二百七段の誓い
現在を遡ること四百八年、西暦一六一六年にひとりの英雄が神となった。百年以上続いた戦国の世を納め、その後二百六十五年も平和を維持する礎を築いた男。その男の名は徳川家康。誰もが知る、日本史上最高の英雄である。
「その家康が神様として祀られているのが、東照宮なんだよ」
「家康さんは神様なんだ? 信長さんはマンガとかゲームで悪魔で出てくる事が多いよね? 魔王信長みたいな」
日光東照宮まであと数百メートルという所で、車の進みが悪くなった。
「家康が凄いのはさ、強いだけじゃないんだよね。むしろ戦に勝った後のさ、政治、経済、外交に隙がないし、何よりも人の心を掴むのが上手い!」
美冬は不思議そうな表情で貴之を見つめる。
「ん?」
渋滞の列が少し動き、貴之もそれに続く。
「貴之って、歴史好きだったっけ?」
前の車がノロノロと止まったので貴之もゆっくりとブレーキを踏んだ。
「調べた」
少し照れたような笑顔を美冬に向ける。
「調べたの?」
「いやさぁ、誕生日に旅行に行こうって事は前から考えててさ、行き先を決めるのに色々調べたんだよ」
美冬は大きな瞳で貴之を見つめる。
「んで、東照宮の事を知って、日光に決めたんだ」
渋滞の列がまた少し動く。
忙しい中での旅行。漠然と、時間の都合で近場の日光を選んだと思っていた美冬の胸に、ジワジワと感激が広がっていく。
「ここな、徳川家康が祀られてるだけじゃなくて、男体山と女峰山から出るエネルギーのおかげで、恋愛成就や子宝にもご利益があるんだってさ」
「子宝……」
そう言って美冬はニヤリと笑う。その"ニヤリ顔"を横目で見て、貴之も笑う。
すぐそこにある東照宮の駐車場になかなか入れないでいるが、車内はほんわかしていた。
車から降りると、外の空気は意外と冷たかった。いつもの通り貴之の右腕につかまって歩く美冬。鳥居の手前で、貴之の腕を引き気味に立ち止まる。
「鳥居の前でお辞儀しないとダメだよ」
「お、おう。そうか……」
左手にそびえる五重塔を見上げ、表門に向かって歩く。まだ東照宮の敷地に少し入ったくらいだが、どこか神秘的な雰囲気が漂っていた。
「パワーが、みなぎってくるわ」
鋭い視線を前に向け、誰に言うでもなく美冬が言う。
「なんだよ、突然」
貴之が笑い出すと、
「なんかパワースポットっぽい事言ってみようかと思って」
美冬がいたずらな笑顔を向ける。
表門をくぐるには、拝観受付所で入場券を購入しなければならない。拝観受付所の五つの窓口は、どれも大行列が出来ていた。
「平日だってのにすげぇ人だな」
「外人さんもいっぱいいるね」
しかし列はスムーズに進み、思ったよりも短い時間で入場券が買えた。表門では左右から仁王像が睨みをきかせている。その凄みのある表情を警戒するように覗きながら、貴之に身を寄せる美冬。
「あっ! これ知ってる!」
表門をくぐり、人だかりに近づいた美冬が声を上げた。
「ここはな、神厩舎っていって、神様が乗る馬を繋いどく厩舎なんだよ。昔から猿が馬を守るっ……」
美冬が手で貴之の口を塞いだ。
「言わ猿」
驚いた顔の貴之に悪戯っぽく笑う美冬。貴之は美冬の頭にポンッと手を置いた。
長い列に並んで歩くと、小さな門が見えてきた。
「猫?」
「この先にな、家康が眠っている場所があるんだ。この猫が、その入口を守ってる」
「寝てるじゃん」
「ああ、それな。家康が生きた時代は戦国時代だろ? 百年以上も血を流し合ったのを家康が統一して、平和な時代を作ったわけだ」
貴之の説明が始まる。
「後で見てみるといいけど、この猫の裏側には雀の彫刻があるんだよ。これはな、猫が寝ていることで、雀のような弱い動物も安心して過ごせるっていう、いわば平和の象徴なんだ」
美冬はニヤニヤしながら貴之を見ている。
「でもこの猫、よく見ると顔は寝てるけど身体は身構えているように見えるだろ? 寝ていると思って不届き者がここを通ろうとすると容赦しないぞって意味もあるらしい」
「Wiki?」
美冬に言われ、貴之が吹き出す。
「バレた?」
「だってすごい説明っぽいんだもん」
二人は一緒に笑った。
眠り猫がいる坂下門をくぐると、家康が眠る奥宮に続く階段がある。その段数は二百七段、デパートの十階まで階段で上がるイメージだ。
「もう七階くらいまで来た?」
「まだ三階くらいだな」
元気に登り始めた美冬だが、五十段を越えた辺りから息が上がりはじめ、半分を過ぎた頃にはほとんど喋らなくなった。ヘトヘトになりながら登り切ると、そこにはジュースの自動販売機が設置されていた。
「ゼェゼェ……うまくできてるわね……ゼェゼェ……」
日光東照宮の一番高いところにある奥宮の中央に建つ宝塔。その下に、稀代の英雄が神となって眠っている。その堂々とした出で立ちに言葉を失う二人だったが、貴之は美冬の手を引き、宝塔の正面に立った。
鋭い視線を宝塔に向けた貴之が、静かに口を動かす。
「東照大権現様、聞いて下さい。俺はこいつを……」
そこまで言ってチラリと美冬を見る。美冬は貴之が何を始めたのか分からない顔をしている。貴之はまた、宝塔を見上げる。
「美冬を幸せにします。貴方の前で、宣言します」
奥宮にはたくさんの観光客がいて、ガヤガヤと賑わっている。ガヤガヤの中でも、隣にいる美冬にはハッキリ聞こえる声、貴之の決意を込めた誓いだった。
奥宮には"叶杉"という神木が祀られている。幹の太さは大人数人が手を繋いでやっと一周できるという程もあるが、上は十メートルほどのところで切られており、枝も葉も全くない。
「この子、この状態で生きてるのかしら?」
「美冬、この子、六百歳だぞ。願い事を叶えてくれる叶杉様だ」
そう言って貴之は目を瞑り、手を合わせる。美冬もそれに続いた。
願い事を唱えて目を開けると、貴之はまだ願いをしていた。美冬は目を開けたまま手を合わせ、貴之の願いが終わるのを待った。貴之はしばらくそのまま動かなかった。
ようやく願い事が終わり、さっき登ってきた階段を今度は上から見下ろす。
「またこの階段を行くのね……」
美冬はため息をついた。
八棟の国宝、三十四棟の重要文化財を含む、全五十五棟の建造物が並ぶ日光東照宮。黄金と色彩が織りなすそこは神社と呼ぶにはあまりにも眩しく、"金色の城"と呼ぶに相応しい聖域だった。
「これ、全部本物の金なのかなぁ?」
「ここを造る時に久留米藩から二トンの金が献上されたってネットに出てたから、それ以上の純金が使われてるんだろうな」
「待って! 金て確か、一キロで一千万円くらいしなかった?」
美冬が言いたいことを察した貴之。
「ここを造るのに掛かった金額を現在の価値に換算すると、六百億から八百億円くらいだってさ」
美冬は大きな目をキラキラさせて貴之を見つめる。
「ん?」
「買って」
「は? ここを?」
「うん」
「丸ごと全部?」
「丸ごと全部」
貴之は笑いをこらえるような表情をした後、
「新居にするか?」
冗談を言った。
「うーん、住みたくはないかな。仕事通えないし……」
こんな意味のない会話が出来るのも、幸せな事だった。
読んでいただき、ありがとうございます。
次の更新予定は1月5日です(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”




