ぬいぐるみ
野薔薇が客の後ろをついて出口に向かう。柿崎はその客に見られないように顔を背けた。
「あれ、谷田部だよな……また来てるのか」
「ん? どうかしました?」
ボソッと言ったひと言に、隣のホステスが反応する。
「いや、何でもない」
そのホステスと適当な話をしている時に、野薔薇がやってきた。
「お待たせ」
そう言って柿崎に付いていたホステスと交代した。
「谷田部さん、大丈夫なの? 結構頻繁に来てるみたいだけど」
国交省の管理職である谷田部は、それなりの収入はあるのだろう。だが銀座の高級クラブは、それなりの収入では頻繁に来れる場所ではない。
「好美ちゃん達の方は?」
野薔薇はそれには答えず、逆に質問をした。
「やっぱりデータを盗んだ事を証明するのは難しいらしい。その痕跡が残ってるとしたら、最初に大熊正商事に提出したデモくらいだってさ。ま、当然、レグルスにも残ってるだろうけどな」
野薔薇は柿崎に水割りを作り、カラカラとかき回す。
「米山圭介は分かるわよね? 近藤は米山の彼女にも手を出してるの。その証拠を持ってきて」
水割りを柿崎の前に置いた。
「フッ、舎弟の女にも手を出すとはね……悪役にはピッタリのゲスさ加減だな」
柿崎が水割りに口をつける。
「そうね……」
野薔薇は妖しく微笑んだ。
八月も三分の一が過ぎようとしている九日の夜。明日から夏季休暇となる企業も多く、街は賑わっていた。
その賑わいからおよそ百メートル上空、朱莉の部屋のベッドに横たわる貴之。
「ねぇ、朱莉さん。あの柿崎って記者、常務の手飼いなの?」
広い寝室にある小さなテーブル。そのイスに座り、朱莉はタバコを吸っている。
「柿崎さん? どうして?」
「いや、ちょっと気になっただけ」
朱莉はフーッと、細い煙を吐いた。
「あまり関わらない方がいいわ。あのタイプの記者には」
貴之は天井を見つめながら黙り込む。朱莉はクリスタルの灰皿でタバコを消し、貴之を見た。ベッドに仰向けに横たわり、難しい顔で天井を見つめている。朱莉はクスッと笑った。
「確か、離婚してたわね。小さい子がいたはずよ。今は小学生くらいになるのかな……」
貴之は頭は動かさずに、天井から朱莉に視線だけを移す。朱莉はすまし顔でカチカチとライターをいじっている。朱莉に対する愛しさが胸の中にわっと広がったが、それを表には出さなかった。
七月の平均気温が過去最高となり、気象庁が『歴史的な暑さとなる』と注意喚起をしている今年の夏。お盆に入る直前の太陽は、更なる記録に挑戦する勢いで照りつけている。
夏休みで賑わう柏の葉キャンパスシティショッピングモール『エルポート』に、貴之と絵美の姿があった。
「小学一年生の女の子が好きそうな物?」
「ああ。なんか、一発で心をつかめるような物ってないかな?」
エルポート内のコーヒーショップで向かい合う二人。絵美は怪訝そうな表情を浮かべる。
「貴さんまさか、次は小学生に手を出すつもりじゃないわよね?」
「……絵美、お前それ、冗談で聞いてるんだよな?」
絵美はニコッと笑う。
「今度は何を企んでるの?」
「いや、そんなんじゃないって。もうすぐ姪っ子の誕生日でさ」
「貴さん、兄弟いないじゃない」
「ああ、従兄弟の子な」
絵美は"ふーん……"と疑いながらも、色々提案をしながら買い物に付き合った。
「ね、ご褒美に明日、ディズニーランド連れてってよ」
「は? このクソ暑いのにか? しかも夏休みでめちゃくちゃ混んでるぞ?」
「いいでしょ? いい買い物が出来たんだから」
貴之の腕に絡みつき、おねだりをする絵美。
「分かったよ」
貴之は斜め下にある絵美の顔を見て、苦笑いで答えた。
お盆休みも終盤に入った十六日金曜日。太陽が沈むのはいくらか早くなり、十九時の街はネオンが輝きはじめる。
「まいったな、まだ七時かよ。クソ暑いし、ビールにするか、パチ屋で涼むか……」
野薔薇の店に行くのは二十三時頃。時間が余り過ぎた柿崎は、汗だくで街をふらついていた。そこでスマホが鳴り、柿崎は画面を見た。
「は? 真奈美?」
柿崎は五年前に離婚をしている。その別れた妻からの着信だった。
「もしもし……」
「野乃には会わない約束でしょ! 今更なんなのよ!」
いきなり怒鳴られ、面を食らう。
「な、何言ってんだ? 野乃になんか会にゃな……」
動揺して言葉を噛んでしまった。
「知らないおじさんにぬいぐるみをもらったって言ってたわよ! もう二度と近付かないで!」
それだけ言われて電話が切れた。
別れた時二歳だった娘の野乃は、今年から小学生になっているはずだ。今の電話で野乃が元気な事は分かったが、柿崎には全く覚えのない事だった。
「知らないおじさん? 大丈夫か?」
柿崎は少し心配になり真奈美に何度か電話をした。だが真奈美が出る事はなかった。
結局柿崎は二十二時半の閉店までパチンコ屋で時間を潰し、銀座に向かった。
「めっちゃ勝ったわ。たまには行ってみるもんだな……」
財布の中の万札が数枚増えたが、クラブ華月の飲み代は"情報料"として野薔薇が面倒を見ている。財布の中が減ることはない。もっとも柿崎は、クラブ華月には楽しみに行ってるわけではないのだが。
いつものように席に通され、野薔薇がやって来た。
「いい写真が撮れたよ。夜にホテルに入って、朝に出てきて仲良くディズニーランドときたもんだ。まったく迂闊なやつだよな」
野薔薇は黙って柿崎のデジカメを見ている。そこには貴之と絵美が恋人同士のようにデートをしている写真が複数枚写っていた。
「でもこんな写真何に使う気だい? 近藤が誰と付き合ってようが誰も興味を持たないぞ?」
「ひとり、興味を持つ人がいるでしょ?」
野薔薇は柿崎にデジカメを返す。
「米山圭介。彼にこの写真を見せて。そして彼が近藤の所に行く前にここに連れてきて」
柿崎はデジカメを大切にバッグにしまった。
「なるほどね。奴をこっちに付けるわけか。確かに奴なら、レグルスにある不正データを持ち出せるかもしれないな」
「いい子よ、彼は……」
遠い目をして言う野薔薇の横顔に、ゾクッとする柿崎だった。
クラブ華月から出てきた柿崎はすぐにタクシーには乗らず、深夜の街を歩いていた。午前零時を過ぎてもかなり蒸し暑く、少し歩くと汗が流れてくる。
「柿崎さん」
誰かに呼び止められ、声の方を向く。
「ああ、近藤さん。こんな時間に奇遇ですね」
声を掛けてきたのは貴之。なんとなく嫌な感じがしたが、柿崎は自然に挨拶をした。
「柿崎さん、最近頻繁に野薔薇に会いに行ってるようですね」
「え? ああ、まぁ、取材も兼ねて……」
「柿崎さん、可愛らしいお嬢さんがいるんですね。茨城の水戸ですか」
「!」
貴之はいやらしい顔をして柿崎との距離を詰める。
「何を嗅ぎ回っているのか知らないが、お嬢さんが可愛いなら余計な事はしない方がいいですよ」
「お前!」
貴之は不敵な笑いを残し、背中向きに手を振りながら柿崎を通り過ぎていった。
"知らないおじさんからぬいぐるみをもらった"
「迂闊なのはこっちだったか」
遠ざかっていく貴之の背中を睨みつけながら呟いた。
読んでいただき、ありがとうございます。
次の更新予定は2月9日です(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”




