夏の終わり……
レグルスが拠点を構えるノクス神宿ビル。複数の企業が入るそのビルのエントランスはいつもガヤガヤと賑わっている。
土井がエレベーターからエントランスに出ると、応接のソファで打ち合わせている貴之と圭介を見付けた。
「よぉ、イケメンマネージャー。忙しそうだな」
「おう、土井ちゃん。皮肉なご挨拶ありがとさん。珍しいな、お出掛けかい?」
「柊警察から呼び出しを受けてな」
圭介が"えっ?"という顔をする。
「ハッ、何やらかしたんだよ?」
「仕事だよ。今度は交通映像分析システムを各交差点に設置するらしいんだが、その打ち合わせだ」
圭介がホッとした表情に変わる。
「警官侮辱罪で逮捕されないように気をつけろよ」
「余計なお世話だ。そんな罪があるか」
そう言って去って行こうとする土井の後ろ姿に、
「たまには役所の方にも顔出しといた方がいいんじゃないか?」
貴之は声を掛ける。土井は背中向きに手を振り、外に出ていった。
土井は警察署での打ち合わせの後、貴之に言われた通り市役所に寄った。
「何か不具合はありますか?」
仕事相手には一応敬語も使える。
「いえ、順調ですよ」
声を掛けておきながら、職員の返事もろくに聞かずにシステムに入った時、土井の眉間にシワが寄った。
「これ、誰かいじったか?」
「えっ?」
突然敬語じゃなくなった土井に戸惑う役所職員。
「あ、なんかエラーメッセージが出たから、その時いたエンジニアに見てもらいましたけど……」
「うちの人間か?」
「いや、あの子はどこの子だったかな……」
土井は職員の方を向く。そして低い声で聞いた。
「丸メガネの……小娘か?」
「安西さんまだやってくの? 俺はそろそろ帰るけど」
二十一時を回った深井コンピュータのオフィス。五階建ての自社ビルの三階に、萌が所属する開発一部がある。普段ならこの時間は誰もいなくなるが、今日は小澤と萌が残業をしていた。
「うん、これだけやっちゃいたいから」
「そか。じゃ、戸締りよろしくね」
小澤が出ていくと、萌はここで一人きりになるのが初めてな事に気付いた。
「一人になると、なんか狭いオフィスも広く感じる」
静まり返ったフロアを見回して呟く。そして引き出しからノートを取り出した。
美冬からの連絡の後、萌は二度、役所でレグルスのシステムを覗いた。そこで見たものをこのノートに書き留めている。
今度はパソコンに向き、小澤が帰る前にやっているフリをしていた画面を閉じて、社内サイトに入った。
真剣な表情でノートと画面を行ったりきたりする萌。しばらくそれを繰り返した後、ドサッとイスに寄りかかり、大きなため息をついた。
「やっぱりダメかぁ。これじゃ盗用の証拠につながらないわ……」
寄りかかった姿勢で背もたれに頭を乗せ、天井を見つめる。すると机の上のスマホからLINEの着信音がした。萌は体を起こし、スマホを手にする。そして目を見開いた。
萌の目は大きく見開いたまま、スマホを持つ手は震えている。心臓が爆発しそうなくらい激しく鼓動し、息が荒くなってきた。
LINEの送り主は貴之だった。
震える指先で、恐る恐るLINEを開ける。
「いいいぃぃぃ、やぁぁぁあああ!」
萌はスマホを離し、狂ったように悲鳴を上げた。激しく立ち上がったため、キャスター付きのイスは勢いよく萌から遠ざかる。悲鳴を上げながら右往左往し、突然走り出した。フロアから廊下に出て、非常用外階段の扉を開ける。そのまま……
非常階段の手すりを乗り越えた。鈍い着地音が無機質に響く。
……そして、静寂が訪れた。何もなかったかのように……
机の下に放り出されたスマホの画面には、あられもない姿で股を開く萌の写真が表示されていたが、程なくそれは送信者によって削除された。
ようやくエアコンなしでも寝られる夜が訪れはじめた九月下旬。最終日曜日に野薔薇は久しぶりの休みをとった。とはいえ、いつもよりも少しのんびりくらいで、やる事はさほど変わらない。薔薇のオルゴールに包まれながら、今日の経済ニュースに目を通している。
するとインターフォンが鳴った。
「誰だろう?」
ゆっくりと立ち上がり、モニターを見た。
「柿崎さん?」
『ども』
モニターの柿崎が軽く挨拶をする。
「どうしてここが?」
『おいおい、馬鹿にしないでくれよ。対象の自宅を探すなんて俺にとっちゃ朝メシ前だぜ』
野薔薇はため息混じりにフッと笑い、オートロックを解錠した。
「どうぞ」
柿崎は部屋にあがり、ダイニングテーブルのイスに腰掛けた。野薔薇は柿崎の前にコーヒーを置く。
「お、ありがとう。ちょっと電話じゃ話せない事が起こってさ」
柿崎はコーヒーに口をつける。
「どうしたの?」
野薔薇が聞くと、柿崎はコーヒーカップを置いて野薔薇に向いた。
「萌ちゃんが自殺した」
野薔薇は一瞬固まった。
「……えっ?」
「勤め先の非常階段から飛び降りた」
少し間を持ったが、野薔薇からの質問はない。柿崎は話を続けた。
「つっても三階からだし、落ち方も良かったから命は助かったよ。ただ……」
「ただ?」
「医者の話じゃ元の生活に戻れるかは分からんらしい」
野薔薇は一瞬考える。
「ちょっと待って柿崎さん。あなた、何の話をしているの?」
柿崎は"えっ?"という顔をして、すぐに表情を戻した。
「あ、すまない。俺としたことが、説明が足りなかったな。あの三人とは何回も一緒に酒を飲んでて、俺の中ではもう他人じゃないんだ。ちょっと動揺しちまってな」
「それで?」
「ああ、この間の水曜日に、萌ちゃんが救急搬送されたんだ。非常階段の三階から落ちてな。三階とはいえ、七〜八メートルの高さだろ? そこからコンクリートに直だから、落ち方によっちゃあ危なかったらしい」
「そ、それが、自殺だっていうの?」
「状況的に警察はそう判断してる。多分、例の件だよ」
"例の件"と聞いて、野薔薇の唇が震え出した。
「大丈夫か?」
「え、ええ……話して」
「お見舞いに行った好美ちゃんがスマホを見せてもらったんだ。本人は点滴で寝かされてたけど、母親にな。飛び降りる直前のLINE、メッセージは削除されてたけど、近藤からのLINEだった」
野薔薇は口を押さえ、震えている。やがて、そのまま泣き出した。
「私の……私のせいだわ。私のせいで萌ちゃんが……」
「いや、違うよ。悪いのは近藤だ。野薔薇のせいじゃない」
柿崎がたしなめるのも聞かずに、野薔薇はわんわん泣きはじめた。"私のせい"を繰り返しながら。
前かがみで泣く野薔薇の体を無理やり起こし、柿崎はその頬を平手で殴った。
「しっかりしろ、美冬! 今すべきは、取り乱して泣く事じゃないだろ?」
野薔薇は殴られた頬を押さえて目を丸くしている。
「萌ちゃんは美冬を助けたくて体を張ったんだ。当の本人がそんなでどうする?」
野薔薇は頬を押えた同じ格好のままだが、目は落ち着きを取り戻していた。
「そうね。ありがとう、柿崎さん。目が覚めたわ」
「ああ。仲間をこんな目に合わされたんだ。俺も腹くくるぜ。行くぞ、出かける準備をしろ」
「出かけるって、どこへ?」
「決まってるだろ」
野薔薇は下を向き、静かに笑う。
「分かったわ。でも、全てが終わるまで私は"野薔薇"。間違えないでね」
柿崎は目で答え、同じようにフッと笑った。
読んでいただき、ありがとうございます。
次の更新予定は2月15日です(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”




