切り札と封じ手
最後の客を見送り、クラブ華月の看板の明かりが消える。ホステスたちもドレスを脱ぎ、普段の自分に戻っていった。
「野薔薇ちゃん、あれからストーカー大丈夫?」
カズハが野薔薇に話しかける。
「貴之さん? うん、何もないよ」
「重森さんの連れっていうのが厄介よね。無下に断れないじゃない?」
「でも逆に、重森さんの連れだから何もしてこないのかもね」
野薔薇とカズハと花恋の三人は送りの車が同じため、仲が良かった。
「野薔薇さん、カズハさん、花恋さん、車の準備できましたよー」
「はーい」
三人は残っているスタッフに挨拶をし、下で待つ送りの車に乗り込んだ。
野薔薇たちを乗せた黒のヴェルファイアが動き出すのを待っていたように、タクシーがその後をつけた。
「運転手さん、前のヴェルファイアを追って」
貴之は運転手に指示をし、後部座席の運転席と助手席の間からその様子を伺っていた。
「お疲れ。また明日ね」
まず花恋を降ろし、再びゆっくりと発進する。その三十メートルほど後ろに貴之を乗せたタクシーも停まり、ヴェルファイアに合わせて発進した。
深夜の区道は車の通りが少ない。野薔薇は不審なタクシーに気付いていた。
「光司くん、今日はこの先で降りるわ」
野薔薇が運転手に告げる。
「どうしたの野薔薇ちゃん?」
カズハが少し驚いて聞いた。
「うん、ちょっと寄りたい所があって」
「こんな時間に? こんな所で?」
都内とはいえ、深夜の住宅地ではコンビニくらいしか開いていない。次に降りるカズハの自宅まではあと数百メートルほどだが、最後に降りる野薔薇の自宅までは二キロメートル近くある。
「うん、ここでいいわ。光司くん、停めてくれる?」
五階建ての賃貸マンションの前に車を停め、野薔薇はそこで降りた。
野薔薇が車から降りたのを見て、貴之も慌ててタクシーを降りた。
「美冬!」
そう叫んで野薔薇に駆け寄る。野薔薇はあたかも目の前のマンションに入るように、オートロックの前で鍵を探すフリをしていた。
「あら、貴之さん。どうしたんですか、こんな所で?」
「美冬、違うんだ。全部誤解なんだ」
「貴之さん、私は美冬さんじゃ……キャッ!」
貴之がいきなり野薔薇を抱きしめた。
「美冬頼む、話を聞いてくれ! 俺は……」
フッと、野薔薇が体の力を抜くのを感じた。
「やっと……」
野薔薇が小さく言う。貴之は抱きしめた手をほどいた。
「やっと忘れかけてきたのに、どうして? あなたの匂い、あなたの温もり、思い出しちゃったじゃない……」
「美冬……」
その時、勢いよく走ってきたヴェルファイアが反対車線に停まった。
「野薔薇さんから離れろ、このストーカー野郎!」
カズハと光司が野薔薇を心配して戻ってきたのだ。
「待って! 光司くん」
車から勢いよく飛び出し、貴之に殴りかかろうとした光司を野薔薇が止める。
「辰雄さんの関係者だからダメよ。近藤さん、今日は帰って下さい」
「なぁ、誤解なんだよ、俺はストーカーじゃない。俺と美冬は……」
「いいから今日は帰って!」
外で騒ぎが起きたからだろう、マンションの二階の窓が開いて住人が顔を出した。
「ごめんなさい、夜中に大声で。何でもないですから」
カズハが顔を出した住人に謝り、野薔薇の肩を抱いてヴェルファイアに乗った。貴之もこれ以上は話が出来ないと判断し待たせているタクシーに戻った。
「野薔薇ちゃん大丈夫? 明日ママに言って、あの人出禁にしてもらおう」
カズハが心配そうに言う。
「んーん、辰雄さんの連れの人だからそれは出来ないわ」
「だけど……」
野薔薇はカズハに笑顔を向けた。
「大丈夫よ、カズハちゃん。ありがとう」
「分かった。帰り道は私と光司くんで守るから」
「はい。ああいう奴、許せないんで。俺にまかせて下さい」
「頼もしい、ありがと」
野薔薇は笑い、視線を窓の外に移した。
貴之を乗せたタクシーは、空いている国道を世田谷方面に飛ばしている。
抱きしめた時のあの反応……
貴之は美冬を取り戻せると確信していた。
これからメディアに出る機会が増える。そして経済界で小さくはない権力を手にするだろう。
「俺の隣にいるのは絵美じゃ役不足なんだよ。美冬、お前が一番俺を飾り立てる」
コソコソ嗅ぎ回る柿崎を牽制し、美冬を手に入れる大きな手応えを得た。
「運転手さん、最近どうですか?」
ご機嫌に運転手に話しかける。自宅に着くまで饒舌に話し続けるのだった。
自宅マンション前まで送ってもらった野薔薇。玄関を開け、リビングのドアを開けると、柔らかいオルゴールの音が野薔薇を迎える。
暗いリビングでぼんやり光る薔薇のオルゴール。野薔薇は部屋の電気をつけず、その前に座った。
いずれ貴之が接触してくることは分かっていた。接触してくるとしたら帰路を狙う事も予想していた。ああいう形で車を降りればカズハたちが気にして戻ってくることも。
「あなたは二度と、私を落とせないの……」
薔薇のオルゴールの光に照らされ、野薔薇は妖しく笑う。
夜の女神たちは仕事柄、帰宅時間は深夜過ぎになる。それでも野薔薇は睡眠を大切にし、毎日八時間を確保していた。
エアコンのおかげで快適に目覚められる。しかし窓の外、南の高い空では太陽がギラギラと熱と光を放っていた。
野薔薇が目覚めて間もなく、スマホの着信音が鳴る。
「もしもし」
『あ、野薔薇ちゃん、俺だけど……』
スマホのスピーカーからは柿崎の声。
『悪いけど今回の件、降ろさせてもらうわ』
柿崎は娘を利用され動きを封じられた事を野薔薇に伝えた。
「あの写真は使えないって事?」
『ああ。写真を見れば撮ったのは俺だってバレちまうからな』
「近藤には見せないわ」
『万が一があるだろ? この仕事は俺の興味でやってる事だからさ。万が一でもあっちに迷惑かけられないんだ。分かってくれよ』
"あっち"とは別れた家族の事だろう。野薔薇は了承し、電話を切った。
「ふぅ、今日の準備をしないとだわ……」
ため息混じりに呟き、サブスクで購読している電子版経済ニュースを開くのだった。
一週間の夏季休暇で、圭介は一度だけ絵美に会った。春先に感じた絵美の素っ気なさはなくなったものの、なんとなく"恋人同士"とは遠ざかっている気がしていた。
「あー、もう! どうすりゃいいんだよ? 女なんて全っ然わかんねぇよ! 誰か教えてくれ」
部屋でひとり叫ぶ圭介。ふと、野薔薇の顔が浮かんだ。
「あれ、美冬さんなのかな?」
柿崎がクラブ華月に入るのを見て、貴之は野薔薇が美冬だと断定した。
「なんで柿崎さんを見て美冬さんって確信したんだろ? 美冬さんは、貴さんと須山さんの事が許せなくて姿を消したんだよな」
圭介はベッドの上であぐらをかき、腕を組んだ。
「美冬さんが高級クラブにいる理由はなんだ? 貴さんはその理由を知ってるのか? で、柿崎さんもその事を調べてる……? とすると、貴さんがやったのは須山さんから情報を盗っただけじゃないってこと?」
圭介はしばらくそのまま固まっていた。
「あああああ、ダメだ! 考えても分からない事は分からないし、家の中にいると悶々とするだけだ」
突然頭をかきむしり、大声で叫ぶ。そしてひと息ついてから、
「バッティングセンターに行こう」
そう言って立ち上がった。
六月から八月の平均気温が過去最高となり、新たな記録を作り続ける太陽。九月に入ってもその勢いは衰えを見せず、夏の終わりはまだ見えない。
記者発表から二ヶ月も経てば"イケメン統括マネージャーブーム"もひと段落するかと思いきや、貴之の人気と知名度は上がる一方だった。これは重森が意図的にやっている事で、とにかく貴之をメディアに出させたのだ。貴之もだんだんとメディアに慣れていき、テレビカメラの前でも本来のトークが出来るようになっていた。今ではビジネス誌だけではなく、ファッション誌の表紙も飾るほどだった。
「イケメンマネージャーさんじゃないですか? キャー、応援してます、頑張って下さい!」
圭介と営業で歩いている時も声を掛けられるようになり、電車での移動に支障をきたすようになってくると、会社はスマートシティ統括部専用の社用車を用意した。
「貴さん、社用車がレクサスの新車って、社長頑張ってくれましたね」
「まぁレグルスのスマートシティ統括部っていやぁ、今は注目の的だからな。カッコつけたんだろうさ」
とはいえスマートシティ統括部の営業は二人だけなので、いつも圭介が運転をして貴之が助手席に座っていた。
「俺もこの間雑誌に載ってたけど、運転手って書かれてましたからね」
貴之は笑ってから、窓の外に顔を向けた。
「順調だよ、全て……」
圭介には聞こえないように呟いた。
読んでいただき、ありがとうございます。
次の更新予定は2月11日です(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”




