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第7話 夜空のトライアングル

部活帰り。駅前にある、行きつけのチェーン店にて。


「ふぅ」


 私は気持ちよくマイクを置いてみせる。だって、難しいって話題の曲なのに、全く音程がズレなかったから。


「94点……すげ、驚いた」


 ジャージ姿の唯翔の、心地よい口笛。その、興味ありげに緩められた頬に、今だけーーちょっとだけ、万能感なんかを得ちゃったりして。

 照れ臭さに頭をかきながらも、しっかりありがとうは伝えておく。


「えへへ。唯翔のお墨付きなら私、歌手とか目指してみようかな……!」


(……ん?)


 なんでだろう、不思議な間が空いてーーその時だった。ゆっくりと、口は開かれる。


「……でもやっぱ、あんまパッとしねえかも」


 硬直する私を前に、唯翔はうーんと首をひねるばかりだ。


「悪くはねーんだけどな。なんだろ……あー、没個性っつーか?」


 没個性、没個性、没個性……無責任な単語はなまりのように、いつまでも私に、のしかかることになる。



 気づけばぐっしょりとしたパジャマ。ベッドの上で、私は枯れた咳をする。

 トラウマ、だった。とはいえ、思い出すのもずいぶん久しぶりだったけれど。


 ぼーっと、ブルーライトに照らされてみる。


「さいあく……」


 そこには無機質な『yuitoがメッセージの送信を取り消しました』の文字。途中、なんだかしらけてきてしまって、私は深いため息をついてしまった。嫌な夢を見せられる身にもなってほしい。何事にも、タイミングというものがあるだろうに。


 これといった意味もなく、自室を行ったり来たりしていると、ふいに、別れ際のヨハンさんの言葉を思い出した。


『君の力になれるのなら、俺はいくらでも手を貸そう。』


 慈しみを孕み、それでいてどこか、懐かしいような声音だった。


 私はギュッと、スマホを握りしめる。


(縋っちゃっても、いいのかな。)


 時刻はちょうど、18時をまわったところだった。くわえて両親らはいない……迷惑かなと思いつつも、私は結局、ヨハンさんに電話をかけることを選んだ。否、選んでしまった。


 いっそ、出ないでくれとも思った。だって、これじゃあまるでーー


『Guten Abend』


 2コール目、だった。自分からかけたくせに、私はしばらく押し黙る。


『さっそく呼び出しかな? ローレライ』


 からかうようなヨハンさんの声が、耳をくすぐった。


 ハッ、と我に返る。


「さ、さすがにしつこかったですよね。ごめんなさい非常識でーー」


 ヨハンさんが優しいからって、赤の他人の私がそれにつけこんではいけない。そうだ、自意識過剰になるのはよそう。慌てて通話を切ろうとした、その時だった。ヨハンさんが、こちらの動きを見透かしたかのようにふふっと笑った。


 気にするな、彼は続ける。


『俺も休憩中だったんでね。しかし悲観的になりやすいのは、日本人の悪い癖だな』


「えっと、それってーー」


 つまり……なんだ? 私は眉根を寄せる。


『はは。はっきり言わないと伝わらない、か』


 スマホの向こうで風が吹いている。


『ちょうど……練習を頑張ったご褒美をもらいたかったんだ。なあ、ミオ』


 え、と言う声が、心なしかうわずっている。有無を言わさぬヨハンさんの圧に、私は思わずのけぞった。 


『俺が君を見つけた時の歌を、もう一度聴かせてはくれないだろうか』


 ヨハンさんはきっと、上目遣いになっている。なぜか、そんな気がしてならなかった。


 多分あの夜のことを言っているんだろうが、分かった上で、私は首を横に振った。


「近所迷惑になっちゃいますから。それに私、《《人前じゃ歌えない》》んですよ。あの時はホント、ヨハンさんとたまたま鉢合わせたからで」


 そういうわけなのでーーと、言ってて虚しくなってくる。なんというか、言い訳してるみたいだった。まあ実際、その通りではあるんだけれども。


ところが。


彼も彼で、決して諦めてはくれなかった。


『ミオ、どうしても"ダメ"か?』


「ですから、何をそんなに……!」


 駄々っ子のごとく、頑として譲らないヨハンさんに、私は正直疲弊していた。


(歌を、気に入ってくれた? のは嬉しくなくもないけどさ……!)


 ヨハンさんクラスのイケメンならば、国に歌うま美女の1人や2人、侍らせていてもなんらおかしくはないのに。


 どうして、よりにもよってアマチュアの私になんか。


『……ミオの歌声には、力が宿っているような気がするんだ』


 力? 私は短くおうむ返しする。


『寂しさに寄り添い、背中を優しく押してくれるーーそんな力が』


「…………」


 長い長い、静けさの後、



「口ずさむ、だけなら」


 その時のヨハンさんの、嬉しそうな笑い声といったら。


「まーあーあーあーあー」


 一旦スマホから離れ、上下上下、と軽めに発声練習をする。


 そうして、音をたどるように、私は喉を震わせた。


「♪〜 ♪〜」


 あとはただ、肩から力が抜けていくようだった。


(あれ、なんだろう……)


 熱い涙が、頬を伝ってゆく。瞼の裏に、誰かが見える。あの頃、中学生だった私だ。


 悔しかったのも、辛かったのも。絶対忘れない。忘れてやるもんか。彼女の姿を見て思う。


(ずっと、そばにいてくれてありがとう)


 すると彼女は満足そうに、今の私とひとつになった。


 これなら、歌える。


 実績なんてなくても。天才になんかなれなくても。


(もう、怖くない)


 この人の前でなら、私は自信を持って歌うことができるから。


 気づいた時には、口ずさむだけでは物足りず。流れゆくメロディに、昔頑張って書いた、歌詞を乗せていた。



「歌えた……っ! わたし、ヨハンさんっ……」


 感極まって息継ぎすらままならない私に、ヨハンさんは穏やかな微笑みを返す。


『ああ。心に留めておいてほしい。君の向こうにいるのは、ただの熱狂的なファンだということを』


 窓を強く開け放つ。遠くの空にはすでに、冬の大三角が輝いていた。

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