不穏
楽しい時間に名残を残しながら、二人は日光をあとにした。
「ねぇ、貴之」
帰りの車中、運転をする貴之の横顔に話しかける。
「家康さんのお墓の前でのあれ、プロポーズってとっていいの?」
無邪気に言う美冬に、貴之はプッと吹き出した。
「プロポーズはちゃんとするよ」
「別にあれでもいいよ」
前を見たまま笑う貴之。
「叶杉には何をお願いしたの?」
「そういうのは言わない方が叶うんだよ」
「だって、凄い長いお願いしてたじゃない? ね、教えて」
貴之はチラッとサイドミラーを見た。
「まぁ、ひと言で言えば、美冬と幸せになれますようにって感じだな」
「ええ? そんな事お願いしなくても叶うじゃん。もっと違うお願いすればよかったのに」
「違うお願いって?」
「んー……」
少し考える美冬。
「宝くじ当たりますように、とか」
貴之は運転中にもかかわらず美冬を見て、アハハと声を出して笑った。
「そういう美冬は何をお願いしたんだよ?」
「私はねぇ、元気な子供が出来ますようにって」
貴之はまた美冬を見てすぐに前を向き、クスッと笑った。
「ちょっと! 何か言ってよ!」
貴之は笑いながらアクセルを踏み込んだ。
真っ直ぐな道を時速百キロメートルで走る貴之の車。それを真っ赤なスポーツカーが凄い速さで追い抜いていく。
「仕事でさ、うちの会社によく来る子がいるのね」
おもむろに話し出す美冬。
「すっごい良い子なんだけど、大人しい感じの子で、あんまり男の人と付き合った事ないんだって」
「へぇ。美冬と同じくらいの子?」
「うん。二コ下。いや、三コかな?」
考えるように一瞬間を空ける。
「ま、いいや。その子がね、前、同じ職場にいた人から紹介してもらった人と、いい感じになったんだって」
「おー、よかったじゃん」
「でね、バレンタインデーにお菓子作って、デートに誘ったんだって」
「おお、やるじゃん」
高速道路の単純な道。貴之はたまに運転から目を離し、美冬をチラッと見る。
「相手の人もまんざらではなかったみたいで、新宿のめちゃくちゃいいホテルで準備してくれたんだって」
「新宿の、ホテル……」
「でもね……」
美冬の声のトーンが少し落ちた。
「その子、ワイン飲みすぎて、酔っ払って寝ちゃったんだって」
「へぇ……」
貴之はどことなく気のない返事になってしまったことに気付き、言葉を続ける。
「ま、好きな人といる緊張をほぐすために飲みすぎちゃうって、よくある話だよな」
何か引っかかる……
「で、気付いたら朝で、その人書き置き残していなくなってて、それから電話もLINEも繋がらなくなっちゃったんだって」
「あらら……」
貴之の笑顔が堅い笑顔になるが、美冬は気付かない。
「その人もいろいろ期待してホテルの準備したんだろうけどさ、それでも書き置きだけ残して音信不通って酷くない?」
「だな……」
美冬の話に短く答える。
「一昨日会社に来た時に一緒にランチ行って聞いたんだけどさ、凄く落ち込んでて、可哀想になっちゃってさ」
口の中が乾く。ドリンクホルダーのコーヒーは残り少なく、ひと口で空になってしまった。
「私もなんて慰めればいいか分からなくて……」
「その子、美冬の会社にはよく来るの?」
「うん。うちの子会社のシステム会社で、萌ちゃんはうちのシステムのメイン担当者だから」
貴之は唾を飲んだ。
今、確かに"萌ちゃん"って言ったな……
「ちょっと喉乾いたな。次のサービスエリアでひと休みしよう」
貴之はごく自然を装って、美冬の話を遮った。
立ち寄った羽生サービスエリアが江戸の街並みを再現したような造りになっており、
「わぁ! また江戸に来たぁ!」
日光江戸村をとても気に入った美冬がはしゃいでくれたおかげで、ボロを出す前にその話は終わった。
十分ほど前に美冬を自宅前で降ろし、貴之はコンビニの駐車場にいた。
「美冬の会社の関係者だったとはなぁ……」
コーヒーの紙コップをドリンクホルダーに置き、シートをリクライニングさせる。
「めんどくせぇ事になっちまったなぁ……」
『……続いてはラジオネーム、松茸三昧さんからのメールです。四十一歳、女性の方ですね、松茸三昧さん……』
かけっぱなしで聞き流していたラジオの声が耳に入る。若い頃に付き合っていた彼氏に浮気され、許したフリをして突然消えてやった、そんな内容の話だった。
『これ、意外とこたえるんだよねぇ。浮気の復讐としては最強の方法かもしれないね』
大きな声で賛同するパーソナリティに、貴之はフッと笑う。
「美冬、お前も突然姿を消すか?」
誰に問いかける訳でもなく呟く。そしてリクライニングを戻し、ゆっくりと車を発進させた。
翌日金曜日。美冬には金・土・日は仕事だと言っていた貴之だが、今週いっぱい休みを取っていた。
勢いは弱いが冷たい雨がパラついている午前十一時、貴之は赤羽のカラオケボックスにいた。一緒にいるのはスーツ姿の土井。土井は一度出社して、ノートパソコンを持ってここにやって来た。
カラオケボックスの一室で横並びに座り、ひとつのノートパソコンを覗き込む二人。萌から盗んだデータを基に土井が作り上げたシステムの説明を、秘密裏に行っているのだった。
「…………と、こうなるわけだ。つまりだな、ここのリソースアロケーションを可変的に切り替えるんだよ。普通は物理リソースを捨てるんだが、このアルゴリズムは逃がすんだよ、処理を」
貴之の反応を待つ土井。
「日本語で説明してくれ」
貴之がそう言った時の土井の表情。ひとつの画面を覗き込む二人の距離は近い。
「(こいつの呆れた表情を、こんな間近で見る事になるとはな……)」
「こんなに噛み砕いた説明も理解出来んのか?」
「はぁ? どこを噛み砕いたんだ?」
一度、二人の顔の距離が離れる。無言で睨み合う時間の後、土井が口を開いた。
「いいか、例えばうちの会社が入っているビルの連中が、全員同じ時間に帰ろうとしたらどうなる?」
「エレベーターも階段も人で溢れかえるな」
「それが今までのシステムだ。情報が渋滞して処理しきれなくなる。今度のやつは一人一人のデスクまでエレベーターが迎えに来る。しかも人を勝手に分散させるんだ。待ち時間がゼロになる上に、ビルから出るまでの時間が格段に速い」
貴之はまた、至近距離で土井を睨みつける。土井が貴之に視線を返す。
「やれば出来るじゃねぇか」
「フンッ!」
口元に笑みを浮かべて言う貴之を、土井は鼻で笑った。
「これでどのくらいいけるんだ?」
「東京二十三区の人口でも問題ないレベルだ」
更に土井は続ける。
「今回は主任が仕入れてきた情報でこのプロジェクトに特化したモデルを先回りして作る事ができたし、あの小娘をたぶらかしたおかげで金も時間もかけずにここまでパワーアップ出来たんだ。これでこの仕事取れなかったら、うちの主任は無能だとあちこちで言いふらすからな」
「それなんだよ、土井ちゃん……」
あからさまに面倒な表情になる貴之。
「どうかしたのか?」
土井が真顔になる。
「付き合ってる女の勤務先の子会社だったんだよ、深井コンピュータ」
土井は驚きの表情で息を飲む。
「バレたのか?」
「いや、バレちゃいない。でも、口は塞いどかないとだよなぁ……」
「どうやって?」
二人の会話は止まり、隣の部屋のカラオケの音が漏れ聞こえてくる。
「ま、何とかするよ」
そう言う貴之に、
「情報を盗んだ事では俺も共犯になっちまってるんだ。しっかり頼むぞ」
土井が釘を刺す。貴之は大きくため息をつき、
「プランB……発動か……」
気乗りしない感じで呟いた。
弱々しく降っていた雨は午前中のうちにやみ、午後は穏やかな一日となった。
「私、今日、誰かと話したっけ……?」
仕事を終え、帰りの電車に揺られる萌。窓に映る自分が、泣きそうな顔に見えた。
バレンタインデーから今日まで、胸のモヤモヤはとれない。
人付き合い、特に異性に対しては消極的な萌だが、貴之には何度か繰り返し電話を掛けた。貴之は出ない。嫌われてしまったとしても、あの日の失態の謝罪をしたい。いや、ただもう一度貴之と話したかった。
専門学校の時に、一度だけ彼氏が出来たことがある。三ヶ月ほど付き合い、相手から別れを告げられた。
"抜け出せない闇"
あの時と似た感じが、今の萌を苦しめる。
「でももしかしたら、今は日本にいないのかもしれないし……」
貴之は仕事で海外に行く事も多いと言っていた。それが萌に残るわずかな光だった。
電車を降り、家へと向かう。実家暮らしの萌は、家に帰れば温かいご飯が用意してある。両親からはたっぷり愛情を受け、特に教員である父は一人娘である萌を溺愛していた。
孤独ではない。それは分かる。それなのに今、萌の心は孤独だった。
表通りから静かな路地に入った時に、肩から下げているバッグからスマホの着信音が聞こえた。
「誰だろ……?」
立ち止まってスマホを取り出し、画面を見た萌は大きく目を見開いた。
「も、もしもしっ!」
慌てて出た声は、いつもより早口になった。
「あ、萌ちゃん? ごめんね、何回も電話もらってたね。ちょっと仕事で日本を離れててさぁ」
「た、貴之さん……」
"日本にいないかもしれない"、それが現実だった事に、言い表せないくらいの安心感が湧いた。
「ちょっと会って話したい事があるんだけど、明日にでも会えないかな?」
「会えます! 何時ですか?」
時間と待ち合わせ場所を指示され、電話を切った。"会って話したい"という言葉に、大きな不安と少しの期待が入り交じる。
「帰ろ」
電話を切った後もしばらく立ち止まっていた萌。小さく呟いて歩き始めた。
読んでいただき、ありがとうございます。
次の更新予定は1月7日です(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”




