8.殺処分・イエスの危機
「あの泣き声は?」 わたしは職員のおじさんに尋ねる。
(子犬の鳴き声がわたしの耳に張り付いた)
「犬舎から聞こえるようですね」 とおじさんは答える。
引き取り手のない犬達を”収容”している場所なのだと言う。
そこを見たいわ。とわたしは言った。
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剥き出しのコンクリート。
壁の上方に開けられた小さな窓。
とても淀んだ空気。
(そこには犬の姿は見えなかった)
職員のおじさんが案内してくれたその場所は、牢屋だった。
鉄格子に背を向けて、設置されたスチール製の机。その上でラジオが音楽を奏でている。
机に座った職員の二人がわたし達に振り向く。
あ、と小さく驚いたのは坂東だ。
こんにちは、とお辞儀をする同僚の加藤さん。
どうも、とお辞儀をする坂東。(とても困ったような顔をしている)
おじさんが見学の旨を説明してくれる。
わたしは二人に会釈した。
「子犬はどこですか」とわたしは聞く。
「さっきまで鳴いてた子犬は?」
職員の加藤さんがわたしに答えた。(坂東は目を伏せていた)
「これから処分されるところです」
今朝、残りの犬達は殺処分が決定したのだそうだ。
地下室で処置されるところだと加藤さんは言う。
「坂東!わたし、その犬に会わなくちゃいけないの!」
わたしは唐突に大声を出していた。
職員さんたちがびっくりした顔でわたしと坂東を見つめる。
「知り合いでしたか」と加藤さんがつぶやく。
黙っていてごめんなさい。とわたしは謝る。
「でもお願い。ワンちゃんに会わせて」 わたしは彼らに頭を下げた。
坂東がとても真剣な顔をしてわたしを見つめ、そしてわたしの手を握り・・・走り出した。
「おい!ちょっと坂東よぉ!!」後ろで加藤さんが叫ぶ。しかしわたし達は走り続けた。
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わたし達は地下室のドアを開けた。
そこには、収容所(監獄)よりも一回り小さな部屋があった。
犬たちは、鉄製の扉の向こうに詰め込まれている最中だった。(とてもたくさんの犬達が鳴いている)
わたしはその瞬間に理解した。
犬達が死の恐怖に怯えていることを。
全ての犬達を救う事などできないことを。
そして坂東が犬達の中から一匹のジャックラッセル・テリアを抱きかかえた。
わたしは残りの犬たちに頭を下げる。ごめんね、と心の中でつぶやく。
地下室の職員さん達にも頭を下げて、わたしたちは階段を上った。
わたしは怖かった。
あの部屋が。
そこで処置される全ての動物たちの悲劇が。
わたしは子犬を抱きかかえたまま、全身の震えが止まらなかったのだ。
坂東が心配そうにわたしを覗き込み、頭をなでる。
わたしが流す涙が、子犬の頭に落ちる。
そして子犬がわたしの顔を舐めた。
涙をなめた。
わたしの涙は止まらなかった。