三人娘 月曜の乾杯
午前六時。スマホのアラームで美冬は目を覚ます。アラームを止め、天井を見つめる。
「はぁ。またここから、現実が始まるのね……」
金曜の夜から昨日まで、まるで夢の中にいたようだった。ベッドに薄く残る貴之の香りが、夢ではなかった事を裏付ける。
一緒にいる時の貴之は優しかった。ずっと愛に包まれている感じだった。何度も行っているディズニーランドだが、昨日ほど素敵にときめいた事はなかった。
連絡が取れなくなったのは仕事に追い詰められていたから。貴之の言葉に嘘はない、貴之の愛は信じられる、美冬はそう確信できた。
そんな事を考えながら歯磨きをしている時に、スマホの着信。貴之からだった。
「もひもひ、おはよー」
歯ブラシを口に入れたまま電話に出る。
「おはよう、美冬。起きれた?」
電話から聞こえる貴之の声は、昨日と同じく優しかった。
月曜朝の人々はなんとなく憂鬱そうに見える。どんよりと雲がかかった灰色の空のせいかもしれない。が、美冬の心は軽い。
「おはよう」
駅前広場で群れをなす鳩に、声には出さずに挨拶をした。
電車はいつものように混んでいて、渋谷駅にはいつものようにたくさんの人がいた。
「美冬!」
スクランブル交差点の信号、声の方を見ると好美が手を振っていた。
「あ、好美ちゃん」
「今日ちょっと、早い電車に乗ったから」
いつも渋谷駅に着くのは美冬の方が十五分ほど早いので、会うことは滅多にない。
「どうだったのよ? 彼とは」
「いひひ……」
「いひひじゃないわよ。分かりやすいね、あんたは」
笑いながら美冬の肩を小突く。オフィスに着いてからも美冬の席で話を続けていると、
「あら、朝からなんかご機嫌じゃない」
景子が出社してきた。
「あらぁ、景子さん。美冬ちゃんたら、彼氏とムフフだったみたいなのよん」
「ムフフって……よかったじゃん、美冬」
「いひひ……」
景子に笑顔を向ける美冬。
「嬉しそうな顔して。今日は乾杯だね」
「お、月曜から飲んじゃうか?」
何気ない景子の言葉に好美が乗っかると、
「じゃあ私、奢っちゃう。金曜日は二人に悪い事しちゃったし」
立っている二人を見上げながら美冬が言う。
「きゃー! 美冬ったら男前ー!」
好美と景子の声が大きくなったところへ、
「おい、そこの三人。もう始業時間だぞ。仕事しろ」
課長席から松田の声が飛んできた。
「はーい」
好美と景子はいつものように間延びした返事をし、それぞれの席に戻っていった。
週末は不動産に動きが出るため、月曜午前のシステム営業部は特に慌ただしい。が、やはり営業の多くが外出していくと、オフィスはまったりした空気に変わる。
午前中の空はどんよりしていたが、午後になると陽が射してきた。
「ふぁ〜あ……」
好美が大きなあくびをする。
「吸い込まれそうだな」
二課課長の林田が茶化す。
「吸い込まれてみます?」
半開きの目で答える好美。二課でオフィスにいるのは林田と好美だけだった。
「課長出掛けないんですか?」
「俺が出掛けたら武田さん寝るだろ?」
「やだなぁ、寝ませんよ」
そのやり取りを部長席から見て苦笑いを浮かべる新田だが、好美がただおちゃらけているだけの社員ではない事は分かっていた。
リーヴァの社名の由来はReal estate(不動産)とEvolve(進化)を合わせた造語であるが、システム営業部はEvolveの最前線に立つ部隊である。営業は不動産営業店舗の成績優秀者たちで、ほとんどのメンバーを新田が選んだ。それを補佐する営業事務も新田自身が面接をして厳選した者たちである。今のシステム営業部を見て、人を見る目に自信を持つ新田であった。
仕事を終え、暖かいオフィスから外に出ると、いきなり冷たい北風に襲われた。
「さっむ! 早く行こ」
好美はそう言うが、行き先が決まっていない。
「どうする? 福ちゃん行く?」
美冬が聞く。
「福ちゃんかぁ……金曜に好美と行ったしねぇ」
景子は少し考えた後、
「おでん良くない?」
と、提案した。
「おでんもいいんだけどさぁ、久しぶりに焼き鳥って気分もあるんだよねぇ」
今度は好美が言う。
「あ、焼き鳥いいね。鳥っ子にしよっか?」
「ね。たまには行ってあげないと、おじさんすねるから」
こうして行き先が決まり、三人は歩き出した。
渋谷駅近くの路地を入った所にある、通称"飲みねぇ横丁"。昭和チックな小さな飲み屋が並ぶここに、居酒屋鳥っ子倶楽部はあった。
「らっしゃい! ……ってなんだ、久しぶりじゃない」
店に入るなり大将の元気な声に迎えられる。三人はカウンター席に並んで座った。
テーブル席が五席と十五人くらいが座れるL字型のカウンターがある店内。テーブル席は満席で、カウンター席も空きがわずかだった。
「月曜日から商売繁盛じゃない」
好美がカウンターの向こうで焼き鳥を焼く大将に声を掛けた。
「何言ってんの! 全然来てくれないから寂しかったよ!」
「ごめんねぇ、モツ鍋食べるのに忙しくて、来れなかったのよぉ」
「これだ! ったく、好美ちゃんには適わねぇな」
地声が大きいのだろう。そう言ってガハハと豪快に笑う大将。
「生三つちょうだい」
「あいよー! アキちゃん、お願い!」
カウンターの中では大将と大将より少し若く見える男性が調理をしており、カウンターの外に料理やお酒などを運ぶ女の子が立っている。この女の子がアキちゃんである。
「お待たせしました」
一見大人しそうに見えるアキちゃんだが、右手になみなみとビールが注がれた中ジョッキを三つ持ち、左手には三人分のお通しが乗ったお盆を楽々と運んできた。
「前から気になってたんだけどさぁ、アキちゃん、ビールジョッキいっぺんに何杯持てるの?」
好美が聞いた。
「最高は十二杯持ちました」
アキちゃんは可愛らしい笑顔で答え、お通しを並べる。
「嘘でしょ? ちょっと、十二杯頼んでもいい?」
「多分、持てると思います」
はにかんだ笑顔で言うアキちゃん。
「やめな。飲めないでしょ」
テンションが上がった好美をたしなめる景子。
「いや、見たいなぁ……」
「とりあえず乾杯しよ」
そうだね、と、三人はジョッキを持ち、アキちゃんは定位置のカウンター端に戻っていく。
「では! 美冬ちゃんが彼氏と仲直りしたことを祝してぇぇぇ……」
ジョッキを顔の高さに持つ好美の声が店内に響き渡る。
「ちょっ! ちょっと、やめてよ! そんな大きな声で」
慌てて言う美冬をお構いなしに、
「カンパーイ!」
すると店内のあちこちから、『仲直りおめでとう』『よかった、よかった』という声が飛び交い、皆グラスを掲げてくれた。
「ありがとうございます」
好美が座ったまま振り返ってジョッキを向けると、店内から拍手が起こった。
「恥ずかしいなぁ、もう……」
美冬は背中を丸め、ちびりとビールに口をつけた。
読んでいただき、ありがとうございます。
次回は11月27日に更新予定です。




