コープス・リバイバー
月曜深夜の所沢は、ネオンは光っているものの閑散としていた。
柿崎は不安そうにオドオドしている谷田部を連れて、商店街の外れにあるバー『ブルージーン』に入った。
「谷田部さん、そんな緊張しないで下さいよ。せっかくの酒だ、楽しくいきましょ」
そう言う柿崎を、谷田部は忌々しい目で一瞥した。
「あなた、横領してますよね?」
「なっ! 何を言うんだ、いきなり……」
谷田部が声を荒らげる。
「落ち着いて下さいよ。別に責めようってんじゃないんだ。ちょっと話を聞きたいだけなんですから」
「そ、そんな事私がするわけないだろ。し、失敬な」
カウンター席で隣に座る谷田部を、柿崎は余裕の笑みで見た。谷田部は分かりやすく動揺している。
「さ、さっき言ってたクラブ華月だって、私は自分の金で行っているだけだ」
柿崎は大きく息を吸って、話し始める。
「あなたは省庁の管理職だ、それなりに貰ってはいるんでしょ。でもあの店に毎週行くとなると、毎月五〜六十万は吹っ飛んでいく。七月から三ヶ月弱で百五十万も使ったら、奥さんだって黙ってないでしょ?」
谷田部はオドオドしながら、スマートなジョッキに入った生ビールをガブッと飲んだ。
「三回目まではカードで払ってたのに、四回目からは現金で払うようになりましたよね?」
「そ、それがなんだって言うんだ? 現金で払っちゃいけないのか?」
「その現金、どっから来たんでしょうね……」
谷田部はまたビールをガブッと飲む。
「わ、私のヘソクリだ。文句があるのか?」
「谷田部さん、落ち着いて下さいって。最初に言ったでしょ? あんたを責めようってんじゃないんですから」
「せ、責められることなんてないぞ」
「俺にとっちゃ、横領の証拠を探すなんてわけないんですよ。あんたも百万ちょっとの金で、人生棒に振りたくないでしょ?」
谷田部は口をパクパクさせる。そしてひと息つき、
「な、何が、目的なんだ……?」
観念したように、小さく言った。
カランッ、入口ドアに付いたベルの音が鳴る。
「ちょうど来たようだ」
柿崎が入口の方を向く。谷田部も釣られてそちらを見た。
「ののののの……、野薔薇? な、なんで……?」
野薔薇は谷田部の隣に座った。
「谷田部さん、ごめんなさい。私、谷田部さんにお願いがあって。お店の近くでは話せない事だから、柿崎さんにお願いして谷田部さんを足止めしてもらったの」
谷田部は驚いて声が出せないでいる。その谷田部の耳元に口を近付け、
「さっきの話は野薔薇は知らない事ですから」
柿崎はそう囁いた。
「実は私、お店を辞めなければならないかもしれないの……」
野薔薇が話を始めた。
「前から愛人にならないかって、辰雄さんに言われてたんだけど、先週ついに本気で言われたの」
「何っ? 重森に?」
谷田部が声を出す。
「そうなの。マンションを用意するから、店を辞めて大熊正商事の秘書室に入れって。辰雄さんには恒夫さんのような人を思いやる心がないわ。私……」
悲壮な表情を浮かべる野薔薇。そして谷田部に視線を向けた。
「私、奴隷にはなりたくない!」
目に涙を浮かべて訴える野薔薇を谷田部越しに見て、
「(女ってのは恐ろしいなぁ……)」
柿崎は心からそう思った。
「そんな事はさせない! 私は何をすればいい?」
柿崎と二人だった時とは全然違い、谷田部は完全に息を吹き返した。
「大熊正商事から国交省に提出してあるレグルスのデータ。あれには不正の証拠が隠されているの。あれがあれば、辰雄さんを失脚させる事が出来る……」
谷田部は一瞬固まった。
「そ、それを、私に持ち出せと……?」
また柿崎が谷田部の耳元に顔を近づける。
「会計システムを自在に操れる立場にあるあんただ。データを持ち出すくらい、わけないだろ?」
そう囁いた。柿崎がそれを言い終わった瞬間に、
「ごめんなさい、私ったら何を……こんな危険な事、お願いするなんて」
我に返ったフリをして、野薔薇が言った。
「恒夫さんの困った顔を見て目が覚めました。私、切羽詰まって自分の事しか……今の事は忘れて下さい」
「いや!」
谷田部が意を決した顔で野薔薇を見る。
「そのくらい私には造作もない。それで野薔薇が助かるなら、やろうじゃないか!」
「谷田部さん……」
野薔薇はそっと谷田部の手に自分の手を置いた。
「この女……」
柿崎は"やれやれ"という顔をして、バーボンのグラスに口をつけた。
国土交通省 都市開発室 室長 谷田部恒夫。気が小さく、小物であるが仕事は出来る男だ。パソコンなどが苦手な世代ではあるが、仕事に関する事であれば、生まれた時からスマホをいじっている若者よりも上手に使いこなす。子供の頃から叱られないように生きてきたため、帳尻を合わせる事にも慣れていた。
要領よくログインし、レグルスのシステムを覗き見る。
「見たところ普通のシステムデータだが、これに重森を失脚させるネタが入ってるのか?」
野薔薇にお願いされてから三日が経つ。チャンスを伺っていたのもあるが、どこか半信半疑でもあった。
しばらく画面を見つめた後、"うん"と頷き、ロックを外すコードを入力した。これは管理職の権限で出来る事ではあるが、ロックを解除した履歴は残る。が、何か問題が起きない限り、これを調査される心配はほとんどなかった。
谷田部はUSBメモリを挿し、レグルスのデータを保存した。
その夜、谷田部は再びバー『ブルージーン』にやってきた。金曜の二十時前、所沢の繁華街は月曜深夜とは全然違う顔をしていた。
ブルージーンのドアを開けると、既に柿崎がカウンターで背中を丸めている。客は柿崎ひとりだけだった。
「柿崎さん」
「あ、谷田部さん、どうも」
谷田部は立ったまま、柿崎に包装された細長い箱を渡す。
「野薔薇へのプレゼントか。ネックレスかな?」
「ああ。その中にあれも入っている。野薔薇に渡してくれ」
銀座の店で受け渡すのは危険なため、谷田部は再びここに呼び出されたのだった。
「一杯くらい飲んでいくだろ? まぁ、座んなよ」
柿崎に言われ、谷田部は隣に座った。
「ビールをもらおうか……」
「マスター、この人に一番強いカクテルを」
注文しようとした谷田部に被せて、柿崎が注文をした。
「これ、野薔薇から」
柿崎はそう言って、デパートの紙袋を差し出した。
「野薔薇から?」
「ああ、三百万入ってる」
谷田部はギョッとした。
「そんな、受け取れんよ」
「いいから貰っときなって。また野薔薇の店で使えばいいだろうよ」
谷田部はためらいながらそれを受け取った。
「谷田部さんさ、さっきはああ言ったけど、その金で会社に返して、あとは今まで通り家族のために頑張りなよ。野薔薇の事は忘れてさ」
谷田部は返事をせずに、目の前の薄い黄金色のカクテルを見つめている。
「国交省だってバカじゃない。こんな事してりゃあいずれ破滅するぜ? それに、野薔薇はあんたが手に負えるような女じゃない。息子さんもあんたみたいになろうと、大学で頑張ってるんだろ?」
「いや、息子はそんなんじゃないよ。今じゃあまり口もきかんようになったしな」
谷田部はカクテルから目を離さずに答える。
「そのカクテル、"コープス・リバイバー"。死人も蘇るって意味らしいぜ。今のあんたにピッタリじゃないか。そいつを飲み干して、蘇りなよ」
谷田部は、その冷たく、美しい輝きを放つカクテルを口に含んでみた。フワッと甘い香りが広がる。ゴクッと飲み込むと、焼けるような熱さが喉に残った。
「んー……」
下を向き、それが食道を通り抜けるのを待つ。
「記者っていうのは、こんなにお節介なものなのか?」
柿崎はフッと笑った。
「デキる記者っていうのは余裕があるんだ。余裕があると、人はお節介になるもんさ」
谷田部も笑う。
「今日の仕事はこれで終わりか? ならこの死人が蘇る酒の飲み比べでもしてみないか? 負けた方の払いだ」
「……のぞむところだ」
柿崎はそう言い、自分の分のコープス・リバイバーを注文した。
読んでいただき、ありがとうございます。
次の更新予定は2月21日です(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”




