開けられないんです。
「えーと、市村くんはここのロッカーを使ってください。それから佐山くんは…えーと、そう、ここですね。原則として会社で使用するもの以外の持ち込みは禁止してるんだけど、まあ~そうは言っても使い道は人それぞれだから君達に任せます。えー、それから作業着は渡したよね。では着替えたら再びミーティング室に来てください」
「はい。わかりました」
市村信彦と佐山健はともに25歳。2人は同期でここK社に入社した。主任の中村浩二の案内でロッカー室に入り、2人は着替えながら話を交わした。
「佐山さんって歳は僕と同じなんだよね、家は近いんだっけ?」
「いやぁ、けっこう遠いかなぁ~駅まで自転車で行くし、そこから電車で30分かかりますよ。ところで同い年なら名前にさん付けするのやめない?」
「そうだね。じゃあ佐山、よろしく!」
「こちらこそよろしく、さあ着替え終わったところだし、行こうぜ、市村」
「ああ、行こう」
実は2人は面接会場で一緒になり、すでに顔見知りであった。今日、再びここで会ってK社でともに働くことになるわけだがお互い年齢が同じであることも手伝って最適の仕事仲間となりそうな雰囲気であった。
ミーティング室で2人はともに自己紹介を済まし、ミーティングが終わると中村主任の案内で作業現場に向かうのであった。仕事内容はそんなに難しくないが、けっこう体力を使う作業が多く、終了間際にはかなりの汗をかく2人であった。一日の初仕事を終え、市村と佐山はロッカー室に入るとちょっと気になることがあった。先に気付いたのは市村である。
「あれ?入口を入ってすぐ手前にあるロッカー、誰も使ってないみたいだぞ」
「そうだな。別に壊れているわけでもなさそうだしな」
そう言って佐山が名札のないロッカーの取っ手に触れようとすると、いきなり背後から中村が飛び込んできて言い放った。
「おい、待て!そのロッカーを開けてはいけない!」
「えーっ!」
「ダメだ、開けるな」
「わ、分かりました。でも、どうしてです?」
「いや…事情は後で話す。しかし、開けてはダメだ」
中村主任が制することでロッカーを開けることのなかった佐山。しかし佐山は気になって仕方がなかった。会社を出た2人はもよりの駅まで歩きながらあのロッカーについて話を交わした。佐山が首をかしげながら言う。
「いやぁ~びっくりしたなぁ、誰も使ってないロッカーだと思うからちょっと開けようとしただけなのに。あんなに慌てて開けるのを止めようとするなんて。かえって気になるよ、市村どう思う」
「事情があるとか言ってたよな。それが気になるよ」
「何かヤバいものでも入ってるのかな?麻薬とかぁ~」
「バカな、まあ後で聞いてみりゃあいいじゃないか」
あくる日、市村はロッカー室で着替えながら中村から教わった仕事内容を頭の中で整理していた。そんなに難しい仕事ではないが慣れるには時間がかかるかな?などと思いながら着替えが済んでロッカーを閉めると、入口付近の方向から何か怒り口調のような話し声が聞こえた。声のする方に向かおうとすると、出会いがしらに佐山と出会った。彼はキョトンとした表情で市村を見ている。
「おお、どうした佐山、いまなにか話していなかったか?」
「えっ?俺、なにもしゃべってないよ、というか、お早う!」
「ああ、お早う。でもおかしいな、確かに誰かが怒っているような声がしたんだけどな」
「いや、今ロッカー室にいるのは俺とキミだけだよ。他には誰もいない」
「気のせいか?でもそんなはずはないと思うけどな」
「耳鳴りじゃないの?たまにあるらしいよ、誰もいないのに声が聞こえるとか…脳が疲れるとそういう幻覚症状が起きるらしい」
「いやそこまで疲れているとは思えないけど…」
2人はロッカー室を出ようとすると歩いていた市村が足を止め、佐山に言った。
「そうだ、ちょうどこのあたりだよ声がしたのは」
「そ、そうか?でも誰もいないよ」
そう言いつつ、いつしか2人の視線は部屋の出入り口付近にある、中村から開けてはいけないと言われたあのロッカーに釘付けとなった。声がしたのはこのロッカーのある場所だったからだ。
「このロッカーってやっぱり気になるよな、なんで誰も使っていないんだろう?」
「中村主任に聞いてみるか?前に後で事情を話すとか言ってたし」
昼の休憩時に食堂に入った市村と佐山は、偶然に見かけた中村と同じテーブルで食事をすることになった。市村があのロッカーに関する話をすると中村は思い出したかのように「ああ~その件についてだよね。じゃあ、食事が終わったら僕のあとについてきなよ、一応、教えておくから。ただし、愉快な話ではないんだ」と言い、その後、中村を加えた3人はロッカー室に向かった。
ロッカー室の出入り口、そのもっとも手前にあるロッカーの前に3人は立っていた。
「このロッカーねぇ、不思議だろ?ロッカー室のこんな手前にあるのに誰も使用せず空きロッカーになっているというのが。10年前くらいに社員がこのロッカーの中で首を吊って自殺したんだ。もともと重度の鬱病を患っていたんだけど、その社員は午前中はごく普通に仕事をしていたように見えたんだけど昼休みを終えて午後から姿がなくなったって何人かが社内を探したけど見当たらなかった。次の日の朝、同僚がふとこのロッカーを開けたら、上部にある水平棒にロープを巻いて首を吊った状態で発見されたんだ」
「そ…そうなんですか。それでこのロッカー、なぜこのままなんです?」
「動かそうとした最初の人がロッカーに手を掛けた瞬間に心臓麻痺を起こして救急車に運ばれ病院で手当を受けたが助からなかった。次に動かそうとした人はやはりロッカーに触れた瞬間にくも膜下出血で亡くなった。そういうことが2度、3度続いて気味が悪くなり誰もがこのロッカーの恐れをいだくようになった」
「それでこのまま放置しているわけですか」
「その後も手前にあるからと言ってこのロッカーに私物を入れていた社員があくる日に車にはねられ…あくびをしていた表情のまま即死したり、さらに入社したばかりの社員が何気なくこのロッカーを開けたら次の日に自宅の洋服ダンスのハンガーラックにロープを掛けて謎の自殺。それからもいろいろと災いが起きて誰もこのロッカーを開けたり動かしたりする人がいなくなった」
「……」
「まあ…そんなところだ。だからこのロッカーには触れないでくれ、最初は気になって仕方がないだろうが…な~に、日が経つにつれ、そのうち慣れてくる。脳が意識しなくなる。視野から消える」
「は…はあ…そういうものですか」
「そういうものだよ。さあ、説明は以上だ、職場に戻ろう」
仕事が終わり、ぞろぞろと従業員達がロッカー室に入っていく。市村は彼らを観察していた。中村主任が言っていたとおり、誰も手前の空きロッカーを見る人はいないし、そのロッカーについての話も聞かれない。皆、意識していないようであり視野から消えてなくなっているようにも思える。
(本当のところはどうなのだろうか?)
市村は近くで服を着替える男に目をやった。上着を着ると携帯をチェックしカバンを取り出して帰ろうとするところを市村は何気なく声をかけた。
「入口付近にある空いているロッカー、気になりませんか?」
「はあ?あ~アレかぁ、いや別に気にならないってわけじゃないけどよ、それは言っちゃ駄目なんだ。意識するから。分かるだろ?じゃあな、お疲れ。アンタも気をつけろよ」
男はそう言って自分のロッカーをバタンと閉じると急ぎ足で部屋を出て行った。市村は思った。ここの従業員達は自分や佐山と同じように主任から話を聞いていてロッカーを無視するように言われているのだろうと。主任が口にした意識しなくなる、視野から消えると言った言葉が皆に浸透しているのだ。ここで働くための条件として、気になる感情を断ち切ってそうした心の迷いを克服する必要があるのだと。だとすると自分もあのロッカーの存在を消し去らなければならない。市村はそう考え始めた。
いつしかロッカー室には市村と佐山だけが残された。皆が皆、急いで帰るのでドタバタした後の静けさというか、なんとも妙な気分になる2人であった。部屋を出ようとすると佐山があっけらかんとした表情で市村に言った。
「なあ~、まさか主任の話を鵜呑みにしているわけじゃないだろうな」
「えっ!」
「このロッカーだよ」
そう言いつつ佐山はそのロッカーを軽く蹴っ飛ばした。
「おい、たとえ信じなくとも…ほら、もしもっていうケースがあるだろ?実際、他の人達もこのロッカーを避けているみたいだし、触らぬ神に祟りなしって言うし」
「へえ~市村ってけっこう信心深いんだな」
「いや、俺は別に神とか迷信を信じてるわけじゃないんだけどな、ただ、そういうものに関わりたくないだけだよ」
「そうか、俺はどうでもいいと思っている。て、いうか腹立たしく思えてきたよ主任の話」
そう言いながら佐山はロッカーを勢いよく開けた。
「おい!やめとけよ。閉めろって」
「大丈夫だよ。今日からここも使わせてもらうわ、見ろよ、中は綺麗に何も入ってないぜ」
佐山はいつもは持ち帰っている雑誌などが入ったバッグをそのロッカーに置いた。
「明日は俺専用のゴミ箱も持ってきてここに設置しよう。市村も使っていいよ、それでだいぶ帰りが楽になる」
「あのなぁ~」
「さあ、帰ろうぜ。気にしない気にしない」
その日を最後に佐山は会社に来なくなった。どうしたんだろう…携帯で連絡しても繋がらない。会社では無断欠勤扱いされている。市村は不安で仕方がなかった。彼が欠勤してから1週間が経ったその日の夜、退社した市村は以前、佐山から聞いた住所が書かれたメモ帳を見ながらそこに向かうことにした。もよりの駅から電車に乗って30分。そこから歩いて15分くらいはかかる。彼の住むアパートは空き地の多い平坦な場所の、わりと寂れたところにあった。アパートの入口付近にある佐山のポストを確認するとチラシでいっぱいになっていた。彼のいる203号室に行きドアを叩くも人のいる気配がない。
(いないのか……いったいどこで何をしてるんだろう)
それから1週間が過ぎて市村は会社に出勤した際、ロッカー室に入ると異変に気付いた。臭うのである。何とも言えない肉の腐ったような臭いであった。無論、そのことに気付いたのは彼だけではない。周囲の人達もロッカー室に入るやいなや、鼻をピクピクさせ怪訝な顔をして言葉には出さないが、明らかにその臭いに感づいていた。だが、仕事が忙しく多くの従業員が見て見ぬふりをするがごとく、市村もそれらの人達と同様、何も変わらぬ日常を過ごしているふりをしていた。
それからさらに1週間が過ぎてロッカー室の臭いがよりいっそう強くなり、従業員の中には鼻に洗濯バサミを挟んで着替える人もいるようになった。それでも皆、そのことには何も触れず仕事に精を出すのであった。市村はくる日もくる日も突如、姿を消した佐山のことを考えているのだが、しだいに何か関係しているのではないのかと思い始めた。何がどう関係しているのかは具体的には分からないが、いわゆる勘である。そしてそれは市村にとって最低最悪の予感であった。
(どのあたりから臭ってくるのだろう…)
市村はロッカー室に誰もいなくなったのを確認するとその部屋を歩き回り始めた。市村は佐山のロッカーを開けようとした。鍵が掛けられたままである。佐山が蒸発してからそのままだし、そのロッカーから臭うわけではない。部屋の奥の方はあまり臭いが強くない。やはり入口付近からだ。そうして入口まで行くと臭いが激しくなる。そうしてついに突き止めた。その臭いの元は開けることも動かすことも禁じられているあのロッカーからである。本当はすでに分かっていたことなのかもしれない。ただ、彼は真相に辿り着くのが怖かったのであった。
市村は問題のロッカーの正面に立っていた。異臭はこのロッカーの中から臭ってくる。鼻を近づけてみればそれは間違いなかった。彼は佐山の言葉を思い出していた。気にしない気にしない…佐山はそう言っていた。神や迷信などどうでもいいとも言っていた。もしや自分は気にしすぎるのではあるまいか?佐山の言うとおり気にしなければ…いや、彼はロッカーを開けたために姿を消してしまった。そして今も消息をたったままだ。
(それでも気になる。佐山はどこにいるのか…その手がかりとなるものがこのロッカーに入ってやしないのか…このままでは埒が明かない。よ~し)
「開けるのか?」
市村はハッとした。振り向くと真後ろに中村が立っている。
「主任…」
「開けるのは簡単だよ市村君。でも、それで君がどうなるのか…以前、説明したとおり何人もの人達が時にはこの世を去り、あるいは蒸発、消えてしまっている。偶然の出来事だと言えばそれで済まされるかもしれない。しかし私は信じているのです。この世には目に見えない力が働いているということを。その目には見えない、つまり物理的に証明できないものの中にこのロッカーに関する出来事というのがあるのですよ」
「……すみません。佐山さんのことが気になりすぎて…つい」
「いや、いいです。私はたまたまここを通りかかっただけです。開けるか開けないかは君次第です。このロッカーは呪われているなんて、誰も証明できませんから」
そう言って中村は去っていった。市村はロッカー室の中でしばらくは立ち尽くしていたが、結局、何もせず、そこを離れた。
それからどれくらい月日が流れたのだろうか…来る日も来る日も日増しに強くなる悪臭に耐えながらロッカー室に入る従業員達。いつしか市村も鼻に洗濯バサミを挟むようになった。そんなある日、問題のロッカーの下から赤黒い液体が流れているのを発見した市村であったが、まわりの人達は無視していたので自分もそれに従うことにした。その液体はどんどん広がってきてロッカー室全体の床を覆うようになっていった。発見した当初は清掃係がモップで拭き取っていたのだが、拭いても拭いても流れては床を濡らしていくので最近はたまにしか清掃係が来なくなった。何よりも鼻をつんざくような悪臭がここに来る人の脳を麻痺させているのであった。
仕事の帰り、市村は鼻に設置した洗濯バサミを揺らしながらロッカー室に入り自分のロッカーのあるところまで歩くと、ゼムクリップを鼻に挟んだ同僚と隣り合わせになった。最初に声を掛けたのは市村である。
「に…臭いますねぇ~」
「そ…そうか?」
「ええ、臭いますとも」
「確かに」
「あの~臭いの発生原は分かってはいるんですけどね」
「……」
「それは分かっているんですけどねぇ~」
「…開けられないんだろ」
「え?ああ~はい。そうです」
「みんな同じさ」
「そうなんですよね~みんな開けられないんですよねぇ」
「まあ、いつの日か…誰か開けるさ。それじゃ、お疲れさん!」
そう言って同僚は急ぐようにロッカー室を出て行った。佐山は未だ行方不明である。しかし皆、知っている。彼がどこにいるのかを。いや、正確には彼の遺体がどこにあるのかを。
了




