明日十時に……
二月に入り、東京にも初雪が降った。夕方から勢いを増した雪は夜中までに数センチメートル積もったが、明け方から雨に変わり、午前中のうちにだいぶ溶けてくれた。
さいたま市野咲町にある大型ショッピングモール『リブズ』。土曜日の午後は家族連れで溢れかえっていた。モール内の食品スーパー隣りに設置されたバレンタイン特設売場。そこに浮かない表情の美冬がいた。
「はぁ、どうしようかな……」
去年のバレンタインには生チョコトリュフを手作りした。ラッピングも含めて納得がいく出来栄えだったし、貴之も喜んでくれた。だが、なんとなくありきたりな気がして、今年は誰も作らないようなものを作ろうと、ヒントを探しにリブズに来ていた。
「なんかどれもパッとしないんだよなぁ……」
バレンタイン特設売場を離れ、浮かない顔で歩く。
ふと、洋菓子店のショーケースの上のポップが目に入った。
『バレンタイン限定! イチゴの生チョコレアチーズタルト』
「可愛いかも……」
美冬はショーケースに近付いた。
形状はスティックケーキ。薄いピンク色の柔らかそうな生地の上に、極薄にスライスされたイチゴがドミノ崩しのように綺麗に重なり、ゼリーで固められている。
「すみません、これ二つ下さい」
ランチの時間帯は過ぎていたが、フードコートはとても混み合っていた。
ファーストフードで買ったコーヒーを手に席を探していると、たまたま目の前の席が空いた。美冬はそこに座り、買ったばかりのイチゴのスティックケーキを開けてみた。
「うわぁ、やっぱり可愛い」
上から下から見回してみる。そしてそれを口に入れ、ゆっくりと噛んだ。ゼリーの中のイチゴの食感の後に、レアチーズ生地の柔らかさが心地よく伝わる。
「ああ、いい……見た目もいいし食感も気持ちいい」
自分の歯型がついた断面を見る。
「これなら作れるし」
「美冬さん?」
すると、ひとりでニヤける美冬に声を掛ける女性がいた。
「…………………………」
「あ、安西です。深井コンピュータの……」
「んんんん……萌ちゃん!」
記憶を絞り出すように答える美冬。
「よかった。忘れられちゃったのかと思った。いいですか?」
笑いながらお伺いを立て、萌は美冬の向かいに座った。
「違うの違うの! とっさに名前が出てこなかっただけなの」
美冬は慌てて弁解をした。
深井コンピュータはクラウドの運営やシステムの効率化などを事業としている会社で、三年前にリーヴァが買収し、今はリーヴァの子会社となっている。
年齢は若いがしっかりとした技術を持つ萌は、顧客が増え続けているバード・エステートのメイン担当者で、リーヴァ本社に行くことも多かった。
「どうしたの萌ちゃん? こんな所で」
まさか自宅近くのショッピングモールで仕事仲間に会うなどと思っていなかった美冬は、この偶然を驚いた。
「私、家が北野咲だから、ここ近いんです」
「そうなの? ご近所さんじゃない!」
「美冬さん、野咲本町に住んでるって言ってましたもんね」
以前リーヴァの休憩室で同じ会話をした事は伏せてそう言ったが、
「あれ? 前に聞いてたっけ?」
美冬は察知して、少し照れたようにそう言った。
「買い物ですか?」
「そう。バレンタインの」
「あ、私もです」
そう言って萌は、パンパンに膨らんだエコバッグを見せた。
「萌ちゃんも手作りするの?」
エコバッグの中身が見えない美冬がそう聞くと、
「いえ、これ、会社のみんなへの義理チョコです。私、そういう人いないから……」
萌はとても地味な感じで、恋愛経験も少ないようだ。
「あー、萌ちゃんとこは義理チョコあるんだね」
「そうなんですよ。もう毎年嫌になっちゃう。美冬さんのところが羨ましいです」
「新田部長がね」
リーヴァでは女子の負担になるからバレンタインやホワイトデーの贈り合いはやめようという事になっている。初めは新田の号令でシステム営業部だけだったのだが、今はそれが全社に浸透していた。
「いいですよね、新田部長。仕事出来そうだし、優しくて面白いし」
それを聞いた美冬が、
「ああいうのが好み?」
と、聞くと、
「やめて下さい」
萌は真顔で即答した。
「だよね。おじさんだもんね」
美冬が笑う。
「明後日の月曜日、またリーヴァに行きます」
「本当? じゃまたお昼一緒に食べようよ」
「はい。うち女子いないから、美冬さんたちのところに行くの、ちょっと楽しみなんです」
嬉しそうに言った時に、萌のスマホが鳴った。
スマホの画面を見た萌は一瞬怪訝そうな顔をして、
「ちょっとすみません」
美冬に断ってから電話に出た。
「安西です。………………はい、ご無沙汰してます。………………はい。………………明日ですか? ………………ええ、大丈夫ですけど。………………会わせたい人? …………はい、分かりました。十時ですね。…………はい、失礼します」
不思議そうな顔のまま電話を切った。
「どうしたの?」
「いや、前にうちの会社にいた人なんですけど、一緒に虹ラボに行こうって誘われました」
「虹ラボ?」
「あ、レインボー・オープン・ラボって、虹色システムズが主催のイベントがあるんです。んーと……モーターショーのIT版みたいな感じかな。言っちゃえばオタクの祭典です」
「え? デートのお誘いじゃない!」
美冬が身を乗り出す。
「いや、二十も年上の人ですよ。すっごい仕事は出来るんだけど、ちょっと変わった人です」
「そうなんだ。よく連絡来るの?」
「いや、その人が会社を辞めてから初めてだから、多分五年振りくらい……」
萌は少し考えた顔をして、
「私に会わせたい人がいるんですって。多分、仕事の話だと思います」
スマホをバッグに戻しながら、どこか腑に落ちない様子だった。
雨は午前中にあがり、午後になって強い陽射しが出ているが、気温はそれほど上がっていない
車通りがない路地で、土井は日陰で凍っている雪をかかとで踏んでみた。シャリっと、心地よい感触が伝わる。
「もしもし」
耳にかけたBluetoothから声が聞こえた。
「あ、主任? 今、連絡ついたから。明日十時に入口で待ち合わせた」
「了解。じゃ、明日」
短い電話が切れると、緩い風が吹いた。その風の冷たさが、まだ冬が終わらない事を告げているようだった。
読んでいただき、ありがとうございます(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”
次の更新は12月3日の予定です。




