冬の刃
キンとした冷たい空気の中、足早に歩く人たち。焦っているような、浮かれているような、十二月の街には独特な雰囲気が漂っている。
毎週月曜日が発売日となる週刊さきがけ、クリスマス直前の十二月二十三日号は貴之と美冬の熱愛を記事にする計画でいた。それは重森の発案で、美男美女の爽やかな恋愛を描き、貴之の私生活を表に出して更に好感度を高めようという狙いだった。
「君が出版前に記事を見せに来たのは初めてだったな……」
大熊正商事東京本社ビルの上層階。役員フロアにある重森の部屋に通された柿崎は、応接用ソファに座り、原稿に目を通す重森を眺めていた。
「これを、世に出すというのか?」
原稿を読んでいる姿勢のまま、鋭い目だけを柿崎に向けた。
「ええ。奴の不正は、完全な証拠をもって暴かれてしまったんです。深井コンピュータが被害届けを出す前に、先手を打っておいた方がいいかと……ね」
沈黙の中、部屋の空気が張りつめる。余裕の表情を作る柿崎だが、その実、全身が緊張していた。
鋭い視線のまま、重森がニッと笑う。
「君が手伝ったんだろ?」
柿崎はその問いに対し微笑みで答え、声は発しない。
「私はね、我が社にキズがつかず、このプロジェクトが話題になれば、その内容などはどうでもいいと思っている」
手に持った原稿を机に置き、重森は少し声を低くして続ける。
「君は優秀な男だな、柿崎くん。これからもよろしく頼むよ」
そう言ってニヤリと笑った。
「こちらこそ……」
背中に感じた恐怖を隠し、落ち着いた声で柿崎は答えた。そして、
「近藤くんを呼んでくれ」
柿崎が出ていった後、重森は秘書に命じた。
「はい…………え? 今からですか?…………緊急の用事?…………分かりました、伺います」
貴之は電話を切り、
「悪ぃ、行き先変更だ。大熊正商事に向かってくれ」
運転している吉村に言った。
「なんかあったんすか?」
「うん、重森常務が緊急の用事があるって。なんだろな……」
「月曜日に出る雑誌の件じゃないですか? 貴さんの特集やるんでしょ?」
「かもな……」
そう言いながらも貴之は、なんとなく嫌な感じがしていた。
『爽やか笑顔の裏の真実。地に落ちたイケメンマネージャー』
先ほど柿崎が持ってきた、出版前の原稿のコピーだった。
「な、なんすか、これ……?」
原稿を持つ貴之の手が震えている。額には汗が浮かんでいた。
「それは、こちらが聞きたいのだが」
机に肘をつき、顔の前で手を組む重森。
「な、何かの間違いです。すぐに手を打ちま……」
「近藤くん!」
狼狽える貴之の言葉をピシャリと切る。
「深井コンピュータさんは既に調査を終え、被害届を出す準備をしているそうだ。それだけ確固たる証拠があるという事だ。それでも打つ手があるのかね?」
息を飲む貴之。
「そ、それは……」
「近藤くん、私はね、目的のために手段を選ばない、これは大いに結構だ。私もここに来るまでそれなりの事はやってきた。だがな、知られてはいけない秘密は、絶対知られてはいけない。それを知られてしまった時点で、近藤くん……」
重森の目つきが凄みを増す。
「君の、負けなんだよ」
貴之の息が止まった。
「三日後の月曜にこの記事が出る。その前にやらなきゃいかん事がある。近藤くん、君とはこれまでだ。出て行きたまえ」
「い、いや、常務、少し、お時間を……」
「出て行きたまえ!」
部屋を出る貴之の顔は、土気色に変わっていた。
「戻りましたー」
「よ、吉村っ! 近藤は? 近藤マネージャーは?」
吉村がレグルスに戻ると、オフィスは騒然としていた。
「え? なんか駐車場で待ってたら『先に帰ってろ』って電話が来たから、ひとりで戻ってきましたけど……?」
「なんだよ、どうなってるんだよ!」
慌てているは部長の楠木だけではなく、社長の姿もあった。
「ど、どうしたんすか?」
「どうしたもこうしたも、今、重森常務から直々に、契約の打ち切りの連絡があったんだよ! 理由は近藤マネージャーに聞けって。近藤の奴電話にも出んし、一体どうなってるんだ?」
「え……?」
吉村は状況が把握できず、唖然としている。
「ああ、吉村くん、仕事はいいから、マネージャーが寄りそうな所を探してくるんだ。必ず捕まえて連れて来い。いいな!」
「は、はい、分かりました」
そう言ってまた車に戻った吉村だが、貴之の行きそうな場所など検討もつかなかい。
「一体何がどうなってんだ?」
吉村はそう言いながら、とりあえずエンジンを掛けた。
地価や株価が暴落し、"バブル崩壊"と騒がれた一九九一年に貴之は生まれた。バブル崩壊の影響をほとんど受ける事がなく、比較的裕福な家庭で育てられた。
父は厳格で完全主義者、昭和初期の様に威圧的に家族に接するわけではないが、その時代としては厳しい父だった。母は被害妄想が強い女性で、貴之を溺愛していた。
小さい頃から高価で小綺麗な服を着て、最新のゲーム機なども不自由なく与えられてきた。
家族以外を"敵"と見なしがちな母は、貴之にとって脅威と感じたものは全て、理不尽な理屈で排除した。狂気ともいえるその愛情はやがて、貴之にとっても当たり前の考え方として植え付けられていく。
剣道有段者の父の影響で、幼少期から剣道道場に通い、教育熱心な母は他にもいろいろな習い事をさせた。そこで貴之は礼儀、競争心、コミュニケーション能力など、様々なスキルを身に付けた。
そして何でも卒なくこなす貴之を大人は褒め、褒められる度に"自分は特別だ"と思うようになる。
厳格な父から正義感と責任感を学び、貴之至上主義の母親の行き過ぎた愛情によって、それらが歪められていった。
「俺は特別なんだよ。日本が世界に対抗するには、ヘタレた奴らじゃダメなんだよ。俺はお前らとは違う。それが分からないなら、分からせるまでだ!」
独り言を言いながらレンタカーのハンドルを握る貴之。時速百五十キロメートルの速度で常磐道を下っていく。水戸インターで高速を降り、市街地を抜けて住宅地に向かう。そして公園脇に車を停めた。
以前、柿崎の娘にぬいぐるみを渡した公園。日曜日の午前九時、そこに柿崎の娘はいなかった。
「そんな記事を出したらどうなるか、思い知らせてやるよ」
追い詰められた貴之は、完全に我をなくしていた。
四時間ほどそこで待機し、十三時を回った頃に、柿崎の娘、野乃が友だち二人と公園に現れた。貴之はゆっくりと車を降り、野乃たちが入った反対側から公園に入った。
すべり台に登り、楽しそうに遊ぶ野乃たちに近づく。すると野乃が貴之に気付いた。
「あ、ぬいぐるみのおじちゃんだ!」
野乃はすべり台を滑り降り、貴之の元へ走った。
「野乃ちゃん、久しぶり。ちょっとおじさんと来て欲しいんだ」
「どこ行くの?」
「おじさんは野乃ちゃんのお父さんのお友だちなんだけど、お父さんが野乃ちゃんに会いたがっているんだ」
野乃は少し考えた。
「野乃、お父さんいないよ?」
「ううん、今までは事情があって会えなかったけど、野乃ちゃんにはちゃんとお父さんがいるんだ。おじさんは、野乃ちゃんのお父さんに頼まれて、迎えに来たんだよ」
少し離れたすべり台から、様子を伺っている野乃の友だち二人。
「ママに聞いてくる」
「うん、おじさんと一緒に行こう」
そう言って野乃と手を繋ぎ、車が停めてある出口に向かった。野乃はすべり台を振り返り、
「ちょっとママに話しに行くから、遊んでてー」
友だちに叫んだ。
「わかったー」
友だちも野乃に答えた。
「近藤っ! その子から離れろっ!」
突然公園の入口からスーツ姿の二人組が走ってくる。貴之はとっさに野乃を抱き、方向を変える。すると他の入口からも入ってきて、貴之はあっという間に八人の男に囲まれた。
「警察だ。大人しくその子を離せ。逃げられんぞ」
「ち、近付くな! この子がどうなってもいいのか?」
貴之は刑事を威嚇するが、刑事たちは落ち着いている。急な展開に泣き出す野乃。
「不正競争防止法違反の容疑だったが、そこに誘拐未遂が加わったな」
そう言って貴之の後ろの刑事に目配せをした。気付いた貴之が後ろの刑事を警戒した瞬間、視線から一番遠くにいる刑事が動き、貴之はあっという間に取り押さえられた。
その時公園の外にタクシーが停まり、柿崎が飛び出してきた。
「野乃っ!」
柿崎がそう叫ぼうとした時、すべり台側の公園の入口から、女性刑事に連れられた母親の真奈美が野乃に走り寄った。
「ママっ!」
野乃は真奈美に抱きしめられ、柿崎は完全に出る機会を失った。
この逮捕劇の翌日に、貴之の不正を暴いた記事を掲載した週刊さきがけが発売する予定だった。
そんな事は知らずに、入院中の萌から報告を受けた深井コンピュータの上層部が、それに先んじて被害届けを出したのだった。
それを聞いた柿崎は慌てて警察に駆け込み、事情を全て説明した。貴之が間違いなく娘の野乃を狙ってくるから何とかしてくれと訴えたのだ。
そして警視庁から茨城県警に応援要請を出し、この逮捕劇に繋がった。
「はぁ、明日の原稿、近藤が逮捕された事を付け加えなきゃならねぇな……」
騒動が落ち着き、捜査官が形式的な現場検証を行っているのを見ながら、柿崎が呟いた。
読んでいただき、ありがとうございます。
次の更新予定は2月27日、次回が最終回になります(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”




