生姜焼き 〜幸せな時〜
陽は完全に落ち、少し冷たい風が出てきた。買い物を終え、北風の中を寄り添いながら家路を辿る。
「何か手伝おうか?」
家に着くなりチャカチャカと動き始めた美冬のそばで、落ち着かない様子でウロウロする貴之。
「いいから座っててって」
「いや、だけどさぁ……」
「もうすぐお風呂が沸くから、そしたら入っちゃって」
調理をしている美冬のすぐ後ろに立ち、その手元を眺めている貴之。すると、
『もうすぐ お風呂が沸きます』
給湯器のリモコンから声がした。
「追い炊きも出来るんだな」
「高級マンションだからね。この子、あと一分くらいでお風呂が沸きましたって言うから、もう入って平気だよ」
「一緒に入るか?」
エプロン姿の美冬の背中から抱きつく。
「もう!」
振り向いた美冬に軽くキスをして、貴之は浴室に行った。キッチンから出ていくのを見届けて、美冬はまたまな板に向いた。
貴之が入浴中に着々と調理を進める美冬。
「よしっと、ご飯も炊けたし」
あらかた下準備を終えた段階で、美冬は洗面所に行き、
「貴之ぃ、後どのくらいで出る?」
浴室のドア越しに声を掛ける。
「もう出るけど、一緒に入るか?」
「入りません! お肉焼いちゃうよ?」
「分かった。もう出るよ」
美冬はキッチンに戻り、フライパンを熱した。下味をつけた肉をフライパンに乗せると、ジューっと美味しそうな音を立てる。徐々に色が変わっていく豚肉を、焦がさないように様子を見ながら、二人分の料理を作っている喜びに浸っていた。
「めっちゃいい匂いじゃん」
「ひゃあっ!」
いきなり背後で声がして驚く美冬。
「ちょっと! 脅かさないでよ」
「いやいや、こっちが驚いたわ」
貴之が笑う。
ダイニングテーブルの上には、サラダや切り干し大根などが並んでいる。
「座ってて。ビール飲む?」
「ああ、サンキュ」
美冬から缶ビールを受け取り、貴之は席に着いた。テーブルに並ぶ料理を見て、
「すげぇな、実家の晩メシみたいだよ 」
そこに焼きたての生姜焼き、ごはんと味噌汁を並べ、美冬も席に着いた。
美味い美味いとガツガツ食べる貴之を見て、美冬は終始笑顔だった。貴之はごはんも味噌汁もおかわりをして、箸を置いた。
「食いすぎたぁ……めっちゃ美味かったわ」
「いっぱい食べてくれて嬉しい」
「いや、驚いたわ。生姜焼きはもちろん、切り干し大根とかも全部美味かったよ」
「えへへ。もっと褒めていいよ」
美冬はご機嫌のまま食器を片付け、
「お風呂入ってくるね」
ソファでくつろぐ貴之に言った。
「一緒に入るか?」
「貴之はもう入ったでしょ。覗かないでよ」
貴之は美冬がLDKのドアを出るのを笑顔で見送ってから、スマホを取り出した。
湯船のお湯にゆっくりと体を沈め、ふーっとため息をつく。疲れがお湯に溶けていく、そんな感覚。やはり睡眠サイクルの乱れは疲れとなって体に張り付いていたようだ。
「気持ちいい……」
そう呟くと、なぜか嬉しさがどんどん込み上げてきて、笑顔が止まらなくなった。
「私は幸せだぁ」
優しい温かさのお湯の中で、ニコニコと嬉しさに身を委ねた。
「うん、分かった。……悪ぃ、また掛け直すわ」
美冬がLDKに戻って来たのを見て、貴之は電話を切った。
「電話?」
頭に巻いたタオルをほどき、洗い髪があらわになる。
「おう。土曜のこんな時間にやめて欲しいよな」
「仕事の電話かぁ。休みの日にまで嫌だね」
「一回無視したんだけど、しつこく掛かって来てさぁ……」
ソファに座る貴之。リビングテーブルを挟んだ正面に、美冬はちょこんと座る。
「ストレスが溜まったら、私を頼ってね」
洗いたてで濡れた髪。何も飾っていないすっぴんの素顔だが、まるで女神のような美しさ。
「お、おう……」
そう答えるのがやっとの貴之だった。
「髪乾かす」
美冬はそう言って、ドライヤーの音が貴之の邪魔にならないように寝室のドアを閉めた。寝室とリビングは続き間になっているのでドライヤーの音は聞こえてくるが、テレビの音を邪魔するほどではない。しかも貴之はテレビなど観てはいなかった。
「あいつ、本当にいい女だな……」
恋愛経験はそれなりにあるし、女性の友人も多い方だろう。自分でも認める面食いの貴之は、これまで付き合ってきた女性も美人が多かった。そんな"美人慣れ"している貴之が、美冬の容姿と仕草にドキドキしてしまう。
「ワイン飲もっか?」
髪を乾かした美冬がリビングに戻って来た。
「いいね」
スーパーで貴之がカゴに入れたワイン。
「開けて」
美冬はそれを冷蔵庫から出してきて、貴之に渡した。そして冷凍庫で凍らせたキスチョコを器に入れた。
「乾杯」
ワイングラスを合わせ、ひと口飲む。
「あ、美味しい」
「だろ? 安いけど美味いんだよ、最近のお気に入りなんだ」
「でも明日ディズニーランドだから、十二時には寝よ」
美冬が言うと、
「十二時まで起きてられるかなぁ」
冷やかすように笑う貴之。
「起きてられますぅ」
そのおよそ四十分後、美冬は貴之の肩に頭を乗せて寝息を立てていた。
「十時四十五分。十二時までは程遠かったな」
貴之はクスッと笑い、グラスのワインを飲み干す。
「美冬、風邪引くからベッドで寝よう」
優しく起こした貴之に、
「んん? 寝てないよぉ」
目をつむったまま答える美冬。
「可愛いな、美冬……」
貴之は思わず呟く。
「今、可愛いって言った?」
美冬は半分だけ目を開けて聞く。
「ほら立て。布団行くぞ」
「可愛いって言ったでしょ? もう一回言って」
「分かったから。ベッドに行ったら言ってやるから」
美冬は抱っこをせがみ、貴之はお姫様抱っこで美冬をベッドに運んだ。
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次回は11月25日更新予定です。




