夜の広場
貴之に『筋肉バカ』と揶揄された圭介は、とにかく野球ばかりの青春を過ごしてきた。
「ちっちゃい頃から野球ばっかやってたんだよな?」
「うす。こう見えて小、中、高、大学まで、全部のチームでキャプテンやりました」
得意げに胸を張る。
「え? 凄いじゃん」
美冬が言うと、圭介は更に胸を張った。
「でも凄い素っ気なかったんですよ」
絵美が口を挟んだ。
「飲み会だと盛り上げ役で女の子ともワイワイやるのに、二人きりになると急に素っ気なくなるんですよ」
「ええ? 感じ悪ーい」
賑やかだけど、なんとなく奥手そう……圭介にそんな印象を抱いていた美冬は、わざと軽蔑するように言った。
「いやいやいやいや美冬さん……そうじゃないんですって。俺、女の人と二人になると、マジでワキ汗凄いんすよ」
慌てる圭介を見て、美冬は笑った。
「結構圭介くんの事いいって言う子、多かったんですよ」
「え? モテたの? こいつ」
「モテたんすよ、貴さん」
今度は絵美より先に、得意げに答えた。
「野球やってる時が本当に凄かったんですよ。ここにいるこの人とは、まるで別人……」
「ブホッ」
ジョッキを傾けている時に言われ、圭介は慌てて口を押さえた。
「絵美? 話にいちいちオチをつけなくてもいいからな」
絵美は横目で圭介を一瞥し、楽しそうに笑った。
「絵美ちゃん、次、何飲む?」
飲み物が少なくなると、貴之はすぐに気が付いて声をかける。自然に出来る気配りが、優秀な営業マンっぷりを感じさせた。
「大学の時は輝いてたんだな、圭介」
みんなの飲み物を注文してから貴之が言った。
「ちょっと貴さん、そこ過去形にしたら今が冴えないみたいじゃないっすか」
「仕事じゃ元気だけが取り柄だもんな」
「あら、取り柄があるだけマシじゃない」
「ちょっと、美冬さんまで……」
そう言いながらも貴之は、圭介を信頼していた。自分が一から仕事を教えたということもあるが、責任感が強い圭介はどんな仕事にも全力だった。
ここに来るまでの美冬の不安などつゆ知らず、むしろ美冬自身もそんな不安があった事など忘れるくらいに四人は意気投合し、楽しい時間を共有していた。
「いやぁ、しっかし美冬さん、美人っすねぇ……」
「おいおい圭介、彼女褒められりゃ俺は気分いいけどさ、あんまり言うと面白くないよなぁ」
貴之が絵美を気遣う。
「いやぁ、本当に前は、女の人にこんな事言える人じゃなかったんですよ」
横目で圭介を見ながら絵美が言った。
「俺も大人になったって事よ」
絵美は圭介の言葉は無視して、
「でも本当に美冬さん、女優さんみたい」
シャインマスカットサワーを飲もうとしている美冬に言った。
「あらぁ、お姉さん、奢っちゃおうかしら」
美冬はニンマリと笑い、冗談めかして言う。
「ああ、ほら。調子に乗っちゃったじゃん」
貴之に言われ、美冬はニャハハと笑う。
「そのニャハハがまた可愛いっす……うっ!」
とうとう圭介の鳩尾に、絵美の肘鉄が刺さった。
笑いの中、四人の時間は過ぎていった。
「いやぁ、楽しい時間はあっという間っすね」
四人は最終電車のホームにいた。
「美冬さん、このホームなんすか?」
「んーん、私は大宮方面だから」
「貴さんもこのホームじゃないし、お見送りしてくれるんすか?」
北風が四人の会話を邪魔する。
「俺は美冬とタクシーで帰るわ」
「うわっ! さすが営業部のエース。俺もそうなりてぇなぁ」
そう言う圭介の背中をドンッと叩き、
「頑張って」
絵美が言った。美冬はあくびをしている。
「眠くなった?」
「えへへ、ちょっと……」
貴之に聞かれ、美冬は少し恥ずかしそうに答えた。
「こんな寒い所で眠くなれるなんて、美冬さん凄いっすね!」
圭介の反応はいちいちやかましい。
「美冬はお子ちゃまだもんな。もうおネムのお時間なんだよな」
貴之がからかう。
「全然眠くないですぅぅ。絵美ちゃんもこの電車なの?」
「絵美はもう途中までしか帰れないので、俺がお持ち帰りします」
「はいはい、ワキ汗かきながらお持ち帰りして下さいな」
絵美の皮肉と同時に最終電車がホームに入って来た。
「貴さん、ご馳走様でした」
「ご馳走様でした。おやすみなさい」
電車が停まる直前に圭介と絵美が言う。飲み代は貴之がカードで払っていた。
「おう。明日は久しぶりの休みだから、楽しんでおけよ。絵美ちゃんもまた飲もうね」
ドアが閉まり、ゆっくりと電車が動き出す。それを見送り、貴之はそっと、美冬の手を握った。
圭介たちを見送った後、二人は駅に隣接している広場のベンチに座った。
「風が……気持ちいいな」
「寒いわよ」
一月下旬の深夜、氷のような北風のせいで体感温度はマイナスに感じる。右手を美冬の後ろの背もたれに回し、足を組んで座る貴之。美冬は貴之の隣で寒そうに縮こまる。
先程までの賑やかさから離れて二人きりになると、美冬の胸にまたモヤモヤしたものが湧いて来た。居酒屋での会話で、貴之だけでなく一緒に仕事をしている圭介も忙しかった事は分かった。だが、LINEまで無視されたことはどうしても納得がいかない。
「ねぇ貴之、いくら忙しくても、LINEくらい出来るよね?」
美冬のトーンにいつもと違う雰囲気を感じた貴之。
「ごめん……」
さっきまでのお調子者の感じではなく、真顔で美冬の目を見つめた。
美冬は目をそらす。うつむく美冬に続ける。
「相手がさ、大熊正商事じゃん? 会社全体がこのプロジェクトに社運掛けますって空気でさ、プレッシャーが半端なくて……」
「えっ?」
美冬は勢いよく貴之に顔を向ける。
「あ、いや、いいわけだよな。ごめん」
たじろぐ貴之の顔を凝視したままの美冬。
「大熊正商事って、あの大熊正商事?」
「お、おう……」
意外な質問に戸惑う貴之。
「あの上場企業の大熊正商事?」
繰り返し聞く美冬。貴之はそこで気付き、
「あれ? 言ってなかったっけ?」
確認するように聞いた。
「聞いてないわよ、凄いじゃない!」
広場の時計塔は、間もなく一時を指そうとしている。全ての路線で最終電車が終わった時間だが、この街はまだ眠ろうとしない。
「この間、どこまで話したっけ?」
「んーと……でかい仕事が取れそうなんだ、くらいまで。まだ言えない話だって言ってたよ」
「ああ、上から口止めされてたからな。そのでかい仕事ってのが、大熊正商事の仕事なんだ。十年後に創業百年を迎えるんだけど、その記念プロジェクトのパートナー企業を探してるのさ」
「それが貴之に決まったの?」
「いや、まだ決まったわけじゃないんだけど、なんて言うか、いわゆる最終選考に残れた感じか」
二人が座るベンチを冷たい風が通り過ぎるが、美冬の興味は貴之の話に集中していた。
「競合に比べるとうちなんか小さい会社だからさ、まともにやったら分が悪いんだ」
「会社の規模も関係あるの?」
「使える予算が違うからな。虹色システムズや楽園クラスの超巨大企業が全力で来るから、開発予算で劣るうちはかなり不利なんだ」
貴之はかつて虹色システムズを相手に資金面で辛酸をなめた事があり、それが脳裏をよぎる。
「私、貸そうか?」
美冬の冗談に貴之は思わず吹き出した。




