初雪
十一月も中旬となり、乾いた北風が、落ち葉を踊らせている。野薔薇の部屋の窓からも、街路樹が風で揺れているのが見える。
「報告してくれるのはありがたいけど、最近うちに来すぎじゃない?」
野薔薇はコーヒーを注ぎながら言う。
「まぁそう言うなって。俺もなんか、こいつが気に入っちまってな」
柿崎は言いながら、薔薇のオルゴールのガラスドームを指で弾いた。
美冬が野薔薇になってからもう少しで半年が経つ。その間、薔薇のオルゴールは休む事なく回り続けている。
「みんなはどう?」
「ああ、この間は病院で萌ちゃんのベッドを囲んで、ビューティフル・ウインター救出作戦の会合をやったよ。あの好美ちゃんってのは、本当に愉快な女だな。……お、サンキュ」
野薔薇が柿崎の前にコーヒーを置いた。
「データの解析も進んでるよ。鎮痛剤やら点滴やらで集中力にムラが出来ちゃうみたいで、時間は掛かってるけどな。不正は間違いないってさ」
「そう……」
「あと米山圭介。レグルスを辞めたとこまでは話したろ? あの後東京を出たってさ。どこにいるかまでは調べてないけど、必要ないだろ?」
一瞬、野薔薇は思いにふけった表情をし、動きを止めた。
「そうね。彼は大丈夫よ」
「そっちは?」
柿崎が横目で野薔薇を見ながら聞いた。
「辰雄さんは、私が近藤の元彼女で、美冬という名前の女だと確信しているわ。近藤とよりを戻させようとしてる」
「まぁ、重森常務のお気に入りの野薔薇を、勝手にどうこうしちゃマズイと思ったんだろうな。それで常務を味方につけちゃうんだから、なかなかしたたかなもんだ」
「正直、ここまで辰雄さんが近藤を気に入るとは思わなかったわ」
「ああ。日本屈指の実力者だけど、人を見る目はなさそうだ」
柿崎は笑いながらコーヒーに口をつける。
「あなたも辰雄さんには気に入られてるじゃない」
「だからさ」
野薔薇は笑い顔で柿崎を見た。
しばらく、二人の会話は止まっていた。オルゴールに"穏やか色"に変えられた空気が、部屋を漂う。
「ねぇ……もう帰ったら? 話は終わったんでしょ?」
そんな空気の中、野薔薇の身も蓋もない言葉。
「あ、ああ……いや、あのさ……」
柿崎が言いづらそうに口を開く。
「あの……奴、どうしてる? ほら、国交省の、谷田部って言ったっけ?」
野薔薇は柿崎を見てクスッと笑う。
「心配なの? 優しいわね」
「あ、いや、そんなんじゃねぇよ。ちょ、ちょっと気になっただけだ」
「あれから来てないわ。あなたの思いやりが通じたんじゃない?」
「思いやり? そんなもんねぇって。対象にいちいち情なんか持っちまったら、記者なんてやってらんねぇっての」
「ウフフ……あなたのそういうところ、好きよ」
「んな、ちょ……あ……な……やめろ……」
柿崎は目を泳がせ、顔を真っ赤にして言った。
薔薇のオルゴールは優しい音色を奏でながら回り続けていた。
七月中旬に行った『彩の国高速鉄道未来都市計画』の記者発表からおよそ四ヶ月。
重森は貴之を積極的にメディアに出し、プロジェクトの象徴的キャラクターとして定着させた。元々人を惹きつける事に秀でている貴之は、重森の期待通りの人気者となった。
そして今日が最後の仕上げ。
『はい、皆さんこんばんは。"日本を動かす男たち 〜彩の国未来都市計画 最前線〜"というわけで、勤労感謝の日スペシャル番組をお送りしたいと思います!』
大熊正商事がテレビ局に企画を持ち込み、勤労感謝の日のゴールデンタイムに、彩の国高速鉄道未来都市計画の特別報道番組を放送した。
司会に知的芸人、アシスタントに女子アナ、ゲストに経済ジャーナリストとベテラン俳優、お笑い芸人に若手アイドルと豪華な出演メンバーを揃え、そこに貴之も特別ゲストとして出演させた。
AIによるインフラ管理、治安維持、医療や福祉などの効率化。さらに微農薬農業を実現し、完全無農薬を目指す段階に入った食の安全と生産効率――
それらをVTRを交え、笑いを織り交ぜながら分かりやすく紹介するドキュメント番組だった。
『ニュースを観てても、将来的に心配されている食糧難や温暖化、資源不足や高齢化問題など、僕たちの未来には困難だけが待っているように報道されがちじゃないですか? もちろん警鐘を鳴らす事は大事です。でも僕たちも黙って困難な未来を待っているわけではない。むしろ僕には、明るい未来しか見えてませんよ』
番組の最後に貴之が締めくくる。
『かっこいい……』
女子アナが呟き、笑いが起こったところでエンディングとなった。
重森のそつのない準備によって放送されたその番組は、平均視聴率十六・八パーセントと同時間帯では最高視聴率を取り、大成功に終わった。
週明けに貴之と柿崎を連れてクラブ華月にやってきた重森も、たいそうご機嫌だった。
ママには仕事の話をするから野薔薇以外を席に近付けないよう指示をしてある。
「いやぁ、見事だったね、近藤くん。さすがだったよ」
「この四ヶ月間、様々なメディアに出ては常務からダメ出し食らって、かなり鍛えられましたからね」
冗談を言って笑う貴之。
「野薔薇も観たか?」
「ええ、もちろん。凄くトークも冴えてて、お笑い芸人よりも笑いをとってましたよ、貴之さん」
「柿崎くん、これからもどんどん話題を振るから、記事にしてくれよ」
「それは有難いですねぇ」
柿崎も笑う。その笑顔から、貴之を失墜させるための記事を準備している事など、読み取れるはずもなかった。
「それより野薔薇、もうその"貴之さん"と呼ぶのはやめなさい。この機会に"美冬"に戻って、近藤くんとよりを戻すといい」
野薔薇はチラッと柿崎を見た。
「ああ、大丈夫だ。柿崎くんは口が堅い。なぁ、柿崎くん」
察した重森が言う。
「まぁ、野薔薇が誰であっても、俺には関係ないですからね」
柿崎は興味無さそうに言った。
「一昨日の番組で、このプロジェクトは完璧なスタートを切った。プロジェクトの認知度も近藤くんの好感度も最高潮な今、今年最後の締めくくりとして、クリスマスに近藤くんの熱愛発覚の記事を柿崎くんが書く。国中が祝福してくれるぞ」
重森の言葉に、野薔薇がためらいがちな表情を浮かべる。
「もっとも、野薔薇にその気がないというのならな。そうなったら近藤くんも男らしく身を引いて、別のプランを考えなきゃならん」
「私は……」
注目の中、野薔薇が口を開く。
「戻れるものならあの頃に戻りたい。でも、自信がないんです……」
この時、野薔薇は思い出していた。貴之と過ごした日々、最後に行った温泉旅行……あの頃に戻りたい、それは本心だったのかもしれない。
「美冬……」
貴之が野薔薇を見つめる。
「そこは近藤くんが男を見せなきゃならん! 腹はくくれるか?」
野薔薇を見つめる貴之の目がキリッと引き締まった。
「もちろんです!」
重森は満足げに笑い、野薔薇に視線を移す。
「だそうだ。もう一度、彼を信じる事が出来るか? "美冬"さん」
野薔薇はうつむいたまま顔を上げない。そして、コクリと小さく頷いた。
十二月。一年で最大の繁忙月となるクラブ華月から、野薔薇の名前が消えていた。野薔薇に辞めるつもりはなかったが、重森が金で買い取った格好だった。
「十二月に野薔薇ちゃんが抜けるのは営業的にも大きな打撃だし、何よりも寂しくなるけど、そういうわけだから……」
ママにそう言われ、野薔薇はクラブ華月を去った。
夜空を見上げると、小雨がパラつく空に、白い息が消えていく。その深夜、東京にいつもよりも早い初雪が舞った。
読んでいただき、ありがとうございます。
次の更新予定は2月25日です(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”




