桜花の目
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うう、さむさむ……また寒い季節がやってくるよ、こーちゃん。
いよいよ秋も感じる時間がなくなってきたなあ。ちょっと前まで夏の暑さだ~て、あえいでいたのが、もう寒い寒いと嘆いている。
これ、人間でも騒いでいるところだけど、他のみんなにとってはどうなんだろうね。平然と受け入れられるのだろうか。それとも、季節に乗り遅れて、まだ時季外れのかっこうのままだろうか。
旬のもの、という概念がある。その時季、その季節に見合ったものがあり、それを提供するのが望ましいことだと。
逆に旬からおおいに外れてしまうものがあれば、それは警戒対象かもしれないね。自然に逆らってまで、そこにとどまる。あるいは何かを成そうとしているのだから。
僕が昔に体験したことなのだけど、聞いてみないかい?
それは桜の花びらだった。
最初は視界の端へ、ちょこっと影がかかるくらいだったよ。
ものもらいとか、たんこぶやおできのたぐいとかかな、と想像したけれど鏡によくよく映してみても、それらしいものは見当たらない。
目の疲れかな、と意識して睡眠を長くとるようにし、酷使する機会も少なくしていったつもりだが、一向に改善されない。かといって、僕が少し我慢すれば誰にも迷惑はかからない。
わざわざ心配かけたくないしなあ……と、僕は家族には黙っていた。このような些事で病院へ行くなど、みんなの手をわずらわせて迷惑だろう、とも思ってね。
そうして、極力気にしないように努めている僕の目の前にあらわれたのが、例の花びらというわけ。
桜がまだ咲いている、なんて線はない。
11月に差し掛かる時期だ。新しく咲くのにも、まだ早い。
そのはずの花びらが、ふとした瞬間に視界をちらつくようになったんだ。
飛蚊症の一種と考えるのが、現実的な判断じゃないかな。これもまた僕が気にしなければいいものだ……と、やはり相談しないでいたよ。
花びらは、ふとした拍子に舞う。視界をどこかへひょいと向けたとき、一瞬だけ目前を横切っていく。
桜のそれだと、視認できるくらいの時間はあるが、いざ動きを追っても実際に花びらが地面に転がってはいない。
また僕の視界の邪魔をするのか、くそったれ~と、やはり病院にはいかずに、自分の怒りのパワーだけで克服しようとする僕。
病は気からが真ならば、気で病を吹き飛ばせないなら嘘っぱちだろう。
そう考え、自分にとって不都合な花びらが舞うたび、心の中で殺気まじりに毒づき続ける僕。
それを煽るかのごとく、花びらは姿を見せる頻度をあげていく。たとえそれが、視線を動かした先でなかったとしても、歩いている途中で。ぼけっとしている最中で。授業を受けている真っただ中でも。
――きさま~、学校行くのもタダじゃないんだぞ! お前が学費を払ってくれるのか? お~ん?
もはや、暗示というか言いがかりというか。理論三段飛ばしの感情で、どうにか気力を奮い立たせ、症状の回復をはかる僕。
頭の片隅に、「ひょっとしたら、自分の力ではどうにもならないんじゃ……」という不安がちらりとかすめたのも否定はしない。
でも、解決は思わぬタイミングでやってきた。
当番が決まっている、とある掃除の日。トイレを担当し、トイレットペーパーを補充しようと用具入れを開けた僕は、そいつと目が合ってしまう。
見た目には、手のひらに乗る芋虫のごとき姿。けれども、その先端部に不釣り合いなほど大きい、目玉がくっついていた。
その形、本で見た人の眼球にそっくりのような……。
などと思っている間に、僕は両目に激しい痛みを覚え、手でおさえながら悶えてしまう。
どうにか手を離したときには、もうその芋虫の姿はなくなっていたんだ。そして、僕自身の視界もまた正常に。桜の花びらが散ることもなくなっていた。
僕のあの視界を持つ目、本来はあいつのものだったのではないか。僕はその代理なり、育てる係なりだったんじゃないか? なんて考えちゃうんだよ。




