2-C
「じゃあ、やっぱりチャリンコは修理することになった?」
またチャリンコの話が出る。織部拓哉君の中学校から乗り続けたチャリンコだ。終末期にあって、自転車屋さんに出したり、自分でも油を注している。ブレーキが壊れた次はライトが消え、かと思うと、チェーンがはずれ、椅子が固定しなくなりなど、いろいろ問題が出る。そろそろ新しいものを買うべきかな、今度は言わない。
階段でおしゃべりしていると、自分が居合わせることがどうも場違いな気がしてならない。男二人、女二人、知らぬものが見たら、カップル同士とかに見られるかもしれない。でも、実際は全然そうじゃない。
唐沢秀武、織部拓哉、下川蘭と、私芹沢奈加はクラスメイトだ、単なる。
校舎の裏側は日陰で、風通りが良くて涼しくて気持ちいい。最初に私と蘭ちゃんがいついた。そこへ、クラスメイトの彼ら二人がやってきて、彼らも居つくことになった。
蘭ちゃんがいるからだと思う。
「まあ、チャリンコは織部の良いようにして?それより、今日二限目休んでたでしょ?どこにいっていたの?さぼり?」
「しらね」
蘭ちゃんと唐沢君が会話する。
唐沢君がぶっきらぼうに答える。
「えーー、なんで?」
蘭ちゃんが聞き返す。誰に対しても言いたいことを言う彼女は、元気で明るくて、楽しい。それに、長い髪が似会う小顔の美人。いるだけで場が華やいでいる。
彼女が気さくに笑顔で話すから、唐沢君も織部君も必ずこの階段へ来ているのだ。蘭ちゃんは苦労せずとも向こうから友達が近づいてくる。友達というか、恋人候補というか、微妙だけど。
私は男の子となんて気軽に話が出来ないタイプで、楽しい会話のやり取りなんて、とてもできない。
もうかれこれ、半年は経つと思うけど、これほど身近にいて、まだうまく話せない。あはははって、蘭ちゃんのように屈託なく笑えたらいいのに。
言いたいことも言えず、蘭ちゃんにくっついているだけなんて、金魚のフンだ。まさにこの身の置き場のなさって、浮遊感がある。
「私たちも、そろそろ長いしさあ、唐沢君?」
「長いって、なにが?」
意味ありげな目線で流し眼なんかで見つめるから、唐沢君は不意を突かれて赤くなっている。茶髪で、学生服をはだけて悪そうなふりをしているけど、実は真面目な唐沢君は、奔放な蘭ちゃんの冗談にいつもついていけない。
「長いって、放課後のことよ、ここにきてからずいぶん時間が経つでしょ。のど、乾いちゃったあ、私。売店で飲み物買ってこない?」
「ああ、その長いね、いいよ、おれも何か買ってこよう」
教室の中では私たちは仲良くしないのが普通だ。
うちのクラスは男子と女子が気軽に語らうようなクラスでもない。他のグループでは、ちらほらといるみたいだが。
「宿題やってきた?あるなら見せてくれ」
などと、用事を伝える程度の会話があるだけ。
「テレビ録画したよ、いる奴、回すけど」とか。
私は階段で話している時より、教室の中で彼らの背中を追っている方が、気が楽だ。教室の中は逃げ場のない檻で、仕方なくみんな静かにしているから、ある意味同調できる。それにどんなに遠い存在でも、密室の近さでリアルタイムに中継される。
唐沢君は背が高く、がっしりした体つきで、茶髪、彫りが深い目の端正な顔。前は野球をやっていたとか。一見不良そうに見えるが、実は真面目で勉強熱心。将来は難関大学を目指しているそうな。一人で妄想して笑う癖がある。
織部君はすらりとして、肩が広い逆三角形の体をしている。子供の時からスイミングスクールに通っているらしい。物静かで温和な人柄のさわやかスポーツマンに見えるが、先生に目をつけられている校則破りの常連。違反学生服とか、タバコとかちょっと吸ったりしているらしい。外見は悪そうで実は真面目な唐沢君とは正負が対象だ。でも、校則破り程度で、本当の不良とは違う。うちの学校ではソレが不良になるけれど。
唐沢君と織部君は、教室の中ではあまりつるまない。どちらも別の友達の男の子とゲームの話とかふざけあったりしている。男の子は始終べったりというわけでない。
「でね、昨日メール送って、待ってたの。そしたら、やっぱり明後日だって」
女の子たちは特定のお友達とつるむものだ。蘭ちゃんは特に心配ごとがあると、私の所へ来る。
唐沢君は友達相手にくくっと笑っている。
織部君は、部屋の隅で頭が金髪で校則違反制服のクラスメイトと何事かをひそひそと話している。織部君は何をしているのかわからない部分がある。
「もっと話したらどう?」
蘭ちゃんがいきなり直球を投げつけてきた。私の頭に砲丸がぶちかまされる。
「なんのこと?」
「分かっているでしょ。あいつら、いや、特に、あいつ」
蘭ちゃんはひそひそ織部君のほうを指さす。
出来ることならそうしたいものだと、達観している自分がいる。
「ごめんね、一人だけ黙っていたら、気を使うよね。水差すよね」
「そうじゃないのよ。私らは好きなことをしゃべくっているだけだから、気なんて使ってない。奈加が無理にしゃべらなくてもいいのよ。言うことが本当にないのであれば」
声を少し強めた蘭ちゃんほど、私は自分では心配していない。
心配していない?わけではない。
自分でも微妙な表現だと思う。本当は気にしている。
お決まりの蘭ちゃんの心配事だ。
「ああ、いい。なにを言っても、あんなには逆効果になるんだから、悩まないで。ただ、答えて。楽しいの、楽しくないの?はい、どっち?」
楽しくないとは言ってない。
なんだか拗ねたようになった。
蘭ちゃんは言いすぎて悪いと思ったのか。むくれた。
「じゃあ、今のままでいいの?」
それでも、わざわざ追及したいらしい。
蘭ちゃんも唐沢君も、織部君も、私を気遣っている。私は疎ましく思われているのではない。それはとてもうれしいことだ。でも、こういう立場はそう長続きするもんじゃない・・・と分かる。
私が邪魔なら、私抜きでやった方が、あなた達にとっていいんじゃない?ああ、勝手にどうぞ。その方がすっきりするでしょ?
自分への反発心が芽生え、反動で思ったりする。
「無理してんじゃない?」
私はさらに申し訳ない気持ちになる。
私は蘭ちゃんのいらだちや不安や焦燥が分かる。私も同じものを常々感じていたから。
いったい私はどうしたらいいんだろう?
それから私はどうしたいのだろう?
いらただしさに代わって、どうにも抑えようのないものが噴き出てくる。こめかみの血管も大きく脈打ち、背中の筋肉が肩までつり上がる。
私だって話したかった。
彼らとなんでも話したい。特に、織部君には。
彼はとても優しげな感じがするから。
「奈加に悪いから」
うつむいている私の顔の変化は、蘭ちゃんには見えていない。
「もし、なんだったら、休憩場所三階の物理室に変えようか?なんて思っているの。友達に聞いたら、結構空いているって言うの」
私のせいで?
私と蘭ちゃんだけが場所を変える。
それは私には耐えられないことだ。
何か言おうとしたけれど、ふがいない私には言葉が出てこなかった。
「よう、芹沢奈加」
放課後、校舎の北口を出たところで、織部君と会った。
例のチャリンコを前に座り込んでいる。
人が来る気配に気づくと、顔だけ回して私を見て、穏やかに笑った。
織部君とはこうして良く二人きりで会うことが多いから不思議だ。寄寓の縁ってあるのだろうか?話すチャンスがいつも来る。常は決まって、じゃあと別れるものだが。
織部君はモテテいる。彼を好きな子を私は二人ほど知っている。物静かで優しそうに見えるからでもあるし、けれど、いつも不良連中とつるんで遊んでいて、ワイルドな一面も持っているからだろう。どこか危険な魅力がある、謎の多い人だ。制服なんて今日は、改造ものの変なズボンだ。
私はといえば、髪を一つに束ね、メガネをかけて、制服は規定のまま。蘭ちゃん以外に友達は少ない。学生時代は勉強大事だと、がり勉一筋の生活。まっすぐに帰るのが普通。真面目、われながら、感心するほど真面目。
危険とは無縁の私とは何がどうした?なぜ、こんな人とつながりを持ってしまったのか?
「階段へ行くん?」
「あの、いえ、今日はもう帰るの。蘭ちゃんも唐沢君も塾だから」
「あ、そうか。じゃあ、しゃあないわな」
私は意気消沈するのが自分でも感じられた。織部君のしゃあないは、私と二人きりでいてもしゃあないという意味だ。
確かめるすべはない。
ただ、もし、私と二人きりでいても仕方ないと思っているのなら、絶望的だ。
相手にどう思われているのだろう?
「また、チャリンコ壊れちまってさ」
織部君はお構いなしに自転車に向き直る。
「え、うん?」
私は危険な獣に近づくように、一歩一歩恐る恐る近づいた。
織部君は自転車の踏み台を持って、ぐるっと回した。チェーンが回転する。
「でも、直ったみたいだ」
織部君はチェーンと格闘した証拠に真黒になっている
「もう駄目だな、このおんぼろ自転車は。あちこち壊れちまって、直してもきりない。新品に変えた方が楽だな。と思わないか、これ」
勇気を出すタイミングが後ろから襲いかかってきた。私はよろめくのを感じた。呉の孔明のようにこの機に乗じることを甘んじることにする。
「新しいのに変えないの?買ったやつ、あるんだよね」
「そうだな・・・」
織部君は考えこむように黙った。
「直し続けたせいで、愛着が生まれて捨てらんねえ。でも、俺、本当のところは新品にも変えたいんだ」
私は次の言葉が言い出したくて言いだしたくて、今か今かとうずうずした。そのタイミングには明らかに乗り遅れていた。
「解決策の一つは、俺が新品に変えて、こいつを誰かにもらってもらうって手。乗ってもらうと、自転車って動き続けるからさ。せっかくここまで生き延びたこいつのことを、出来うる限りこれからも、生き延ばせてやりたい」
一見ぼろの自転車。でもこの自転車は生きているのだと、強く感じた。
「けど、こんな古いのやるって言っても誰ももらってくれないだろう。だから、俺が最後まで乗り続けてやるしかないと思って」
「その自転車、織部君にとって大事な自転車なの?」
言えた。
「いんや、高校に入る時にもらった。兄貴のお古の安い自転車だよ。別に意味はない。それほど・・・」
古さほどこめられた特別なものはないことに、織部君もおかしいと思ったのか、苦笑いをした。
私もしばらく解けなかった疑問の答えが見えて、自転車の存在がおかしくて、笑いが込み上げてきた。
「あのさ、ひとつ、言いたいことがあるんだ」
ふと、彼はまっすぐにこちらへ目を向ける。
「英や、下川には言ったんだけど、奈加ちゃんには言ってないことがあるんだ」
「なに?」
何だろう?ことによっては穏やかならぬことではないか。私一人だけはずすとは。まあ以前からその雰囲気はあったか。
全く予想もつかなくて、平静を装ったけど相当うろたえていた。
「奈加ちゃんには、聞けなかったんだ。奈加ちゃんは俺と余り話をしてくれなかったから」
私は言われて、突然自責の念にとらわれた。織部君もそんなふうに思っていたなんて、私はいいわけすることも、謝ることもできず、立ち尽くした
「言いたいことって、なに?」
私はもう姿勢がぐらついていたし、頭が沸騰寸前だった。織部君が立ち上がると、いいにおいがする。
「あのさ」
何だか、聞くのが怖い。
私は甘い考えでめまいを覚えた。
まさか?
「この自転車、もらってくんねーかな?」
がくっ。
いや、私ごときが、何を期待したんだ?今?
「いやあ、このおんぼろ、申し訳なくて、人様にはちょっとやれねえだろ?でも、お前なら、いつもつるんでいるからさ、ま、いっかーなんてさ」
無邪気に話す彼の底抜けの陽気さが、今はなぜか寒々しい。
「いらないわな?ちょっと、聞いてみたたけだよ、ははは」
豪快に笑った織部君を、私ははははと力なく笑った。
結局、私は話ずらい相手でしかなかったのだろう。古びたチャリンコを譲る相手としても最後で。
「で、これどう?」
本気とも冗談ともつかぬ口調で、真顔で言う織部君に、私は良い意味で体の力が抜けていた。こんなにも簡単に話せるものなんだなあと知る。
「いる」
「え?」
「いる、自転車。もらってもいいよ」
自然と私は答えていた。
翌朝、とにかく自転車で学校へ行くことにした。
私は古びて薄汚れた黒い自転車に乗って、家を出た。
人に使われてきた痕跡というか、使い込み具合が目立って、織部君のことが思い出されて、近づくのも遠慮しがちだったが、思い切って乗ればなんてことない。
ハンドルには手の跡らしき黒染みがあり、前のかごはカバンの形に歪んでいたり、サドルには踏みしだかれて削れた跡がある。
織部君の痕跡だ。見つけるたび、すごく得した気分になった。
風が気持ちいい。
流れていく景色も違う。
お母さんが、今朝送りだしてくれるときに見て、自転車欲しいのだったら、新しいの買ってあげるけど?と心配していたのを思い出す。
一人笑いがこみ上げる。母はとても変な顔をしていた。道行く人も変な目で見ているような気がする。おんぼろ自転車。私は笑いが止まらない。
段速の壊れた車輪は固い粘土を踏んでいるように重い。
学校が見えるあたりにくると、私の息は少し上がっていた。同じ制服を着た子たちが、同じ方向へ向かっている。
校舎の裏手の自転車置き場へ行くと、屋根のある長いアーケードに、自転車が所狭しと並んでいる。針金状の自転車立ての使い方が分からず、自転車を持ち上げて何度もひっかかる。
と、自転車置き場から、いつもの私たちの居場所の階段が見えた。
階段の近くの目の前にテニスコートがあり、ふとみると、そこに人影がある。
蘭ちゃんだ。あとから違う人影が現れる。唐沢君だ。
二人はとても親密そうな仲で、手など握ったり、離したりして姿を消す。
ふうん。どうも、付き合っているみたいだ、あの二人。
私はある部分驚かなかった。蘭ちゃんは美人でもてたし、いつか誰かと付き合うだろうなと思っていたから。
でも、本当はショックだった。蘭ちゃんは幼稚園から知り合った長い友達だ。お互い成長するのを見てきた。互いに互いのことを知る唯一の友達だと、きっと私たちは思ってきた。でも、知らぬこともあるのだと気付いた。知らないこともできてしまったのだ。いつまでも、同じままではいられない。これからは、知らないことも出来ていくのだと・・・
予想はしていたものの、後から後から、バーンと衝撃波が襲って来た。私の周囲の空気を震わせた。自分が遠い世界に独りぼっちで飛ばされた気がした。
突然、悲しさが込み上げてきた。人間はしょせん一人なのだ。どうあらがっても。
と、私の手の中にある自転車が、異様なものに感じられた。
私は蘭ちゃんに置いていかれて、織部君の自転車に一人乗った。
どこをどう間違ったのか、そんなことを思った。
この自転車は私を捉えて連れ去った悪い魔物。
こんな自転車なんて、いらない。
乗らなければ良かった。
「柴沼、どうだ調子は?」
自転車置き場で私を見つけた織部君が、声をかけてきた。
「今日、俺、新しいので来たよ。お前のは乗りづらくなかったか?」
今さっきの感情を上手く処理できないことを感じながら、私は動揺を隠せてない顔をそのまま彼に向けた。出来ることなら、全部帳消しにしたい。穴があったら、入りたい。
私の手元が緩む。と、自転車は倒れた。
はっと気付くと、倒れた自転車はサドルが飛び、車体は裂けて二つに分かれ、かごはぐにゃりとつぶれ、他様々な部品が地面に散らばっていた。
「あーあ。倒したな。倒したら駄目なんだよ、この自転車」
別に驚いた様子もない織部君が、ため息をついた。しょうがないなというように、しゃがんで、部品をかき集め出した
「これが本当の姿。また最初から、組み立てなおさなきゃ」
「ごめんなさい」
私はいっそう動揺してしまった。織部君にとてつもなく悪いことをしてしまった。でも何も出来ない。どうにもならない後悔だけが積み重なっていった。
「いいよ、こんなぼろ自転車もらってもらって、こっちが悪いよ。よく乗って来れたよ、お前。また乗るか?よかったら、直すけど」
怒る様子のない織部君を見ると、私は後悔も忘れて、つい彼の優しさに乗じてしまいそうになった。
「あ、奈加。いたいた、ほんと、いた」
そこへ、蘭ちゃんが、上履きで走ってきた。私が垣間見たことに気付かぬ楽しげな笑顔だ。遅れて、後ろから唐沢君も歩いてくる。
「織部から聞いたよ、自転車もらったんだって?」
蘭ちゃんは散らばった自転車を見ると、
「あちゃあ、すごい壊れっぷり」
と驚いた様子。
次に私に目をうつして、ほほ笑みを向ける。
私は再び暗雲に包まれる。みるみる私の人相が変わるのがわかる。心臓を太鼓で打たれるみたいだ。笑いたいのに笑えない。悲しみたいのに悲しめない。複雑な感情が私を満たす。
蘭ちゃんは私に何か言いたげにしていた。
でも、今は蘭ちゃんの目は光に満ちて、本当に楽しそうに輝いている。つい先ほどまであると思っていたものに、私は懐かしささえ感じる。いつも蘭ちゃんの後ろについていた私。くっついて、漂っていた私。
私はそれで満足だったのだ。彼女の曇った眼を見ることで、いつも、いつしか、安心を得るようになっていたというのに。
私は蘭ちゃんの目がまぶしかった。私には蘭ちゃんが異相の存在に思えた。
私の目から涙がこぼれる。まぶしさに目がくらんだ夜行性の動物のように。
「奈加?」
蘭ちゃんの手を振り切って、私は彼らに背を向けて歩きだした。泣いたことが恥ずかしくて、次に走りだした。
私は教室の中で、我に返った。
一時間目の現国の授業が始まっていた。
左手にはネジを持っている。
冷静に自分を見ると、何をしているのだろうと不思議でならなかった。
昨日から私は変だった。織部君の自転車をもらい、朝は彼の自転車に乗って登校して、浮かれていた。かと思いきや、蘭ちゃんに恋人が出来たことで、泣いて暴走してここまで走ってきた。いったい蘭ちゃんが何をしたというのだろう?蘭ちゃんは悪くない。悪いのは私じゃないか。
彼らと上手く話せないで、織部君の自転車も壊し、逃げ出して・・・
織部君が、せっかく私に自転車をくれると言ってくれたというのに。
駄目な私。
言いたいことも言えない不器用な私。なにもかも上手くいかなくて、行っても戻るばかり。上手くいったと思ったら、このざま。
「奈加」
授業が終わると、蘭ちゃんが近づいてきた。
私は茫然として、彼女を見る。
「ごめんね、わたし・・・」
先に私が謝った。
蘭ちゃんが慌てて言う。
「唐沢と一緒のとこ、見た?さっき階段にいたの。唐沢が奈加のこと見たって言うから、もしかしたら、私たちのこと見られたんじゃないかって」
「うん、でも、違うの、それは」
私はそれが原因ではないと言うつもりで、首を振る。
「ごめんね、私、言わなくて。でも、隠していたわけじゃないのよ。いや、隠したことになるかもしれない。でも、私は、奈加が自分の本当の気持ちに気付くまでは、裏方に徹しようと思っていたの」
「え?」
自分の知らぬところで、蘭ちゃんがそんなことを考えていたのを気付かなかった。
「奈加は、きっと織部君のことが好きなの」
直球より早いものが飛んできて、私は息をのんだ。鉛だ。鉛のボールだ。あらゆるものが音を立てて壊れ始めた。
「彼も、まんざらではないのじゃないかな?奈加のこと」
「彼はもてて、綺麗な子がいっぱいまわりにいるのに?」
「あんまり言うと、織部に怒られるから、これ以上は言わない」
蘭ちゃんはにんまりと笑った。
織部君がまさか、私のような子を好きになるわけがない。
だけど、ぐるりと世界が回転する。
ああ、そうだったのかと。織部君はそうだったのかと思った。
蘭ちゃんはそうだったのかと思った。
胸の奥に空いた穴がふさがり始める。先ほど出た涙も消えていく。
かなわないな、と思った。
蘭ちゃんの裏方計画も、織部君のことも、私の力では予測も出来なかった。すべて、私の理解の外で動き回っている。私にはお手上げた、まったく。
私は自分にあきれて、ため息が出た。
「でも、黙ってて、ごめん。」
蘭ちゃんは後悔を顔に浮かべて、顔をゆがめると、目に涙を浮かべた。
「ごめん、奈加を泣かせるつもりじゃなかったの、なのに、私・・・」
「蘭ちゃん、ちがうの」
私はあきらめと、感謝することの気持ちがないまぜになりながら、さわやかな気分で言っていた。
「わたし、ただちょっと驚いただけ。蘭ちゃんが私から離れてしまえば、私はどうなるだろうと思ったりして、急に考えさせられて、でも、あの時すぐ、もう分かっていたの」
蘭ちゃんは困ったようにすすり上げた。でも、私が怒ってないと気付いたようで安心した様子だった。
「確かに奈加はしっかりしてなくて、注文つけるところはいくらでもあるけど。でも、奈加は私の友達だから。そのままでいいのよ。私の一番の友達だから、そのままでいて。何も変わる必要ないのよ」
私は大きく息をつく。新鮮な空気が、胸を満たした。閉じて潰れそうになった心も、膨らんで行くのが分かった。
これでいい。
彼女らには愛おしいと思われるなら、私は必要なのだろう。今の私でも。
また世界が私に満ちたら、私は追いかけていけばいい。
またネジを持って走ればいい。
思いがけない告白が聞けるなら、楽しみじゃないか。
その時が来るまで、私も話す努力をしよう。
彼らを追いかけていこう。私からも。
読んでいただきありがとうございます。