六話
「どうしたんですか魔王様?」
執務室のソファーに座ってボーっとしていた俺を、クリクリとした大きな目で心配そうにナリカが見つめてきた。
どうも知らぬまに疲れが顔に出ていたようだ。
駄目だな俺は……。
彼女と正式に付き合って二日目だというのに、早くも心配をかけてしまうとは……。
「実は学校で予定外の仕事を押しつけられてね。ちょっと疲れたのかな?」
俺は基本的に睡眠世界では、現実世界の話はしない事にしている。
だが恋人には、ちゃんと理由を包み隠さず言った方がいいだろう。
「お疲れなのですね……。大丈夫ですか魔王様? わたしに出来ることがあったらなんでも……」
表情を曇らせるナリカ。
「ごめん。もう大丈夫だから。心配かけて悪いな」
「……いえ」
ナリカはふるふると首を振った。
「……そうだ魔王様! えい♪」
「わっ!?」
彼女に抱きつかれて引っ張られ、そのまま膝に頭を乗せられる。
いわゆる膝枕だ。
柔らくて後頭部が気持ちいい。
それに彼女の香しい体臭が漂ってくる……気がする。
夢の中なのが非常に惜しい。
「魔王様は頑張りすぎです。今日はこのままゆったりしましょう」
「ああ……それもいいかもしれないな」
人間側に放った枝によると、今日は大きな襲撃はまず無い。
今日の予定は城の警備計画を見直すつもりだった。
しかしたまには、ナリカと二人でまったりするのもいいかもしれない。
髪を撫でてくれるナリカの小さな手。
部屋に流れる癒しの音楽。
穏やかな陽射し。
夢の中だというのに更に眠たくなってきた。
「気持ちのいい陽射しですね」
「ああ……そうだな。こんな日に執務をするのも馬鹿馬鹿しいかもな」
「あ……では、今日は」
薄目で彼女の顔を覗くと、わくわくとした表情が見える。
「そうだな。たまには休みにしようか」
「やったあ!!」
彼女はよほどうれしかったのか鼻歌を歌い出し、それが膝を通じて振動となって俺の後頭部に響く。
「それじゃあ、どんな事をしましょうか?」
「ん? 俺はこのままナリカの膝を借りて、ナリカと雑談していたいな……いいかい?」
「もちろんです魔王様!」
とは言っても何を話そう?
そうだ。この機会に色々質問して、ナリカの事を深く知っておこう。
なんせ恋人同士なのだから。
「ナリカはどういうきっかけでこのゲームを始めたんだ?」
「あ、友達に誘われて……」
俺がその事を聞いて少し渋い表情を見せたのに気付くと。
「もちろん女友達ですよ」
「そ、そう」
ふぅ……よかった。
平静な振りをしてたが、心の中では無茶苦茶焦っていた。
こういうゲームをやるのは男の方が多いからな。
「その友達はどうしたの? まだヴァモスやってるの?」
「あ、その友達というのが『自由気まま、好き勝手』って感じの子で、誘ったわたしを放置して、敵を追いかけてどこかに行っちゃって……」
「あはは……」
「残されたわたしは、どうしたらいいのかって感じで。ゲームはあまりやった事なかったですし、これからどうすればって悩んでいた時に敵の集団に囲まれて」
それってもしかしてあの時の……。
「夢の中といえども悪漢に囲まれる体験というのはすごく怖くて……武器の一つも持っていない状況でしたし……。でもそんな時に魔王様がさっそうと現れて、敵をいとも簡単に倒してわたしを助けてくださって」
「あ、やっぱりナリカと初めて出会った時の話だったのか」
「はい、そうです。その時の魔王様がホントにかっこよくて……実はそこからずっと好きだったんですよ」
「あはは、ありがとナリカ」
ちなみにあの時はまだ魔王じゃなかったんだけどね。
「じゃ、じゃあ今度は魔王様の番ですよっ。なにかお話を聞かせてください」
好きと言ったのが、今更になって恥ずかしくなってきたのか、彼女の顔が真っ赤に染まっている。
やばい……可愛すぎる。
「お、俺の話と言っても、なにかおもしろいものがあるかなあ?」
ヴァモスではほとんどナリカと過ごしているので、俺が知っている事は彼女も知っているし、当然その逆も然り――話題にはなりにくい。
かといって現実世界の話をしても、あっちは勉強一色の灰色の日々なので話題には適さない。
適当な話題が見つからなくて窮していた俺を見かねたのか、気を利かせてナリカから話題を振ってくれる。
「そういえば、学校でとてもお疲れになったとおっしゃってましたよね? どんな仕事だったのですか?」
「あ、ああ。空き教室の掃除だよ。なにやら文化祭の模擬店に使うとかで」
そう言うとピクリとナリカの膝が震えた。
……あ、あれ?
なんかいま周囲の空気がすごく重くなった気がする。
気のせいか?
「一人で……?」
「あ、いや、クラスメイトと二人で」
「それは女の人?」
あ、あれ……ナリカの様子がおかしい。
まるっきり尋問口調である。
この空気の重さの発生源はどうもナリカらしい。
「ど……どうしたのナリカ急に?」
「質問に答えてください! ……それは女の子?」
「そ、そう女の子」
なんだ?
一緒に掃除をした相手が女の子だったから、嫉妬でもしているのだろうか?
実はナリカはすごく嫉妬深い子だったとか?
「その子はもしかして1年B組?」
「う、うん」
「その子の身長は低い、高い?」
「た、高い……かなぁ?」
「平均身長よりかなり高いですよね、その子?」
「そ、そうだね。結構高いね」
え、いや、まさか……そんな馬鹿な。
この質問の向かう先が、ある一つの悪い結論として、頭の中に浮かび上がる。
でもまさか……そんな事……!
そんな馬鹿げた偶然があるとでもいうのか……!
だいたい“彼女”とナリカは似ても似つかな――
「その子の名前は静家夏莉奈って言うんじゃないですか?」
とっさに俺はナリカの膝枕から飛び退いた。
「お、おまえもしかして夏莉奈……なのか?」
「…………そうよ。“チビ男”くん」
決定的な事実を突きつけられ、俺は頭の中が真っ白になった。
「ったく……姿形が違いすぎるからまったく気付かなかったわ……」
「そ、それはこっちの台詞だ! なんで現実と真逆の姿で、正反対の性格をしているんだよ」
「そ、それはアンタもでしょ!」
今のナリカは目がすわっていて、見た者みんな避けていくような威圧するオーラを携えていた。
外見はあの可愛らしい小動物のような姿なのに……。
あまりの豹変ぶりに、まるでナリカに何かが取り憑いたようにも思えた。
「……なんで気付かなかったんだろ?」
そう独り言をつぶやき、肩を落として落胆するナリカ。
「ねえ……だいたいアンタ、なんでリアルと180度違うカッコしているワケ?」
「それはこっちの台詞だ。お前がナリカと同一人物だなんてわかるはずないだろ! おまえ入学のときより更にギャル化が進んでて、そんな奴がこんなゲームにハマって、そんな姿で可愛いキャラを演じてて、それで偶然こんな身近にいたとか気付くわけないだろ!」
「っ!? ギャルって……。あ、あれはわたしの趣味じゃない……! と、友達に似合うからと勧められて、どうしても断れなくて……」
見た目と違って、案外友達に染められるタイプなのかコイツ?
スリープニィールでのアバターは、理想の自分の姿を映し出す。
俺は低身長がコンプレックスだったから、スリープニィールでの姿は高身長になった。
ならば逆に高身長がコンプレックスだった夏莉奈ならば、ナリカのような可愛らしい容姿になるのも不思議ではない。
よく考えてみればわかることだ。
ただあまりにも現実とギャップがありすぎて、そんな想像に行き着くわけがない。
「と、とにかくこんな事実が発覚したんだから、付き合うって事も考え直さなきゃ……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! こんな事で別れるのか? たしかに現実世界のお前とは、入学初日からいがみ合っていた。だがそれが理由で、レイドとナリカとして親愛を深めていった日々も、全部無かった事にする気か?」
「……わたしも本当に魔王さ……あなたが好きだった。でもわたしはそんなに頭の切り替えが早く無い。こうなった以上、あなたと付き合って行く自信がわたしには……無い」
ナリカはうつむいてギュッと自身の身体を抱きしめた。
「俺にはある! 俺はお前が好きだ! それはお前が夏莉奈だったとしても、その気持ちは変わらない!」
「わたしは……分らない」
「分からないはずが無い! 嘘だそれは! ナリカと過ごした日々。痛いくらいに好きだって気持ちが伝わってきた。それがすぐに消え失せるなんてありえない! それに夏莉奈として初めて出会った時だって、俺達は仲良くできた……できていたんだ! そのあと仲違いしてしまったのは、ただボタンを掛け違っただけで……そんなのこれからいくらでも修正していける!」
必死に訴えかけたが、ナリカはうつむいてしまって言葉を返してはくれない。
迷っているのか?
そうだ。夏莉奈だってナリカの時は幸福の日々だったはずだ。
ナリカは何度も「魔王様と居られて幸せです」って言ってくれた。
あの日々を捨てるなんてできやしないはずだ。
だが数分間の沈黙の後、告げられた言葉は残酷なものだった。
「あなたとの関係、いったん白紙に戻しましょう…………少し考えさせて」
そう言い残してナリカは部屋から出て行ってしまった。
頭が真っ白でなにも考えられられない。
放心状態の俺は、彼女が出て行ってしまった扉を、未練がましくぼーっと見つめていた。
――ズガガガガオオオォォォッ!!
その時、激しい揺れが魔王城を襲った。
揺れは断続的に続き、爆発音や悲鳴も階下から聞こえる。
たぶん魔王城に人間族の襲撃でもあったのだろう。
魔王の責務として撃退に出向かなければならないが、俺は行く気になれず、ソファーに深く座り込んで頭を抱えた。
後悔ばかりが頭に浮かぶ。
手順を間違ったのか?
彼女を説得して弁解する方法がなにかあったはずだ。
いやそれより、なぜ俺は彼女の後ろ姿を追わなかったんだ。
彼女もそれを望んでいたかもしれないのに……。
だが全ては後の祭り。
時は元には戻せない。
なぜもっとうまくできなかったのかと……。
なによりも自分に一番腹が立つ。
悲鳴と爆破音が段々と近づいている。
襲撃者が間近まで迫ってきているようだ。
魔王城には撃退設備や、側近の強者が数多く居るはずだが、こう易々と上階に進んでこられるとは……。
よっぽどの大軍勢で攻めて来たのだろうか?
当然狙いは魔王である俺だろう。
闘う義務があるが倦怠感が全身を包み、とてもやる気が起きない。
……すべてがめんどくさい……いっそ戦いを放棄しようか?
蹴破られ吹き飛ばされる執務室のドア。
そこから襲撃者が侵入してくる。
どれほどの大軍を用いて、魔王城の堅固なる防備を突破してきたかと思えば……意外。
その数たった7人。
「おっ、いたぜ魔王レイドだ」
「玉座の間に居ねえと思ったら、こんな所に引きこもっていやがったかチキン魔王」
「……弱そうだ。本当に7人も駆り出す必要があったのか?」
「まあいいじゃん。楽しければ全てよし♪」
だがその7人が全て――
「…………7人全員が勇者……だと!?」