そしてそれは、彼女の方も同様のようだ。
授業中に視線を感じ、そちらの方を振り向くと、だいたい夏莉奈が俺を見つめていた。
俺に気付かれたことを察知すると慌てて目をそらし、決まって、怒ったような悲しい様な複雑な表情をする。
このまま進むと、以前のようにいがみ合うことすらも出来なくなるかもしれない……。
俺は焦りを覚えていた。
落胆しつつ学校から帰宅した俺は、すぐにパソコンに向かう。
しばらくはヴァモスから離れるつもりだったが、どうしても気になることがあり、ネットで情報を集めることにしたのだ。
気になることと言うのは当然ナリカの事だ。
あの魔王陥落劇のすぐあと、新魔王がナリカになったと告知があった。
もしもナリカが魔王に選ばれた暁には、俺は彼女の宰相として辣腕を振るうつもりでいた。
何十ものプランもすでに立案してある。
だがいま現在、あの仲違いのせいでナリカ政権に助力する事が出来ない。
……しかしなんというタイミングの悪さだ。
彼女の力になれない自分がはがゆい。
ネットの掲示板を流し読みしていく。
「…………やっぱりか……」
ナリカ政権の支持率は非常に悪いようだ。
頑張ってはいるが空回りしているらしい。
あと「実力不足も甚だしいからはやく降りろ」などの、辛辣な書き込みもあった。
それもそのはず、彼女は前政権でも非常に高い地位にいたが、それはほとんど自分の力で成したものでは無い。
全ては俺の暗躍があって、無理矢理に、実力不相応の地位へ押し上げたのだ。
ヴァモスで実力を上げるには、何度も何度も死ぬ必要がある。
彼女は不器用なので、おそらくは下手だろう。
だからうまくなるためには普通の人以上に死ぬ必要がある。
だから俺は、彼女に危険な事は一切させなかった。
例え仮想現実とは言え、ナリカが何度も死ぬところを見るなんて耐えられるわけがない。
ナリカ自身は「魔王様の為にもっとうまくなりたい!」と息巻いていたのだが、なんとか言いふくめ戦闘は絶対にさせなかった。
その弊害だろう。
全面的に俺が悪い。過保護にしすぎた。
今の彼女では、おそらく今夜を越える事はできないだろう。
今でも十分過ぎるほど保っているぐらいだ。
壁掛け時計を見上げた。
指している時間はちょうど0時。
スリープニィールが賑わい始める時間である。
ヴァモスでの戦闘も激しさを増している事だろう。
チクチクと動く秒針を眺めていると、刻一刻と魔王ナリカの終焉が近づいているように感じる。
何もしていないというのに、額に汗がにじみ出る。
眠る事もできず、助けに行くこともできず、そのままネット掲示板でヴァモス内のリアルタイム情報を集め続ける。
その新着情報に、驚きの情報が書き込まれているのを発見する。
「…………っ! また勇者7人が魔王城に攻めて来ただと!?」
十中八九この間の連中だ。
いったい連中どういうつもりだ?
俺ならともかく、実力不足の新人魔王にそこまでする必要は無い。
半分の戦力でも十分すぎるくらいで、はっきり言って過剰戦力。
いじめに近い。
あの連中は標的を嬲る悪癖があった事を思い出す。
俺が闘った感じでは、マナーもなにもあったもんじゃない下品な連中だった。
ナリカはとびっきりの美少女だ。
きっと奴等の嗜虐心を駆り立てる事だろう……。
いったい何をされるかわからない。
想像はどんどん悪い方向に膨らんでいく。
「どうする? 助けに行くか……いや、でも……」
もし助けに行って「アンタ何しに来たの?」と言われた日には……。
夏莉奈の性格上、そんな事も言いかねない。
それにもし助けに行ったところで、最下級魔族に堕ちた俺の身では、勇者7人に対抗する事は難しいだろう。
……だが……それでも!
「……いや、行こう! 何が出来るか分らないけど。何もしないより何倍もいいに決まってる!」
そうと決まったら急ごう。
服を脱ぎ捨てTシャツとパンツ姿になると、睡眠装置のヘッドギアを装着しベットに滑り込んだ。
その時ブブブとバイブ設定になっていた携帯が動き出す。
メールが届いたようだ。
送信者欄を見ると、
「……ナリカからだ!」
急いでメールを開く。
そこには期待とは裏腹に、何も書かれていない――空白の空メール。
これをどういう意味に取ればいいのだろう?
俺に何を伝えたかったのか?
本文を書く暇がなかったのかもしれない。
いや、間違えて送ってしまっただけかもしれない。
だけどナリカと付き合ったときに交わした――『ナリカが窮地に陥った時、俺を呼んだらなんとしてでも助ける』という約束。
それを彼女はきっと覚えてくれているはず。
だから俺はこのメールを、ナリカの『助けて』というメッセージだと信じる事にしたんだ。
「……ヤバイ…………全然眠れない……」
焦っているせいで睡眠状態に入れない。
ナリカのメール着信から、15分も経ってしまっている。
それを考えると更に焦ってしまって、入眠できる気がしない。
「仕方がない……少々強引な方法を使うか」
隣の部屋に行き、寝ぼけている妹を強引に起こす。
「うぅ……なぁにお兄ちゃん……」
寝ぼけまなこを擦りながら起きてくる妹。
非常に眠そうである。
可哀想だが緊急事態だ。
この帳尻はいずれ返すと心の中で謝った。
今気付いたが、妹はパジャマの上着しか着ていない上にボタンも一個しか止めておらず、そのボタンも段違いに止めている。
寝るときは下着を着けない主義のようで、非常に肌色率が高い。
「と、とりあえず服をちゃんと着ろ!」
兄妹とは言えさすがにヤバイ。
なんせ妹とは一歳しか離れてないのだから。
いつの間にかおっぱいもたわわに実り、腰はきゅっと締まり、お尻も張って……。
とにかくすごく目に毒な格好である。
「もぉ~、わたし眠むいのにぃ……」
「緊急事態ですぐ睡眠世界に入りたいんだ! だから絞め落としてくれ!」
その言葉を聞いて眠気が吹っ飛んだのか、目が爛々と輝く妹。
「えっ! いいの!」
「ああ、遠慮無くやれ!」
「やったあ。久しぶりのプロレスごっこだねお兄ちゃん。よーし、何で落とそっかなー」
舌なめずりする妹。
格闘技オタクの妹は、格闘技と名の付くものはなんでもやる。
特に絞め技と関節技が得意で、俺をその実験台にする事が大好きである。
「な、なるべく痛くするなよ」
「大丈夫、大丈夫♪ すぐにイかせてあげるから♪」
「おいコラ、手をボキボキするな! 全然大丈夫に見えないぞ! あ、おいっ……!?」
おっぱいが俺の体にあたる。
そのまま大外刈り気味にベッドに寝かされて、頸動脈が絞められていく。
「えいっ♪」
「ぐえ……」
ブラックアウトしていく現実セカイ。
最後に妹の、妙に上気した表情が目に焼き付いた。
「……ハッ!?」
まず森林の匂いを鼻孔に感じ、俺は目を開けた。
ここは魔王城近くの、魔王転落後に飛ばされたあの沼地のようだ。
魔王城からはかなり近く、走って5分ほどの位置。
だがナリカの居る場所はおそらく玉座の間――そこは魔王城最上階にある。
さらに魔王城内部は構造が複雑で、玉座の間に辿り着くのにもかなりの時間がかかる。
そのとき地を揺らすような轟音と共に、城の最上階付近から黒煙がもうもうとあがった。
くそっ、もう玉座の間近くまで攻め込まれているのか!
急がないと!
「待ってろナリカ!」
全速力で駆け出す。
蹴られた地面の土が削り取られて跳ね上がり、空を舞う。
俺は走りながらコンソールを出現させた。
まずは足系装備とスキルで素早さをアップさせる。
コンソールを手早く操作すると、皮の足靴から《赭駆のブーツ》に変わる。
素早さのステータスも上限まで上げる。
だが全然遅い。
魔王時代の敏捷さと比べると、まるで海の中で走っているみたいだ。
しかしこのクラスではこれが限界だ。
次に武器。
超上級武器は大量に所有しているが、筋力ステータスが低すぎて現状では扱えない。
俺は初心者用の細身の剣を選ぶ。
安い武器だが汎用性には優れている。
次にスキル。
この先の展開を予測し、これから必要になるであろうスキルを習得していく。
これで最低限の準備は整った。
だが“功績”が無いので、あまりにも弱い状態だ。
まずは勇者を一人倒し、功績を手に入れる事ができれば……。
魔王城の正門が見える。
さらに足の回転を上げていく。
1秒でも早くナリカの元に駆けつけたい――その一心で。
魔王城の構造を知り尽くしている俺は最短距離を突っ切り、ショートカットを駆使し、玉座の間に辿り着いた。
玉座の間では、ナリカは勇者達に囲まれ――なぶられるように攻撃されていた。
だがナリカは見た事も無い強い意志の目で、奴等を睨み付けて屈服する事から抗っていた。
「ナリカ!!」
「……魔王様っ!?」
奴等ならばあっさりナリカを倒せただろう。
だがいつでも倒せると踏んで、実力差を傘に舐めプレイをしてもてあそんでいた。
絶対許せる話ではない…………。
だがその怠慢が、ナリカの命を繋いだと言える。
なんとか間に合ったのだ。
周りに味方――護衛の将兵がひとりもいない事に気付く。
みんな倒され……いや、逃げてしまったのか?
どうもナリカは部下の掌握に失敗していたみたいだ。
他の将兵が現場に居たら、共闘してナリカを助けるという希望的展開も想像していたのだが、状況は最悪らしい。
助けに来たのは俺だけ。
俺一人で最強勇者達に立ち向かわなければならない。
「……なんだお前?」
怪訝そうな目で見つめてくる勇者達。
獲物で遊んでいたところを邪魔されて不機嫌そうだ。
奴等の人数をカウントしていく。
1、2、3…………あれ……6人?
前回より一人少ない。
どうやら不在なのは黄金騎士。
ツイてる……奴が居ないなら、なんとかなるかもしれない。
俺はナリカと連中の間に、滑り込むように割って入った。
「よくも好き勝手にやってくれたな勇者ども! こっからは俺が相手だ!」




