紫陽花色の風呂敷
三連休明けの火曜日。システム営業部は始業時間前から慌ただしい雰囲気だったが、美冬たち三人はいつもの朝と変わらない。
「明日のバレンタインのやつ、今日帰ってから作るの?」
「うん。生モノだし、出来るだけ新鮮なやつを渡したいから」
今朝も美冬の席で女子トークをしていた。
「あれ作るのに何時間も掛かるでしょ?」
「そうね。イチゴを薄く切るのがとにかく大変。あと、固まらないと次に進めないのもあるから、時間は掛かるかな」
「昨日作っておけばよかったのに。一日ぐらい変わらないでしょうよ」
「いいの。気持ちの問題だから」
始業時間の九時まであと三分。松田は準備をしているようだ。
「あんたの彼氏になりたかったわ。なんで神様は私を女にして美冬に出会わせたのかしら……」
「何言ってんの、好美」
景子が笑いながらツッコんだところで、
「おい、そこの三人。もう始業時間だぞ。仕事しろ」
松田の登場だ。
「はーい」
好美と景子は今日も間延びした返事をし、それぞれのデスクに戻っていった。
「よぉし! 気合い入れていくぞぉ」
今日の美冬のモチベーションは高い。
寒さはまだまだ厳しいが、ひと月前に比べるとだいぶ日が伸びてきた。それでも十七時半を回ると、太陽は西の地平線に完全に沈んでしまう。
窓の外が暗いことに気付き、時間を見る美冬。三連休明けの今日は定時に帰れるなどとは思っていない。朝からハイペースで仕事をこなす美冬のモチベーションは、夕方になっても落ちていない。目はパソコンと資料を交互に行き来し、指先は滑らかにキーボードを叩く。時折、舌で唇を濡らす仕草が艶かしい。
「美冬、まだ終わんないの?」
営業の山本がいるはずの隣のデスクに好美がいた。
「え? なんで好美ちゃんがそこにいるの?」
「あんたの事を見ていたいからよ」
時間を見ると十九時を回っていた。
「あれ? もうこんな時間なの?」
「あんたの集中力って凄いわね。もう十分近くここにいるけど、全く気付く気配がなかったもんね」
「景子ちゃんは?」
「とっくに帰ったし、私ももう帰るわよ。あんたもこれからお菓子作りするんでしょ?」
「うん。でもこれだけやっちゃう」
美冬はパソコンに向き直った。
「もうちょっとあんたを見ていたいけど、帰るわ。お疲れ」
「うん、お疲れ」
画面を見たまま答える美冬だった。
美冬が会社を出た時は、もう二十時近くになっていた。電車に乗り、イチゴのスティックケーキの作り方を頭の中でなぞる。
野咲本町で電車を降りると、駅前のスーパーに駆け込んだ。必要な材料は頭に入っているが、念の為メモを見ながら確認する。最後に二十パーセント引きのシールが貼られた助六寿司をカゴに入れ、レジに並んだ。
いつもは歩いて帰る道を、今日はタクシーを使う。メーターが一度だけ上がり、六百円を支払ってタクシーを降りた。
部屋の明かりをつけ、手洗いだけして作業に取りかかる。まるでプログラミングされたかのような、無駄のない動きだった。前回作った時に比べるとかなりのハイペースで進んでいたが、いちごをスライスする段階でペースが落ちた。
小粒のイチゴたちを、極薄に、均一にスライスしていく。冷蔵庫で固めたばかりの生チョコレアチーズ生地の上に丁寧に並べる。イチゴが厚いと可愛く見えない、並べ方が雑だと美しく見えない。この作業には時間を掛けた。
型枠の中で、薄ピンクのレアチーズ布団の上に綺麗に重なり、五列に並ぶイチゴたち。そこにゼラチンを溶かしたイチゴジュースをゆっくりと流し入れる。
美冬は大きくため息をついた。
「可愛いね、君たち」
満足げにイチゴに話しかける。これで冷蔵庫で朝まで冷やせば完成となる。
「しっかり固まるのよ」
そう言って冷蔵庫のドアを閉めた時、お腹がグゥ〜っと鳴った。あっ! と思い出し、エコバッグを見ると、最後にカゴに入れた助六寿司が入っていた。
「夜ごはん食べるの忘れたぁ……」
時計を見ると一時二十分。
「今食べるのはマズイよなぁ……。シャワー浴びて寝るかぁ」
美冬は晩御飯を諦め、浴室に向かった。
スマホのアラームが遠くに聞こえる。だんだん近付いてくるそれが、現実に枕元で鳴っているものであると確認する。手探りでアラームを止め、ゆっくりと体を起こした。目は開いておらず、頭も五分の一ほどしか動いていない。そんな起きてるのか寝てるのか分からない状態でベッドに座る美冬。
急にハッと目を開け、冷蔵庫に向かった。冷蔵庫を開けて型枠を取り出すと、綺麗に整列したイチゴたちが透明ピンクの中でキラキラと輝いていた。
「綺麗……今までで一番の出来だわ」
美冬も瞳を輝かせる。
「……って、作ったの二回目だけど」
自分の言葉に軽いツッコミを入れながら、型枠から外した。それを温めた包丁で、五列に並んだイチゴの列に合わせて切り分ける。これで五本のスティックケーキが完成した。
胴体を薄葉紙で巻き、イチゴの上に食品シートを乗せる。プレゼント用の箱の中に並べたそれを見て、美冬はニッコリと笑う。
「完璧だわ、私……」
箱の蓋を閉め、その上にバレンタインカードを置く。そして包装紙とリボンでラッピングした。
美冬はかなりしっかりした重箱を取り出し、そこにスティックケーキが入った箱を入れる。重箱の中で箱が動かないように丸めたコピー用紙で隙間を埋めた。
「これで満員電車でも大丈夫」
紫陽花色の風呂敷で重箱を包んだ。
昨夜食べ損ねた助六寿司を食べ、化粧を始めた時に貴之から電話が来た。
「今日、やっと会えるね!」
弾んだ声の美冬。バレンタインデー当日、ディズニーランドに行った日から数えて十七日、待ちに待ったこの日だ。
「ん、あ、ああ……そうだな」
一瞬の間、そして少し低めのトーンの貴之だが、舞い上がった美冬は気付かない。
「何時に終わりそう?」
化粧の手を止めずにBluetoothで話す。
「まだちょっと分かんないな。目処が立ったらLINEするよ」
「分かった。今日は仕事が手につかないかも」
「なんで?」
電話でも表情が見えるくらいウキウキ声の美冬に、貴之は後ろめたさを感じる。
「早く会いたくて」
「あ、ああ。出来るだけ早く終わらせるよ」
「うん!」
美冬は重箱が入っている冷蔵庫をチラッと見た。
気温は低いが、太陽は東の空の低い位置から強烈な光を放っている。東に向かう車は皆、サンバイザーを倒していた。
美冬は紫陽花色の風呂敷包みを大事そうに両手に抱え、駅までの道を歩いている。頑丈な重箱に、中の箱が動かないように隙間を潰して固定してあるが、それでも美冬は出来るだけ揺らさないように慎重に抱えていた。
電車はいつもよりも少し混んでいて、いつも寄り掛かるドア脇にも先客がいた。仕方なく座席の前に立つ。左手でつり革に捕まったので重箱を抱えるのは右手一本になってしまった。
「この体制で渋谷まではキツイかも……」
それほど重いものではないが、手を下げられない状態で四十分は厳しい気がした。
「あんまり荷物棚には乗せたくないけど、最悪それしかないか……」
電車が速度を落とし、駅のホームに入る。
すると美冬の目の前に座っていた女性が立ち上がった。ドアの方向に歩き出した女性と入れ替わるようにスっと座席に座り、重箱を膝の上に置いた。
「今日の私、ツイてるかも……」
マスクの下で笑顔になる美冬だった。
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次の更新予定は12月13日です(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”




