違和感
翌日、大嵐が去った後の東京地方は、抜けるような青空だった。気温も三十度に迫るようだ。
「クッソ良い天気なのに、暇だなぁ、おい!」
『親戚が亡くなって、連休はずっと島根に行くことになったの』
絵美にそう言われた圭介は、自宅アパートで悶々としていた。
「どこだよ、島根県って? よく分かんないけど、誰か俺と遊んでくれよ!」
観ていないテレビをつけたまま、あくびと愚痴を繰り返す。
「こうなったらパチンコデビューか、俺も」
そう言ってスマホを持ち、ベッドに横たわった。
「あ、LINE来てんじゃん。……ん? 美冬さん?」
『貴之が浮気してるみたいなの。私、どうしていいか分からない……』
圭介はガバッと起き上がった。そして短いLINEの文章を見たまま固まる。
「マジかよ。貴さん、須山さんの事バレてんじゃん……」
呟いた後でハッとした。
「俺じゃないよな? 美冬さんと会ったのはバレンタインの日だし、あの時は俺も須山さんの事知らなかったし……」
最近の自分の行動を思い出している圭介。
「いや、やっぱりどう考えても俺が原因でバレたわけじゃないな。…………って、安心してる場合でもない!誤解って伝えなきゃ」
美冬への返信文を考える。だが、どんな言い回しを考えてもLINEで上手く伝えられる自信が持てなかった。
シュンシュンシュンシュン……
やかんの尖った口から勢いよく湯気が吹き出す。美冬はコンロの火を止め、用意していたコーヒーカップにお湯を注ぐ。銀色のスリムなスプーンで掻き回すと、甘い香りがフワッと広がった。
昨日から回りっぱなしの薔薇のオルゴールの前に座り、キャラメルマキアートにそっと唇をつける。
「ん……美味し」
大きくて真っ赤な花びら。金色の茎に金色の葉。高貴なガラスの中で小さな光を身にまとい、ゆっくりと回転している。
「味方でいてくれてありがと」
美冬がそう言っても薔薇は何も答えず、ただ回っている。
「フフ……可愛い」
その時、スマホにLINEの着信があった。コーヒーカップを置き、スマホを手に取る。
『おはようございます。貴さんの件、誤解なんです。連休中どっかで会って話せませんか? 俺は暇なんでいつでも大丈夫です』
話す時の口調と違い、文章ではちゃんと『です』と書いてくる圭介。
美冬は少し冷めてちょうどいい温度になったキャラメルマキアートを口に含み、窓から見える真っ青な空に目をやる。
「清々しい朝だわ……」
金色の薔薇の葉がキラリと光った。
正午近くの大宮。透き通った空に太陽を遮る雲はなく、半袖で歩く人が目立つ。
「いや、すっごい人だな。新宿とそんなに変わんないじゃん」
駅前のコーヒーショップに入り、一番大きいサイズのアイスコーヒーを買った圭介は、混み合う店内を見回した。
「これだけ人がいる中でも、やっぱ美人は目立つわ」
ほとんど探す事なく美冬を見つけた圭介は、呟きながらその席に向かった。
「圭介くん、ごめんなさい、こんな所まで……」
圭介が住む国立から大宮までは、乗り換えもあるし一時間以上掛かる。
「いえいえ、久しぶりに大宮に来たけど、ここもすげぇ人っすね」
圭介は美冬の前の席に座った。
「(あれ? なんか感じが違う?)」
美冬の前のオレンジジュースよりもひと回り大きい紙カップのアイスコーヒーをゴクゴク飲みながら美冬を見る。
「美冬さん、口紅変えました?」
真っ赤な口紅の美冬。
「変かな?」
圭介を上目遣いで見ながらストローを咥える。半透明のストローがオレンジ色に変わった。視線は圭介のまま口を離し、コクっと喉を鳴らす。
「い、いや、似合うっす……」
一瞬で魂を抜かれそうになりながら、圭介は何とか答えることが出来た。
すると美冬はいつも見せる笑顔にニコッと変わり、
「ね、近くに安くて美味しい中華屋さんがあるの。昼ビール、行っちゃおか?」
そう言った。
圭介は翻弄されつつも笑顔を作り、
「うすっ! 行っちゃいましょう」
いつもの調子で答えた。
二十分後、二人は焼肉チェーンの店にいた。
「まさかあの中華屋さん、潰れてるとは思わなかったわ」
さっき美冬が言っていた"安くて美味しい中華屋さん"は、なくなっていた。
「でもここ、土曜でもランチやってるし、ビールも6時まで昼価格で三割引きだし、逆に良かったかもっすよ?」
「かもね」
圭介がLINEで送ってきた"誤解"の文字。
「あなたは何も知らないのね……」
時折不安そうな表情を作ると、圭介は一生懸命笑わせようとする。
「でも、何かを知っている……」
貴之と絵美が一緒にいる、それを圭介が知らないことは、今の圭介の様子を見ても間違いない。だが、貴之への"誤解"を解くためにここまでやって来た。それは絵美ではない、別の浮気について何かを知っているという事。
店員が生ビールを運んできて、二人の前に置く。
「まずは乾杯しましょ」
美冬はそう言って、ジョッキに手をかけた。
最初の一杯目、圭介はいつものように一瞬で空にする。そして少し重い表情で話し始める。
「あの、貴さんの件なんすけど……」
美冬は注文用タブレットで圭介のビールを注文し、静かに圭介を見た。
「あれ、美冬さんのためだったんす」
「私のため?」
「貴さん、仕事を成功させるために、須山さんを利用しただけなんす」
須山……
美冬は圭介の目をじっと見つめた。
「あの人、須山さんっていうのね。須山何さん? 仕事とどう関係があるの?」
「須山朱莉さんっす。大熊正商事の受付の人っす」
大熊正商事に入り込むために朱莉にモーションをかけた事、朱莉がプロジェクト最高責任者の愛人だった事、それを利用して極秘資料を入手した事まで、圭介は美冬に話した。
美冬は黙っている。圭介が話した事を整理しているようだった。
「でもそれが何で私のためなの? 私が悲しむ事が分かっていながらやったのなら、貴之はただ仕事を取りたかっただけなんじゃないの?」
圭介がうっ! っという顔をした。その顔を無理やり笑顔に変えたかと思ったら、
「あーーーーーっ!」
今度は頭を掻きむしった。
「こんなの本当は俺が言っちゃダメなんすけど……」
次は困った顔になり、また突然真剣な顔になる。
「言いますが、貴さんには聞かなかった事にしといて下さい!」
と、声を張った。
「貴さん、この仕事をなんとしてでも成功させて、美冬さんにプロポーズするって、そう言ったっす!」
真剣に叫ぶ圭介を見て、美冬は思わず口元を緩めてしまった。それを隠すように下を向く。
「美冬さん?」
「いや、びっくりしたけど、そんな大きな声で言ったらお店中に聞こえちゃうじゃない」
圭介はやっちゃったという表情で横を向いた。
「でももう最終のプレゼンも終わって、今大熊正商事で試験運用をしながら最終選考中っす。須山さんとはもう切るはずっす」
美冬に向き直り、晴れやかに言う。美冬は一瞬、妖しい笑みを浮かべた。
「あなたが敬愛する貴さんは今、あなたの彼女と一緒にいるわ」
もちろん声には出さない。
「貴之、元気にしてる?」
「バリバリっすよ! ようやくプレッシャーから解かれた感じで、なんかのびのびしてるっす」
「そう、バリバリなのね。ここ一週間連絡なかったから、その須山さんの所に行っちゃったのかと思って……」
やはりコロナも嘘だった。
「連絡ないんすか? あ、いや、多分ケリをつけてるんだと思います。貴さん、キッチリした人だから」
「キッチリした人だものね……」
圭介の言葉を意味深になぞり、ビールジョッキに口をつける。
何か今日の美冬さんは雰囲気が違うな……
化粧のせいかな……
「ありがとう、圭介くん。少しスッキリした。ここからは楽しく飲みましょ。圭介くん、暇でしょ?」
「ブッ!ひ、暇っす! 遊んでもらえるのは嬉しいっす」
圭介は違和感を封じ込め、無邪気に笑った。
美冬が自宅の玄関を開けたのは二十二時を回ってからだった。
暗い部屋でぼんやり光る薔薇のオルゴール。電源を落とさずに回り続けているそれが、美冬を迎え入れた。
「須山朱莉……」
恐らく貴之は最初に朱莉と出会い、朱莉の協力で大熊正商事に取り入った。朱莉から情報を渡され、プロジェクト特化型のシステムを開発した。が、システムに何らかの問題が生じ、それを早急に解決するために萌を利用した。ここまでは今持っている情報だけでも、なんとなく繋がる。
だがこの推理と現状を照らし合わせると、二つ分からない事があった。
「須山朱莉は何故貴之に協力したの?」
圭介の話では、須山は大熊正商事の取締役である超大物の愛人。
「貴之を成功させて超大物から乗り換えようとでもしてるのかしら……?」
そしてもうひとつは、貴之が絵美といる事だ。これはいくら考えても合点がいく答えが見つからなかった。
とはいえ、今日一日で色々な事が分かった。
「圭介くんはいい子ね……」
薔薇を閉じ込めているガラスドームを爪ではじく。キンッと、心地よい音が響いた。
「まずはその、"超大物"ね……」
赤く、艶っぽい唇。
昼から酒を飲んで少し疲れた美冬は、風呂には入らずに洗顔だけすることにした。真っ赤な口紅を落とし、素顔になった自分。鏡に映った自分を見つめた後、美冬は黙って寝室に行き、静かに眠りに落ちた。
読んでいただき、ありがとうございます。
次の更新予定は1月23日です(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”




