スカイテラスから見る景色
圭介と別れた貴之はタクシーに乗り、行き先である自宅の場所を告げた。深夜の空いている道を軽快に走るタクシー。
「運転手さん、窓開けていいですか?」
そう断ってパワーウィンドウを下げると、冷たい風が車内に吹き込んで来た。
"須山さんと仲良くなって、中に入りもうって作戦に切り替えたわけだ"
"でもな、正直、後悔してるんだよ"
"俺が一番やらなきゃならない事は、あいつの笑顔を作ることだ"
朱莉の事を打ち明けた先程の圭介とのやり取り、自分の言葉を思い返す。
「圭介、お前はいい奴だな……」
貴之の口元に、怪しい笑みが浮かぶ。その時、スマホのバイブレーションが着信を知らせた。
重森が部屋を出たあと目が冴えてしまった朱莉は、ワインを注いだグラスを手にラウンジチェアに座った。大きな窓から外を眺める。透き通った夜空に、冬の星座が散りばめられている。妻子ある重森とは不倫の関係だった。もう八年になる。メンソールの細いタバコを咥え、金色のライターで火をつけた。細い煙が昇っていく。スマホをテーブルに置いたまま片手で操作をすると、相手を呼ぶコール音が響き始めた。
「もしもし」
スピーカーから貴之の声。
「貴ちゃん、寝てた?」
時間は○時半を回っていた。
「いや、圭介と飲んでてさ、今タクシー」
「あら、相変わらず仲良しね」
朱莉がクスッと笑う。
「重森部長は?」
「さっき帰ったわ。で、目が冴えちゃったから貴ちゃんに電話したの」
「そっか。明日は?」
朱莉はタバコの煙を吹き出した。
「明日は来ないわ。貴ちゃん、来る?」
「うん。久しぶりに朱莉さんに会いたいなって思ってたから」
甘える事が下手な貴之だが、朱莉といると自然に肩の力が抜けている自分を感じる。自覚はないが、普段は強がって生きているのかもしれないと思わされてしまう。
「これが甘えるって感じなのかね……」
初めての感覚に戸惑いながらも、その心地良さに身を任せてしまう貴之だった。
貴之と朱莉の出会い、それは貴之が大熊正商事を訪れる数ヶ月前、昨年の桜が散る頃だった。仕事で待ち時間ができ、暇つぶしに開いたフリマアプリ。そこに昔ハマったバンドのグッズが出品されていた。
「懐かしい! 珍しいもんが出てるな」
そのバンドは一般ウケするジャンルのバンドではなかったため、貴之の目を引いた。何の気なしに商品に関する質問を書いてみると、出品者も話に乗ってきた。やり取りは何度も続き、やがては商品のページではなく個人チャットでやり取りをするようになった。
その相手が朱莉だった。
お互いに出会いを求めていたわけではない。この"知る人ぞ知るバンド"についてここまで深く話せる相手がお互いにいなかった事が、二人の距離を近付けた。やがて二人はお互いのプライベートの事も話すようになり、LINEを交換し、電話番号を交換し、住んでる地域や本名を教え合い、リアルの距離も縮めていった。お互いに都内に住んでいると知った時から"会おう"という話は出ていて、八月にそれは実行された。その翌月、二回目に会った時に体の関係を持ち、それから会う頻度は増えていった。
そして今回のプロジェクトの話が出た。
『仕事を成功させるために朱莉に近付いた』、『仕事は成功に向かっているが、喜びよりも後悔が支配している』、『美冬を笑顔にすることが自分の使命』、それは全て朱莉との関係を出来る限り正当化させ、圭介を協力者に引き込むための詭弁。"馬鹿"が付くほど正直な圭介に、貴之の本性を見抜けるはずもなかった。
地上二十九階のテラス。およそ百メートル下に無数の光が散らばっているのが見える。ここからそれを見ていると、日々の喧騒が遠い事のように感じる。
「寒くないの?」
朱莉がリビングから赤ワインが注がれたグラスを持ってきた。
「寒いよ」
貴之はそれを受け取る。
先月、一月十日から二十五日まで重森が海外出張だったため、貴之は毎日ここに来ていた。美冬に連絡もせずに……
「街を見下ろすって、いいよね」
隣に立った朱莉を見ずに貴之が言う。
「優越感かしら?」
朱莉は貴之の横顔に問いかけると、スっとそこから離れ、ガーデンチェアに腰掛けた。貴之は胸よりも少し下にある手すりに肘を付き、地上を見つめている。
「あんなに綺麗に見える光の中でさ、ほとんどの人は地べたを這いつくばって、必死にもがいてるんだよね。俺はそれをここから見ている……」
貴之は朱莉に振り返る。
「優越感ってのはこれの事か?」
子供のような笑顔を見せた。 バスローブのゴージャスさが嫌味にならない、自然体の朱莉。チラリと見える鎖骨が、女を感じさせる。
「寒いから中に入るわよ。貴方もいい加減にしておかないと、風邪をひくわ」
そう言って立ち上がり、リビングへと入っていく。貴之はもう一度地上の光を見てフッと笑い、朱莉に続いた。
ゆったりとラウンジチェアに寄り掛かる朱莉。貴之は大きな窓に張り付くように立ち、外を眺めている。
「ねぇ貴ちゃん、今日行ったお店、どうだった?」
貴之は窓に映る朱莉を見た。
「ああ、めっちゃよかったよ。でも俺にはちょっと高級すぎたな」
この部屋に来る前、二人は外で食事をした。貴之が初めて行く日本料理の店だった。
「ああ見えて、意外と高くないのよ。私もこの間辰雄さんに連れて行ってもらって、感動したの」
重森を"辰雄さん"と呼ぶ朱莉に、少し嫉妬をしてしまう。だが朱莉も貴之に彼女がいる事を承知での二人の関係だった。
「今度、彼女連れて行ってあげなさいよ。今日のコースも二万円でお釣りがくるわ」
金色のライターでタバコに火をつける朱莉。吐き出される煙まで、艶めかしく見える。
「ひとり二万円でしょ? 世の中では、それは十分に高いよ」
朱莉と食事をする時は、貴之は代金を支払った事がない。朱莉は重森からカードを渡されており、それを自由に使っている。
「貴ちゃんに会うのはひと月ぶりくらいかしら?」
貴之は朱莉の向かいに座る。
「一ヶ月は経ってないよ。重森部長が出張から帰ってきたのが先月の二十五日だったから」
「その間、ちゃんと彼女に優しくしてあげた?」
「ん? あ、ああ、したよ」
朱莉は貴之の目を覗き込むように見つめる。
「嘘ね?」
「本当だよ。ディズニーランドにも行ったし」
「あら、いいわね、ディズニーランド」
朱莉はタバコの煙を吸い込む。
「今度行こうよ」
そう言う貴之を横目で見ながらフーっと煙を吐く。
「やめとくわ。私はもう、ディズニーランドは卒業したから……」
艶やかな笑みを浮かべ、タバコの火を消した。
「あ、またガキ扱いする」
朱莉はワインを口に含み、コクっと喉に流す。バスローブから覗く白い首筋が色っぽく動いた。
「私をデートに誘うより、彼女を大切になさい。私と貴ちゃんは夜のオトモダチ。でも貴ちゃんに彼女がいなくなったら、この関係も続けられなくなっちゃうわ」
「なんで?」
世界規模の企業のフロントに立つ朱莉。容姿だけではなく、話し方も美しい。
「私が辰雄さんの愛人だから……」
夜の朱莉には、美しさに色気が追加される。
読んでいただきありがとうございます。
次の更新予定は12月31日です(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”




