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薔薇のオルゴール 〜次はあなたが傷つけばいい〜  作者: Ryo-No-Suke


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26/50

須山朱莉


 品川区にある二十九階建ての高層マンション。須山朱莉はその最上階に住んでいる。ダンスフロアのような広さのLDKから出るスカイテラスは、貴之のお気に入りの場所でもあった。

「ねぇ、ここ、家賃いくらぐらいするの?」

 以前貴之に聞かれた事があったが、朱莉はここの家賃を知らなかった。

「さぁ……百万はするんじゃない?」

「ハッ!庶民には分からんな。そりゃ高いのかい? 安いのかい?」

 朱莉の勤務先は、今や財閥系を押さえて日本最大の総合商社となった大熊正商事。とはいえ、受付スタッフである朱莉にそんな家賃を払えるはずがない。

 

 クイーンサイズのベッドを置いてもまだまだ余裕がある寝室。LDKの物音に目を覚ます朱莉。枕元の時計は二十二時十五分を表示している。

 朱莉はゆっくり起き上がり、白く透き通った肌に直接バスローブを羽織る。そして灯りが漏れているリビングのドアを開けた。

「ごめん、寝ちゃったみたい」

 リビングでネクタイを締め直している男に声を掛ける。

「あ、悪いな、起こしちゃったか」

「帰るの?」

「ああ、さすがに二日続けて外泊はまずいからな」

 朱莉はハンガーからジャケットを外し、男に着せる。このジャケット、ゼニアのスーツで八十万円もするものだ。それをなんなく着こなす。

「下まで行くわ」

「あ、ここでいいよ。外寒いから」

 男が朱莉に言う。

「タクシーすぐ拾えるかな? 電話で呼ぼうか?」

「いや、今アプリで呼んだから」

 この男がこの部屋の家賃を払っている張本人、名を重森辰雄といった。朱莉が勤める大熊正商事の取締役本部長で、"彩の国高速鉄道未来都市計画"の総責任者でもあった。


「須山朱莉、分かるよな?」

 居酒屋膳奉行の席、震える手で"彩の国高速鉄道未来都市計画概要"の資料を持つ圭介に、貴之が聞いた。

「え……と、確か、大熊正商事の受付の……」

 そこまで言って、圭介はハッとした顔をした。

「た、貴さん、まさか……」

 圭介に鋭い視線を向けたまま、串焼きのホルモンを噛み砕く。それをゴクリと飲み込み、貴之が口を開く。

「その資料を手に入れたのも、向こうのプロジェクト担当課長に会えたのも、全て須山朱莉の手引きによるものだ」

「カッ……!」

 圭介は一瞬止まってしまった息を強く吸い込み、慌ててビールを飲んだ。

「で、でも受付がこんな資料……」

 そう、受付である朱莉が、一部の管理職しかアクセス出来ない場所にある資料を取り出せるわけがない。その考えを貴之に確認しようとした時、圭介の頭に別の考えが浮かんだ。

「須山さんが、課長さんとデキてる?」

「それは違う」

 圭介の言葉を即座に否定する。そして鋭い目つきのまま、

「もっと上だ」

 そう言った。


 壁に仕切られた席の入口には長い暖簾が垂れ下がっており、暖簾の下からたまに席の外を歩く店員や客の足が見える。その足が貴之たちの席の前で止まった。

「お待たせしましたー!」

 店員が元気よく暖簾をくぐり、運んできたビールとウイスキーをテーブルに置く。貴之は圭介の手から極秘資料と、テーブルの上の封筒をスっと取り、カバンにしまった。

「もっと……上……?」

 プロジェクト担当課長の吉澤が、この時点で会った事がある最高役職者だった。

「重森辰雄、取締役本部長」

 口を半開きにして貴之を見つめる圭介。

「朱莉さんはこのプロジェクトの最高責任者、重森部長の愛人だ」

「あ……」

 大物どころではない。重森といえばビジネス界で名を轟かせる存在だ。だが圭介が貴之の言葉で引っかかったのはその名前ではなかった。

「朱莉さんて……」

 貴之が朱莉さんと呼んだ事、その事に妙な嫌悪感が芽生え、心がザラついた。

「重森部長との不倫関係は、もう八年になるらしい。朱莉さんの家で仕事をする事も多くて、パスワードを知ってるそうだ」

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

「?」

 急に強い口調で話を制する圭介に、少し戸惑う貴之。

「その、朱莉さんって言うの、やめませんか?」

「は? 何だよ急に?」

「彼女でもないのに朱莉さんって、変っす」

「いや、友だちでも下の名前で呼ぶだろ? お前だって美冬の事"美冬さん"って言うだろが」

「うーん……」

 言葉に詰まる圭介。

「なんか、嫌っす」

 駄々っ子のような圭介に、貴之は苦笑いを浮かべる。

「分かったよ、須山さんな」

 めんどくさい奴だな、そう思いながらいい、ウイスキーに口をつけた。

「まずは朱……、須山さんと仲良くなって、中に入り込もうって作戦に切り替えたわけだ」

「将を射んと欲すれば……っすね」

「まんまと仲良くなる事には成功したよ。時間も金も使ったけどな」

 その言い方に、圭介は少し不機嫌な表情になった。貴之はそんな事はお構いなしに話を続ける。

「でもその甲斐あって、意外な大物が釣れたってわけだ」

「それが、重森部長……」

 ビジネス誌で見たその顔を思い出そうとする圭介だった。

  

「でもな、正直、後悔してるんだよ」

 貴之は氷で薄まったウイスキーに口をつける。

「仕事は上手くいきかけてるよ。虹色や楽園を出し抜いてるんだぜ? ざまぁみろだ」

 ウイスキーグラスを手に持ち、少しうつむく。

「この仕事、多分取れるよ。俺たちの勝ちだ。でもな……」

 貴之はウイスキーを離し、その手を胸に当てた。

「この胸のモヤモヤはなんだ? あんなに憎たらしいと思ってた虹色システムズに勝てるのに、込み上げて来るもんがないんだよ!」

 少し声を荒らげ、訴えるように言う貴之。圭介は哀れむような目を向け、

「美冬さん……っすよね?」

 小さな声で聞いた。

「昨日はな、バレンタインで美冬と会う約束をしてたんだよ。でもちょっとあってな、土井ちゃんとどうしてもやらなきゃならない事が出来ちまったんだ」

「昨日はそれで……」

 土井が絡んでいるのならどうしても昨日じゃなければならなかったのだろうと、圭介は納得した。

「今月さ、美冬の誕生日なんだよ」

「あ、言ってましたね、そういえば」

「今日の朝電話してな、バレンタインの埋め合わせするから誕生日に有給取れって言ったんだよ。旅行行こうって」

 圭介は声を出さずにうなずく。

「美冬な、泣いてたよ。嬉しいって」

 圭介はスーパーヒーローの見た事もない一面を、どこか冷静な自分を感じながら見ていた。

「喜ぶ場面で泣くって、どういう事か分かるか? 不安で不安でたまらない時に安心すると、嬉しい涙が溢れるんだ。俺は美冬を不安で不安でたまらない気持ちにさせてたんだよ」

「(緩急の付け方が凄いな……)」

 圭介は貴之の言葉を聞きながら、トークのお手本を見ているような気持ちも感じていた。

「俺は自分で馬鹿をやって思い知った。あいつに寂しい思いをさせてまでやらなきゃならない事なんて存在しない。俺が一番やらなきゃならない事は、あいつの笑顔を作ることだ!」

 そう言って貴之はウイスキーに口をつけた。

「俺は……俺は美冬さんを大切にして欲しいっす」

 真っ直ぐに言う圭介。

「ハッ、お前に教えられるようになるとはな」

 そう笑う貴之に、

「貴さん、乾杯しましょ! すいませーん、店員さーん!」

 叫ぶ圭介の声は店中に響き渡った。新しい飲み物が運ばれ、二人は乾杯の構えをする。

「もうここまでやっちまったんだ、今更後には引けない。圭介、この仕事、必ず成功させるぞ!」

 そう言って二人はグラスを合わせる。そして圭介が何か言う前に、

「圭介、この仕事が上手くいったら、俺は美冬にプロポーズする」

 決意のこもった貴之の言葉が、圭介の胸を貫いた。

「貴さん、結婚式では俺にスピーチさせて下さい!」

 貴之はフッと笑い、圭介も続いて笑った。


 膳奉行の席。貴之と圭介の間に、さっきまでの張り詰めた空気はなくなっていた。

「ところでお前の方はどうなんだよ?」

 貴之が自然に話題を変える。すると圭介は一瞬微妙な笑みを浮かべる。そこに注文していた軟骨の唐揚げが運ばれて来た。

「絵美の……事っすよね? ま、相変わらず冷たい感じがするっす」

 そう言った圭介にはこの間のような暗さはなく、少し前向きなトーンに聞こえた。

「お、なんか吹っ切れた感じか?」

「いや、全然吹っ切れたわけじゃないんすけど、でも気持ちは変わりました」

「ほう……」

 貴之が興味ありげな顔をする。

「昨日美冬さんとここで飲んだじゃないすか?」

 貴之の表情がピクっと動いた。

「美冬さん、貴さんの事で少し不安になった感じだったんすよ」

 貴之は黙って聞いている。

「でもね、明るい表情を作って、この軟骨揚げを食うんすよ」

 そう言って圭介は、軟骨揚げを指でつまんで貴之に見せた。

「軟骨?」

「俺、それを見た時に、美冬さんってすげぇな、俺もちゃんとしなきゃなって、そう思ったんす」

「ちょっと待て圭介。お前、何言ってんだ?」

 圭介が何を話し始めたのか、貴之にはさっぱり理解出来なかった。

「いや、普通だったらくよくよ落ち込むところっす。考えても仕方ない事を考えて、まだ起こってもいない出来事に怯えて、ああなったらどうしよう、こうなったらどうしようってなるじゃないすか?」

 貴之は圭介の目を見ながらウイスキーに口をつけた。

「美冬さんはそんな時でも、軟骨揚げ食って笑うんすよ。俺にはそれが、どんな時でも自分らしくいようとする強さに見えて、めっちゃカッコイイって思ったっす」

 貴之は軟骨揚げをひとつつまみ、口に入れた。

「そうか、今度は軟骨揚げにハマったか……」

「あと、砂肝にもハマってるそうっす」

「ハンバーグが不動の一位。そこは変わらん。でも二位以下はしょっちゅう変わるぞ」

「そうなんすか?」

「前なんか、うちの近所の中華屋の肉団子にハマってな、ハンバーグ食って肉団子食って、ひき肉ばっかり食ってる時期があったよ」

「あー、なんか想像出来る。美冬さんらしいっすね」


「ハックション!」

 自宅の湯船でウトウトしていた美冬。いや、お湯がだいぶ冷めているので、ウトウトではなく寝ていたようだ。

「ぬるい……」

 そう言って美冬は、追い炊きのボタンを押す。

 大きなあくびをした後、口元まで湯船に沈め、ブクブクと息を吐く。

「楽しみだなぁ、旅行。風邪ひかないようにしなきゃ」

 お風呂から出たらすぐ寝ようと決めた瞬間だった。

読んでいただき、ありがとうございます。

次の更新予定は12月29日です(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”

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