四度目の電車が過ぎて
システム営業部から始まった義理チョコ廃止政策は、今はリーヴァ全部署に広がっていた。新田の数ある功績のひとつで、女子社員からの支持は絶大だった。
「この点だけはいい会社よね、うち」
「確かに。萌ちゃんは同じ部署に女子社員が萌ちゃんだけだから大変だって言ってた」
始業前、好美と景子はまた美冬の席にいる。
「……にしてもあんた、その風呂敷よ」
デスクの上に置いてある重箱を見て好美が言う。和柄模様の薄紫色の風呂敷。
「このために買ったの。重箱と風呂敷」
「アハハ、それ、わざわざ買ったの?」
景子が笑う。
「バレンタインに重箱を連想する人いる? あんたまさか、その中にびっしりあのケーキが入ってるんじゃないでしょうね?」
好美はまさかと思いながらも美冬ならやりかねないと、恐る恐る聞いた。
「まさかぁ。バレンタインチョコを重箱で渡す人なんていないよぉ。この中に、このくらいの箱が入ってるの。電車で潰されないように、重箱に入れただけ」
美冬は両手で重箱の中にある箱の大きさを示してみせた。好美は安堵の表情を浮かべ、
「まぁ、重箱に風呂敷の発想も、あんたらしくて可愛いわ」
少し呆れたように言った。
「好美の美冬に対する皮肉は、いつも愛情たっぷりよね」
景子がそう言って笑ったところに、
「はいー。そこのお三人さーん。始業時間ですよー。お仕事してくださーい」
今日はパターンを変えてきた松田。好美と景子は疑うような目で松田を見つめた。
「奥さんとなんかあったんですか?」
好美が心配そうに聞く。
「ないわっ! 席に戻って仕事しろ」
照れた笑いを浮かべながら取り繕う松田。
「はーい」
二人は間延びした返事をして席に戻っていった。
「課長、スベっちゃいましたね」
主任の二階堂に言われ、
「うるさいっ! お前も仕事しろ」
また恥ずかしそうに笑う松田だった。
ビル全体に暖房が効いているため美冬はプレゼントの箱を重箱から出し、給湯室の冷蔵庫に入れた。仕事中もずっとソワソワした感じの美冬だったが、ランチ後でお腹いっぱいの昼下がり、はやる気持ちまでも睡魔が包み込んでいった。いつもは七時間以上寝る美冬が、三時間弱しか寝ていないのだから無理もなかった。
キーボードを叩きながら意識が遠のき、ハッと気付いて、画面に並ぶ意味を成さない文字の羅列を消す。机の引き出しから目薬を取り出し、両目にたらした。が、すぐにまた睡魔が襲ってくる。
美冬はガタッと立ち上がり、眠い目のままオフィスの出入口ドアを出て行った。
好美の席から美冬の後ろ姿がよく見える。頭をカクカクさせ、必死で睡魔と戦う美冬の後ろ姿を微笑ましく見ていた。
大きくカクンとさせた後、目薬をさす。またすぐにカクカクが始まる。そして急に立ち上がり、オフィスから出ていった。トイレにでも行ったのかと思いながら帰りを待っていると、数分後に戻ってきた美冬の手には缶のエナジードリンクが握られていた。
「それかぁ!」
好美はついに声を出して笑う。
「ど、とうした?」
突然笑い出した好美に驚いた林田が声を出す。
「ごめん課長。美冬を見てたら可愛くてさぁ」
アハハと笑いながら答える好美。
「え? なに?」
急に自分の名前が出てきて、今度は美冬が驚いた。
「いや、だってさぁ。目薬さしたりして必死に睡魔と戦ってると思ったら、急に出ていってエナジードリンク持って帰って来るんだもん」
好美笑いが止まらない。
「やだ。見てたの?」
「徹夜したんでしょ?」
「ううん、寝たよ。一時半くらいに作り終わったから」
「齋藤さん夜更かしして何作った……、あ、バレンタインか」
二人の会話に林田が入ってきた。一課課長の松田、三課課長の伴内に比べると、林田は事務所にいることが多かった。
「いいなぁ、齋藤さんにチョコ貰えるなんて羨ましすぎるよ」
一般的に見ても可愛い部類の美冬だが、好美がいつも可愛い可愛いと騒ぐせいで、システム営業部内での美冬は可愛いキャラで定着していた。
エナジードリンクの力と好美が騒いでくれたおかげですっかり眠気が飛んだ美冬は、一気に仕事のペースを上げた。が、定時に仕事を終わらせるには少し遅かった。
集中した美冬の仕事は早い。脇目も振らず次々と、みるみると仕事を片付けていく。睡魔に襲われていた時間を取り戻し、十八時を少し過ぎたくらいで終わりそうだと思い始めた十七時四十分、美冬の隣の席の山本が外回りから戻ってきた。
「齋藤さん、今日、忙しいかな? 出来たらこれ、お願いしたいんだけど……」
山本は申し訳なさそうに言いながら、手書きで埋めた調査報告書をそろそろと美冬に差し出した。
美冬は報告書をチラッと見て、山本にえへへーっと笑顔を向ける。そしてスマホを確認した。
「あ、やっぱ予定あるよね。バレンタインだもんね……」
貴之からのLINEはまだ来ていない。今やっている仕事はあと三十分ほどで終わり、山本に頼まれた仕事も見た感じ三十分ほどで終わるだろう。現時刻は十七時五十分。最近の貴之を見ていると、貴之も十九時前に終わる事はないだろう。
「大丈夫。そこ置いておいて下さい」
女神のような笑顔を山本に向けた。
十九時十分。予測よりも少し時間が掛かったが、山本にはとても感謝をされた。パソコンを閉じスマホを確認する。貴之からの連絡はまだ来ていなかった。。 フッと胸に不安が湧いたが、それを無理やり押さえ込んだ。
『仕事終わったよ。まだ終わらないかな? とりあえず新宿に行くね』
ラインを送信し、オフィスを後にした。
北からやって来た乾いた風が、美冬の髪を揺らす。スクランブル交差点の赤信号で変化のないスマホの画面に表情が曇る。信号が変わり、人の塊の中にいる美冬も歩き出す。改札を抜け、ホームで電車を待つ列の一番後ろに並んだ時に、微かにLINEの着信音が聞こえた気がした。
「貴之だ!」
スマホを取り出し、画面を確認した美冬は思わず声を出した。
『ごめん、先方との打ち合わせが長引いてて、まだ終わりが見えないんだ。誕生日にスペシャルに埋め合わせるから、今日はごめん』
ホームに入ってきた電車が少しずつ速度を緩め、ゆっくりと停車をする。スマホを見つめたまま動かない美冬。そんな美冬に構わず、電車に乗り込む人々。
『時間潰せる所で何時まででも待つよ。少しでも会いたいな』
電車から降りてきた人たちが突っ立ってスマホを操作している美冬を煙たそうに避けていく。
『今、トイレからこっそりLINEしてるんだけど、いつ解放されるか分かんないし、その後会社に戻って明日までに修正しないとならないから、今日はごめん』
「そんなぁ……」
フラフラとした足取りでベンチに近づき、力無く腰を下ろす。頭は考える事をやめてしまい、両手で重箱を抱えて、ただ泣きたい衝動をこらえているだけだった。
ホームに電車が入ってきては人を吐き出し、そしてまた人を吸い込み、ホームから出ていく。出ていく電車を四回見送った後、美冬は急に立ち上がった。その目は決意に満ちていた。
「行こう!」
"会社に戻って明日までに修正しないとならない"、ならば会社には戻ってくる。その時に渡すだけでもいい。美冬は再び電車を待つ人の列に並んだ。
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次の更新予定は12月15日です(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”




