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薔薇のオルゴール 〜次はあなたが傷つけばいい〜  作者: Ryo-No-Suke


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春のほころび


 季節の変わり目となる三月初旬。この時期は寒暖差が激しい。昨日はポカポカと春の訪れを感じさせる穏やかな日曜日だったが、今日は朝から北風が吹き、冬に逆戻りといった感じだった。

「私、今日魚食べたいな。おばちゃん、焼き魚定食、何?」

 おばちゃんの店には看板がないにも関わらず、昼時は満席になることもある。

「焼き魚はサバだよ。あとカレイの良いのが入ったから、煮てやろうか?」

 おばちゃんはとても忙しそうだが、いつもニコニコしている。

「あ、私それ」

 好美が言うと、

「私もそれがいいな」

 景子も続いた。

「美冬ちゃんは、いつものかな?」

「うん。私はハンバーグ」

 おばちゃんはまたニッコリ笑って、厨房の大将にオーダーを伝えに行った。

 水曜、木曜と旅行に行った美冬だが、金曜日は普通に出社した。好美と景子の旅行の聴取は金曜日に終わっていた。

「でもあんたの彼氏も忙しいわよね。旅行から帰ってきて、週末は会ってないんでしょ?」

「うん。水・木休んだら、あとは休めないって言ってた」

 "最近は落ち着いてるんで、帰るの早いっすよ"、ふと圭介の言葉がよぎった。貴之と離れると、どうしても不安が生まれてしまう。

「大きなプロジェクトに関わってるから、今は応援するしかしょうがないの」

 その言葉は好美たちにというよりも、自分の中の不安に言い聞かせるようだった。


 寒暖差に迷ったのか、今年の桜はなかなか開かないでいたが、新年度を迎えた四月一日、この街の桜もようやく、五分咲きほどに色づき始めていた。

 政治・経済の中枢をなす東京赤坂。

 高級感と品を備えたこの街は、庶民が萎縮してしまうような雰囲気が漂っている。

 貴之と圭介は自分たちが出てきたビルを振り返り、見上げる。それはとてつもなく巨大だった。

 大熊正商事東京本社ビル。

 貴之も圭介もここに来たのは初めてではない。受付で門前払いされるという貴之と朱莉の芝居から始まり、もう何度も訪れている場所である。

 だが今日はいつもと違う。

 目の前のビルからは、まるで山の神に見下ろされているような威圧感を感じていた。

 二人はビルから視線を戻し、目を合わせて笑う。

「凄かったな……」

「オーラが、ハンパなかったっす……」

 

 数回のプレゼンを得て改良を重ねた各社のシステムの最終プレゼンが今日だった。これが最終予選。ここを勝ち残った数社のシステムを実践で試験運用し、最終的なパートナーが決定される。

 プロジェクト関係部署の管理職とはひと通り名刺交換をしているし、その中の数名とは食事に行った事もある。土井からおよそ一ヶ月で叩き込まれたにわか知識だったが、知った顔の前では落ち着いてプレゼン出来ていた。そこへあの男がやって来た。


 貴之は内ポケットの名刺入れから、先ほど交換した名刺を取り出した。

「俺も人間からあんな圧力を受けたのは初めてだよ」

『執行役員 取締役本部長 重森辰雄』

「あれが、重森辰雄……」

 プレゼンが終わった後、重森と少し話した。ほとんど雑談だったが、重森には全くスキがない。貴之は終始、試されているような焦燥感を感じていた。

「今回のプロジェクト、御社には期待していますよ。今度時間を作るので、食事にでも行きましょう」

 最後に重森は、そう言って右手を差し出した。貴之は胸を張ったまま両手でその手を握り、

「ありがとうございます。全力を尽くします」

 力強くそう答えた。

「でも、結構好印象だったんじゃないすか、俺たち?」

 圭介が言う。貴之は再びビルを見上げ、

「美冬に寂しい思いまでさせてやった事だ。ダメでしたじゃ済まないからな」

 貴之は右手に残る重森の圧力を握りしめた。

 

 四月に入ってから晴天が続き、戸惑いがちだった桜たちも一気に花を開いた。最初の日曜日となる四月七日、何も予定がない美冬はとりあえず近所のスーパーに買い物に行こうとしていた。

 二ヶ月ほど前、貴之が初めて美冬の家に来た時に並んで歩いた道。少し回り道をすると小さな公園がある事を思い出し、散歩がてら行ってみることにした。その小さな公園には一本の桜の木があった。

 滑り台では幼い兄妹が遊んでいる。親の姿が見えないところを見ると、すぐ近所の子なのだろう。美冬は桜の木の下のベンチに腰掛けた。

 "近い将来ここに家を買おう"と、そんな冗談を言いながら一緒にスーパーに行った日から二ヶ月と少し。その間で貴之に会えたのは誕生日の旅行とホワイトデーの日、たったの二回だけだった。

「いくらなんでも、そんなに忙しいものかな……」

 上を見ると、桜のしなやかな枝が小さなピンク色をつけ、大空に向けて手を広げている。東の高い空から降り注ぐ陽射しにワクワクしているようだった。そよぐ風は暖かく、幼い兄妹の笑い声が聞こえる。

「ここでこんな顔してるの、私だけじゃない?」

 その質問に答えるようにやわらかい風が吹く。

「買い物中止! どっか出掛けよっと」

 そう言って立ち上がった美冬。小刻みに揺れる小さな花びらが微笑みかけているようだった。


 そんな勢いで駅まで来た美冬だったが、改札口を目の前に立ち止まっていた。

「私、どこ行こう……」

 駅前広場では鳩の群れがぼんやりと過ごしている。時間と共に勢いを失ってしまった美冬は、鳩を見ながら少し考えて、

「よし、上りでも下りでも、先に来た方の電車に乗って終点まで行こう」

 そう言って改札を抜けた。

 野咲本町駅前広場の花壇には約二千株の薔薇が植えられている。この時期はまだ花は咲いておらず、黄緑色の若い葉が花壇を彩っていた。

 その彩やかな葉に隠れた茎には、鋭い棘が潜んでいる。これから真っ赤な花を咲かせる薔薇たちが、妖しく美冬を見送っていた。


 ホームに上がると、下り方面大宮行きの快速電車が待っていた。

「大宮行き……しかも快速……」

 終点まで行こうと決めた美冬だが、大宮は三つ先の駅。しかも快速だと間の二つの駅は飛ばすため、大宮は次に停まる駅だった。

「まぁいいや。大宮に行けば退屈はしないでしょ」

 美冬は電車に乗った。


 十五の路線が乗り入れる巨大ターミナル駅、大宮。人と都市を繋ぐ中心的な役割を担い、賑やかに栄えてきたその街は、埼玉県最大の都市と言っても過言ではない。

「ひゃー、凄い人。大宮、久しぶりに来たけど、渋谷と変わらないじゃない」

 毎日渋谷に通い、人混みには慣れている美冬だが、日曜日の大宮の活気には圧倒されてしまった。

 美冬は西口からペデストリアンデッキに出た。とりあえず何か食べようかと考えている時に、スマホが鳴った。

「あ! 貴之だ」

 通行の邪魔にならないよう、端によって電話に出た。

「あ、美冬、外?」

「うん、暇つぶしに散歩に出たの」

 電話の向こうの貴之の周りもガヤガヤしている。

「そっかぁ。いや、仕事で美冬んちの方に来ててさ、仕事片付いたからちょっと会えないかなって思ったんだ」

「え、そうなの?」

 その時、ペデストリアンデッキの下のロータリーに救急車が入ってくる音がした。そしてその音はスマホからも聞こえてきた。

「貴之、今どこにいる?」

「大宮」

「私も」

「やっぱり! 今の救急車そうだよな?」

 周りを見回すと数十メートル先に、スーツを着た貴之らしき姿を見付けた。貴之も美冬に気付いたようだ。

「運命だわ」

 美冬は電話を切り、足早に貴之へと向かった。


 好天気の日曜日、大宮西口ペデストリアンデッキ。たくさんの人がいるが、美冬は衝動のまま貴之に抱きついた。

「会いたかった」

「俺も」

 美冬は自分の中の不安が溶けていくのを感じた。

「メシ食った?」

「まだ」

 時刻はあと数分で十三時になるところ。

「俺、大宮分からないな。美冬のオススメの店ある?」

「吉野家」

 下から覗き込むように言う美冬。少し見つめ合った後、貴之がこらえきれずに吹き出した。

「今日会えると思わなかったから嬉しい!」

「いや、早く終わったら会おうって言おうと思ったんだけど、そう言って仕事終わらなかったらまたガッカリさせちゃうと思って、黙ってたんだ」

「私ね、どこに行くか決めないで家を出たの。成り行きに任せて大宮に来て、西口に出た途端に貴之から電話が来たんだよ、凄くない?」

 美冬は本当に嬉しそうにはしゃいでいる。

「とりあえずそごうにでも行ってみよっか? 確か美味しいハンバーグ屋さんがあったんだけど、まだあるかな……」


 少し離れた所から、二人を見つめる視線。

「このままじゃ美冬さんが傷ついちゃう。教えてあげなきゃ……」

 貴之の腕につかまり嬉しそうな美冬。そごうの中へ消えていく二人を見ながら、萌はそっと呟いた。

読んでいただき、ありがとうございます。

次の更新予定は1月13日です(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”

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