三話
俺が通う高校では、学食か購買か弁当の3つの選択肢がある。
俺はいつもパンだ。
弁当なぞ作る暇はない。
昼休みはパンを片手に勉強がいつものスタイルである。
クラスメイトには勉強狂の変人だと思われているらしい。
「よう冬人。相変わらずチビってんなぁ」
勉強に集中し始めた時に、友人から苛つく言葉かかる。
確かに俺はコンパクトな155センチだ。
だが、けっしてチビではない……はずだ……たぶん。
それにまだ高校一年生。
まだまだ成長の望みはある……はずだ……たぶん。
「はーん? 予習勉強なんぞやってんのか? そんなもん睡眠装置でやれよ」
こいつは貫谷丙斗。
得意技、人を苛つかせる事、空気を読まない事。
「バカ言え。勉強なんかに睡眠装置が使えるか……もったいない。寝られる時間は有限だ」
睡眠時間の価値を分かっていない丙斗に、俺はあきれた視線を向けた。
――――睡眠装置スリープニィール。
いわゆる明晰夢を意図的に見せ、夢の中で勉強が出来るという、本当の意味での“睡眠学習”を可能にした画期的発明だ。
それだけでもスゴイというのに、この装置はそこからさらに進化する。
夢をネットワークで繋いで他人と共有化し、通称“睡眠世界”で他人と会う事が出来る機能を搭載したのだ。
まだまだ進化は止まらない。
睡眠装置に様々なアプリケーションをインストールする事によって、勉強だけに留まらず『学習・練習・作業・遊興』などを、夢の中でおこなう事を可能にした。
例えばスポーツアプリは、トレーニング空間を夢の中で作り出して練習する事ができる。
仮想ライバルなどを登場させて競ったり、自分の身体を自動運動させイメージトレーニングする事ができる。
このアプリによって記録が飛躍的に伸びた選手も数多くいる。
カンパニーアプリは、簡単に言うと夢の中に会社があって、そこで仕事が出来るアプリ。
起きていても仕事、寝ていても仕事。
想像しただけで発狂しそうな悪魔のアプリだ。
ブラック会社では必ずと言っていいほど導入されており、それによって仕事をリタイアする人が続出し、社会問題化している。
ワールドアプリは人気ナンバー1のアプリだ。
戦国時代や中世西洋などの生活を体感できる。
人気の秘訣は楽しみ方の広さだろう。
兵士となって国の為に闘ったり、所帯を持って当時の様式で生活したり、かつて流行っていた商売を始めたり。
単純に観光気分で、在りし日の町を歩くだけでも楽しい。
もっと刺激を求める方々には、SFチックな未来の世界や、まったく新しい架空世界や架空戦記も体感できる。
その他にも――アスレチック、テーマパーク、シネマ、ショッピングモール、ゲームなどの様々な専用アプリが存在し、これらのドリームアプリが睡眠装置普及の鍵となった。
だがそれよりも強力な、この装置が爆発的に普及した理由は別に存在する。
「まあ勉強なんかに使うのもったいないよな……ああ、わかるぜ。なんせ睡眠時間中しか装置は使えない訳だし。貴重な睡眠時間を使うならやっぱあれだよな……エロ夢だよなエロ夢」
鼻の下を伸ばした間抜けな顔で丙斗は言った。
エロ夢――アダルトドリーム。
通称AD。
つまりエロい夢を見る為のドリームアプリ。
用意された美女が夢の中に登場し、口では説明出来ないイイコトをしてくれる。
人物を創造する機能もあり、写真や映像、そして高いイマジネーションがあれば、実在する女の子そっくりな人物を登場させる事もできる。
これが睡眠装置の爆発的普及のトリガーになったと言われている。
かつてビデオテープ普及に一役買ったアダルトビデオのように。
いつの世も、人を突き動かすのは性欲なのだろう。
「……おい、十八禁だろそれ」
「アホか、みんなやってるっての。今日なんて学校美少女ランクのTOP10までをカスタマイズして作って、それでハーレムプレイしたぜ。あの倉林先輩も福村後輩ちゃんも、嫉妬まみれで俺を取り合うんだよ。それでしょうがないから『いいから同時に来な』って言ってトリプルプレイよ。それを見たほかの8人からまた嫉妬されてよ。もうめんどくさいからまとめて相手してやったぜ…………あー、思い出しているだけでたまらんわー」
丙斗がゲスい話を堂々とし始める。
それも大声で。
……こいつは周りの目を気にするという事を覚えた方がいい。
ひそひそと周りから囁く声が聞こえ始めた。
う、気付けばクラス中の女子達が、ゴミを見るような視線で見ている。 ……それも関係ない俺にまで。
「お、おい。声がデカ……」
「それでよ、起きてパンツの中を見たらすごい事になってて、危うくその悪臭で二度寝しそうになったぜ。アハハハハ」
……くっ、恥ずかしい……。
教室の隅でイチャイチャしているリア充カップルが、こちらを指刺して笑っている。
そのカップルの隣でムスっとしていた、俺の因縁の相手――静家夏莉奈もフンと鼻を鳴らした。
丙斗が笑われている事にやっと気付き、カップルを見て悪態を漏らす。
「ふん。あの男の方、女喰いまくりの羽尾って奴だぜ。ヤリ捨てられた女は手と足の指じゃ足りないって噂だ。女の方もバカだよなー、使い捨てさせられるってバレバレなのによぉ」
その言葉が羽尾の耳にも届いたのか、少しムッとした表情を見せたのち、こちらに中指を立てて煽ってきた。
そしてこちらにリア充っぷりを見せつけるように、白昼堂々と女とキスをした。
ただのキスでは無い。
舌で口腔をかき回し、吸いつく様な激しいディープキス。
およそこんな教室の中、衆人環視の中でする様なものでは無い。
カップルの隣に居た静家夏莉奈も、それを見て何とも言えない様な苦い表情を見せた。
「うげえッ……空気最悪だぜファック! うぎゃあ、蕁麻疹まで出てきやがった! あー、外いこうぜ外。そんで昼寝しようぜ。今日はあったかいし気持ちよく寝れるぞ」
「バカ言え、昼寝なんてもったいない真似できるか。今のうちに“起き溜め”しとかないと」
羽尾が女に何かを耳打ちし、またもやこっちを指さして笑う。
そして女の方も追従するようにこちらを見て笑った。
どうせ俺達を馬鹿にする話の内容なのだろう。
会話内容が聞こえないという状況が相まって、なんともいえない不快さが胸に広がる。
とは言っても、きっかけは丙斗の皮肉が原因だから、こっちに強く言う資格はないのだが。
「ケッ! きっと、あいつら起きてる間も眠ってる間もイチャイチャしてんだぜ。四六時中よくやるよ。隣の静家夏莉奈も入れて3Pでもしてんじゃねーの? 静家もギャル化が進んでるしよぉ。ぜったい羽尾に染められたんだぜ。マジビッチ!」
「おい、やめろって!」
夏莉奈とはなるべく関わりたくないってのに……。
その話が当人――夏莉奈の耳に届いてしまったのか、こちらに怒りの形相で振り向く。
そして肩をいからせてこちらへやって来て、なぜか陰口を叩いていた丙斗ではなく俺の前に立つ。
その目はまるでゴミ虫を見るかの様な、冷え切った瞳だ。
「…………」
いつまで経っても一言も発することなく、ただ無言で睨み付けてくる。
女と言えど190センチ近くの長身から生み出される圧力は相当なモノだ。
殺気さえ籠もってる気がする。
いい加減その圧迫感に耐えきれなくなり俺は、
「…………なんだよ。言いたいことがあるならさっさと言えよ」
「こっちの台詞だっての。遠くからしか悪口言えないのアンタ?」
「悪口言ったのは丙斗だ。俺は何も言ってない」
「アンタは自分が助かりたいが為に友人を売るの?」
「は? 売るとか意味分らん。事実を言ってるまでだ。俺はお前達に興味はない」
「悪口言ってるのは気付いてたんでしょ? それなら友人のアンタがたしなめるべきじゃないの?」
「何で俺がそんなめんどくさい事を……。落とし前をつけたいなら、コイツを校舎裏にでも引っ張って行ってボコボコにしたら? 空手やってるお前なら楽勝だろ?」
「…………アンタ貫谷と友達じゃないの?」
「友達だ」
呆れた様に鼻で笑う夏莉奈。
「…………サイテーね。見捨てるなんて」
その言葉にカチンとくる。
怒りっぽい性格なのは自分の短所だとわかっているが、反省ごときで止められるなら苦労はしない。
「友達の付き合い方なんて千差万別なんだよ。そういう付き合い方もある。お前の常識を勝手に押しつけるな!」
いい加減堪忍袋の緒が切れた。
せっかく言わずにいた禁断の台詞が、つい口をから漏れてしまう。
「……もうさ、結局理由なんてどうだっていいんだろ? はっきり言えよ。『俺が気にくわなくてイチャモンつけてるだけ』だってな」
「……っ! ……違う。な、なに言ってんの?」
図星。
少し怯んだのを俺は見逃さなかった。
「じゃあなんで俺にばっか絡んでくるんだ?」
「わたしはこそこそと陰口を叩く、アンタ達みたいな腐った連中が許せないだけ」
売り言葉に買い言葉。
冷静でいようと自分に言い聞かせるが、どれだけ脳に水をぶっかけても熱暴走が止まらない。
ついに俺は、避けていた禁忌の言葉を口にする。
「陰口が嫌い? じゃあ堂々と言ってやるよ。お前みたいな“デカ女”が真正面に立つと、影になって教科書が読みづらいんだよ。勉強の邪魔だ。さっさと失せろ」
――ゴグンッ!!
机を激しく叩きつける音。
その長身から繰り出される鉄槌は、机が二つに割れんばかりの威力だ。
というか実際に机の脚が曲がって、生まれたての子馬のような感じになっている。
俺達のいざこざで、先ほどまでざわついていた教室が静寂に包まれる。
そして教室全ての生徒が、俺達の一挙手一投足を見つめていた。
「……黙れ“チビ男”」
女性が発したと思えない――低く、重い声が、夏莉奈から発せられる。
俺は溜め息を吐き出した。
これ以上エスカレートするとまずい。
夏莉奈にとっても、ここまでいくつもりは無かったはずだ。
きっと二、三小言を言って、俺に対する恨みつらみを、少しばかし吐き出したかっただけだろう。
彼女とはちょっとした因縁がある。
たぶん性格上こいつはここで引かない。
だとすれば俺が引かなければ話は終わらない。
ここで逃げると、女にビビった情けない男と周りに映るだろうが全然構わない。
現実世界の評価なんて『目玉焼きに何をかけて食べるか議論』よりどうでもいい。
俺はすっかり怯えてしまっている丙斗の方を振り向き声をかける。
「……行こう。外行くんだろ?」
「お、おう。そ、そうだな」
夏莉奈の横を素通りして教室を出て行く。
夏莉奈は追ってこなかった。
廊下に出るとさっきまで子リスのようにブルブル怯えていたのに、丙斗の態度はマッハでいつもの調子に戻り、興奮気味の顔でまくし立ててくる。
「あーやっぱ夏莉奈美人だよなー。お洒落だし、モデルスタイルだし、ちょっとギャルくせえのはマイナスだけど、そんなもん帳消しに出来る魅力があるぜ。怒ってる顔なんて股間にギュンギュンきたぜ……あー、性格最悪なとことかもたまんねえ。殴られてえ~。M心が燃えまくりだぜ」
「………………マジしね」
さすがにグーパンチをせざるを得ない。
「うげぇッ!!」
殴られた丙斗は、スケートのスピンのようにクルクルと回って壁に激突した。
誰のせいでこんな目に会ったと思ってるんだコイツは。
つーか怯えてたんじゃなくて興奮してたのかよコイツ。
それにしても……はぁ。現実って何もかもめんどくさい。
リアルってやっぱ終わってる。
ああ、早く眠って彼女に会いたい。