巨人 重森辰雄
若者が集う繁華街と違い、大人が羽目を外す夜の銀座。その料亭の一室に重森がいた。
「いやいや、谷田部さん。いよいよ本格的に動き出しますよ」
膝を突き合せているのは国土交通省の谷田部という男。都市開発室室長の肩書きだ。
「ええ。意外と早かったですね」
彩の国高速鉄道未来都市化計画の記者発表を終え、いよいよプロジェクトが本格的に動き出す。このタイミングで、二人は初めて酒の席を共にしていた。とはいえ、ここではさほど重要な話はしていない。むしろ酒が進むにつれて話はどんどん脱線していった。
「重森さん、今はまだアメリカの時代だ。でも遠くない未来に中国がアメリカに取って代わると思うんですよ。ただね、我々日本は大国の後ろでただ指をくわえてるだけじゃダメなんですよ」
「ああ、そうだ! 若いもんがどうこうじゃなく、我々世代が若い連中に示してやらなきゃならんですな、谷田部さん」
たまたま同い年の二人は大いに盛り上がっていた。
「さて、難しい話はここまでにして、少し羽目を外しますか」
「お、いいですな。いい店知ってますか?」
「銀座にはいい店が多いですよ。今日は私の一番のお気に入りの店に行きましょう」
重森はそう言って立ち上がった。
煌びやかなネオンの一角でひときわ気品を放つビル。その前に停まったタクシーから、重森と谷田部が降りてきた。
ビルの入口には女の子の写真が並ぶような派手な看板はなく、『クラブ華月』と上品に光る看板がそっと掲げられている。
「ここの一番上にある店なんだけどね。谷田部さん、知ってました?」
「いや、初めてですな」
エレベーターを降りた二人を黒服が迎える。
滑らかでありながら重厚な扉を黒服が開けて、二人を招き入れる。そこはまるで月明かりを閉じ込めたような幻想的な空間が広がっていた。
「重森常務、ようこそお越し下さいました。今夜もありがとうございます」
席に通された重森たちのところへ、すかさずママが挨拶にやってくる。
「やぁ、ママ。今日はね、国交省の谷田部さんをご一緒させてもらった」
ママは上品な笑顔を谷田部に向ける。
「谷田部様、ようこそお越し下さいました」
「ああ、こちらこそ」
すると後ろに控えていたホステスがママの横に並ぶ。
「野薔薇です。辰雄さん、こんばんは。谷田部様、今日はよろしくお願い致します」
美しく立ち振る舞う野薔薇。いや、美しいのは立ち振る舞いだけではない。シャンデリアに照らされた野薔薇はまるで天女、この世のものとは思えないほどだった。
「野薔薇はここに入って二ヶ月くらいか? 私はこの野薔薇に魅せられて、こんな高い店に週に二回も通う羽目になりましてな」
重森は思わずため息をつく谷田部に言い、ガハハと豪快に笑う。その重森の隣に、野薔薇はそっと座った。
人口増加、気候変動、戦争、政治問題…………
いくつもの要因が絡み合い、そう遠くない将来の世界的な食糧危機が懸念される昨今。それは遠い国の問題ではなく、猛暑と豪雨による農作物の不作→価格高騰という形で人々の暮らしに影響を与え始めていた。
その問題に取り組むべく動いたのが大熊正商事の創業百年記念プロジェクトだ。
彩の国高速鉄道沿線を中心に未来型農業を展開し、新時代の先駆けとなる、これが『彩の国高速鉄道未来都市化計画』の中核であった。
「レグルスのシステム、正直期待以上ですね。駅やスーパーなどの人が集まる場所でも個人の微妙な動きや表情を察知して、軽犯罪の予兆や迷子、徘徊などを察知しています」
技術部門の責任者である曽根が重森に報告する。
「農業の方でもその検知能力は優秀です。広大なハウスの中のミクロの揺らぎを検知して、ピンポイントで害虫を攻撃します。微農薬は実現レベルにありますね」
「そうか……」
重森は報告を聞き、満足げに笑った。
ノクス神宿ビル、十一階のレグルス営業部フロアから出てきた貴之は、階段でひとつ上の階に上がる。少し慌てているようだ。システム部のインターフォンを鳴らし、扉が開くと、一直線に土井のデスクに行った。
「土井ちゃん、システムに何か不具合起きてないか?」
急いで階段を上がったので、息切れをしている。
「不具合? いや、順調のはずだが?」
「重森常務に呼ばれたんだよ。俺ひとりですぐに来れないかって。不具合じゃなきゃなんだろうな……」
「職員室に呼び出されたか、不良少年」
空気を読まない土井の冗談にイラッとする貴之。
「校長室だよ。とにかく行ってみるしかねぇな」
イラッとしながらも土井の冗談に乗り、システム部をあとにした。
貴之が呼び出されたのは日本橋にある料亭だった。受付で名前を告げると、
「こちらでございます」
中居が案内をしてくれる。枯山水の中庭を横目に中居についていく貴之。少し、緊張の面持ちだった。
「重森様、お連れ様がお見えになりました」
襖の向こうからの返事を待ってから、襖を開ける。部屋の中には重森と、その向かいに柿崎が座っていた。
「常務、申し訳ございません、遅くなりました」
「いやいや、こちらこそ突然お呼び立てして申し訳ない。ま、座って下さい」
貴之は柿崎の隣に座った。
「足を崩して。楽にいきましょう」
そう言われて正座を崩し、あぐらをかいた。
「特集記事はご覧になりましたかな?」
乾杯をした後に重森が聞いた。
「凄くよく書いて頂き、大変恐縮しております」
会合は穏やかに始まった。
「近藤マネージャー、今日お呼び立てしたのは、ちょっと込み入った話をしようと思いましてな」
少し、雰囲気が変わる。
「込み入った話……?」
緊張気味の貴之の隣で、ニヤニヤと笑いながらビールに口をつける柿崎。
「単刀直入に聞きましょう」
重森はズイッと身を乗り出す。
「近藤さん、今回のプロジェクトの情報、どこから仕入れました?」
貴之の心臓が大きく脈打つ。だが貴之は、その動揺を表には出さなかった。視線は重森から外さない。それでも柿崎がニヤニヤしているのが分かる。
「常務……」
静かに口を開く。
「ビジネスにおいて情報は命。特に私どものような弱小には、虹色システムズなどと戦う唯一の武器であります。それを取り上げるのはご容赦頂きたい」
「あはははは……」
柿崎が声を上げて笑う。重森は鋭い目つきで口元に笑みを浮かべている。
「いや、失礼。この場の答えとしては百点満点ですな」
柿崎が言った。貴之はムッとして柿崎を見た。
「近藤マネージャー、常務はマネージャーに大きな期待を寄せてるんですよ」
貴之をたしなめるように柿崎が言った。
「このプロジェクトはね、近藤マネージャー。昭和初期という道のない時代に我々の創業者が道を切り開き、今や財閥系を抑えて日本一の商社となった我々の、百年の集大成となるプロジェクトなんですよ」
重森が話し始める。
「ただの成功ではない。話題を作り、注目の中での成功、私はこれを求めているのだよ」
「その話題作りが、今回のジャイアントキリング……」
貴之の返しに、重森はまた口元を緩める。
「失礼だが、御社の規模でこのプロジェクトのシステムを支えきれますかな?」
「銀行からはいい返事を頂いております。人員に関しては私自身がスカウトに動いております。社の知名度も上がり、更なる成果を見込んでいます」
重森の目がキラッと光る。
「んで、支えきれるんですか?」
「はい」
貴之はキッパリと答える。
「うむ。私はそう見ていない。失礼を承知で申し上げるが、御社の規模で継続的に続けるのは無理でしょうな」
貴之は黙っていたが、目には反抗的な色が滲んでいた。
「ジャイアントキリングを起こすこと、そこで私どもの役割は終わりだと、そう仰りたいのですか?」
貴之が鋭く質問をぶつける。笑っていた柿崎の表情が強ばるほど、空気は緊迫していた。
「来週からパリオリンピックが始まりますな。近藤マネージャーはスポーツは観ますかな?」
「え? え、ええ……まぁ、少しは……」
全く予想していない質問に戸惑う。
「弱小チームが一丸となって王者を打ち破る。そこに感動と熱狂が生まれる。近藤さん……」
重森の視線が強くなる。
「あなたはもう勝った気でいるようだが、そうではない。あなたのチームは王者から先制点を奪ったにすぎない。まだ試合中なんですよ」
「あ……」
貴之は絶句してしまった。
「弱小チームにはスーパーヒーローが必要だ。エースで四番で、そしてキャプテン。全てを担うヒーローがね」
ここは空調設備で快適な室温に保たれている。そこにいて、貴之の顎から汗の雫が落ちた。
「私どもを選んだのは話題作りのため。そしてジャイアントキリングのサクセスストーリーも作り上げる……そういう事ですか?」
貴之の声は震えていた。もはや動揺と驚きを隠す事が出来なかった。
重森はフッと笑い、答える。
「私が選んだのはね、近藤さん。"私ども"ではない。"あなた"を選んだんです」
貴之の動揺などお構いなしに重森の話は続く。
「レグルスはいずれうちが買い取ります。近藤マネージャー、あなたにはスーパーヒーローを演じた後に私の後継者となってもらいたい」
貴之は目を見開いたまま固まってしまった。
もし断ればレグルスなどひとたまりもない。これはやるかやらないかを聞かれているのではない、重森に忠誠を誓うのかを聞かれている。
貴之は目を瞑り、息を吸う。そして力強く目を開けた。
「恐れ多い事ではありますが、人生を賭けるに値する事案。必ず期待以上の結果を出してみせます」
その表情、口調、言葉には微塵の迷いもない。重森は満足した様子でゆっくりと右手を差し出す。
「よろしく頼むよ、近藤くん」
貴之は真っすぐに重森を見つめ、その右手を両手で握った。
読んでいただき、ありがとうございます。
次の更新予定は2月1日です(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”




