ランタンが揺れる夜
「いや、貴さん、降ってますよ!」
エントランスから出た圭介が大きな声で言う。
都庁が所在する新宿は、花の都と呼ぶにふさわしい。その一角、西神宿に貴之と圭介が勤める株式会社レグルスがあった。
「あ、でもそんなでもないな。傘無しで行けるんじゃないか?」
圭介に遅れて出てきた貴之が言う。
国道沿いにそびえ立つ十七階建ての雑居ビル、ノクス神宿。複数の会社が入っている十一階と十二階がレグルスのオフィスだった。
雨足はそれほど強くないが、冬の雨は思いのほか冷たかった。
「どっかで雨宿りしていきません?」
「いや、ちょっと寄るところがあるんだわ」
駅まで五分ほどの道を足早に歩く二人。
「貴さん最近、違う電車乗ってますよね?」
「なんだよ、監視してるのか?」
「美冬さんすか?」
少しニヤけて言う圭介。
「いや、今日は会社の人と飲むって、さっきLINEがあったよ」
何気なく質問と違う答えを言う貴之だが、圭介は特に気にとめなかった。
広い歩道には人が多く、なかなかスムーズに急げない。
「でも本当に美人ですよね、美冬さん。俺、あんなに綺麗な人を間近で見たのは初めてっすよ」
「バァカ。お前は絵美ちゃんだけ見てりゃいいんだよ」
「そりゃ絵美は特別っすけど、そういうんじゃなくて一般的にっすよ」
言いながら圭介は、すれ違う女性見た。
「美冬さんは北川景子とか石原さとみとか、そのレベルに達してますよ」
「まぁ、確かにな。俺も初めて会った時、一発で魂抜かれたからな」
貴之は圭介に笑顔を向けながら続ける。
「絶対彼氏いると思ったらさ、いなかったんだよ。こりゃ行くしかないって思ったね」
「そこ、確実に仕留めるところがさすがっす」
この横断歩道を渡ると駅の入口はすぐなのだが、赤信号がなかなか変わらない。厚手のコートが弱い雨の浸透を防いでくれてはいるが、寒さに無口になる二人だった。
東京二十三区で最北にある繁華街、赤羽。新宿駅で圭介と別れた貴之は、十五分ほど電車に揺られ、この街にやってきた。そして繁華街の外れにある目立たないバーに入る。
「土井ちゃん」
空いているカウンターに座るスーツの男に声を掛けた。
「ああ、主任」
男は振り返り、貴之はバーテンにビールを注文しながら男の隣に座った。
「で、話って?」
「で? って……。そりゃ大熊正商事の話さ」
貴之に聞かれた土井が、当然だろうといった感じで答える。
「まぁ、月曜から呼び出すんだ、いい話じゃないんだろうな」
貴之がそう言いながら、二人はグラスを合わせた。
土井は貴之と同じレグルスの社員で、システムエンジニアだ。会社で話せばいいのだが、他の社員に聞かれたくない話はいつも、会社がある新宿から離れたこの店を使っていた。
「あのさ主任。今回の話、やっぱ厳しいよ」
「おいおい、そんな弱気な事言わないでくれよ」
土井はマティーニのグラスに口をつけた後、貴之を見る。
「気持ちは分かるよ。この仕事が取れれば、世界が変わるからな。でも現実問題、今のうちのシステムじゃとても手に負えない。規模がデカすぎるんだよ」
「土井ちゃんさぁ、今なら虹色や楽園といった大手企業を出し抜けるんだよ? デモは出来てるんだろ? とりあえずそれでプレゼンしちゃおう。その後で必ず社長に資金を出させるから」
土井はグラスに手をかけたまま、少し小馬鹿にしたようなため息をつく。
「主任さぁ、システムっていうのは、金がありゃ明日から動かせるってもんじゃないのよ? 十分な資金があったとしても、開発から実用までは二年は掛かるよ」
貴之はフッと笑う。
「二年ね……」
何を、という訳ではなく、目の前の空中を見て貴之が呟いた。
土井は貴之よりも年齢が十歳以上も年上だ。非常に高いスキルを持つ優れたエンジニアだが、かなり傲慢な性格で、コミュニケーションが得意ではない。ひょんな事から貴之と知り合い、前の職場でも人間関係で上手くいっていなかった土井を、貴之がスカウトした。
ITベンチャーと言えば聞こえがいいが、当時のレグルスはホームページ制作や企業インフラ整備などを売上の主軸としている小さな会社だった。それが土井が入った事により、流行り始めていたAI技術に乗り遅れる事なく参入できたのだった。
三年前、国内No.2の自動車メーカーであるツバサ自動車の製造ラインで、レグルスのAIシステムが採用された。日本を代表する超大手IT企業である虹色システムズがメインでレグルスは特定の工程だけのサブ契約ではあったが、虹色システムズと最後まで競り合ったことで、業界に"レグルス"という名を知らしめる事となった。
ツバサ自動車という世界にも名が通っている企業に粘り強くアタックをして、契約を勝ち取った貴之は営業部のヒーローとなり、土井の技術が本物である事の証明にもなった案件。この時レグルスは大いに盛り上がったが、貴之の胸には煮え切らない悔しさがあった。
ツバサ自動車はレグルスにとって大きすぎた。生産ライン全てを管理するには、レグルスのシステムでは著しくパワー不足だったのだ。レグルスにもっと資金力があれば虹色システムズを完全に出し抜けた。この時、貴之と土井の胸に"打倒虹色システムズ"が刻み込まれた。
埼玉県さいたま市の隣に柊市という街がある。"人形の街"として有名なこの街だが、東京へのアクセスが悪く、いまいちパッとしない印象だった。
その柊駅を下りの終着駅にして、営団地下鉄に直通させる『彩の国高速鉄道計画』が立ってから五十年近くが経つ。が、二〇〇二年サッカーワールドカップに合わせて浦和美園駅まで延びた後は、計画は完全に止まっていた。
この鉄道計画を動かし、沿線のスマートシティ化を軸にした未来都市計画、これが大熊正商事の創業百年記念プロジェクトだった。
この情報を得た貴之がまず土井に相談したが、土井はプロジェクトの規模が大きすぎると乗り気ではなかった。そんな土井に貴之は、
「俺はな土井ちゃん、ツバサ自動車の一件以来、虹色を倒す事だけを考えてきた。もちろんただボケっと考えてた訳じゃないぜ、チャンスを伺ってたんだ。今回のプロジェクト、大熊正商事が世間にアピールしようとしている事がある。この一点を突けば出し抜ける。これは虹色も知らないはずの情報だ」
内容を詳しく聞いた土井は、それならいけるかもと納得をした。が、実際に手掛けてみると、都市ひとつ分の人口を管理するにはとても足りない、プレゼンまでに仕上げられるのはせいぜい街の一角分程度が限界だった。
貴之はビールを飲み干し、バーボンを注文した。バーテンが鮮やかに氷を丸く削り、ウイスキーグラスに入れる。そこにバーボンをダブルで注ぎ、貴之の前に置いた。
「んで……?」
貴之はウイスキーグラスを右手で触れながら、隣に座る土井の横顔を見た。
「会社ですればいい話を、ここで話してるんだ。何が秘策があるんだろ?」
薄暗い店内でペンダントライトが土井の横顔を怪しく照らす。土井は首をうなだれ、フッと笑った。そしてドライマティーニの残りを飲み干し、
「同じものを……」
バーテンに言った。そして怪しい笑みを貴之に向ける。
「じゃあ、本題に入りましょうか、主任……」
カウンターの隅に置かれたランタンの炎が、微かに揺らめいた。
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