第6話 泥棒猫
急上昇ワード一位だった。
『ビッグマウス天鬼唯翔に期待の眼差しが集まるわけ』ーーネットニュースより。
生温い雫が頬を伝って、ぽたり、と画面に滑り落ちてゆく。
泣いてるんだ、と理解するまで、そう長くはかからなかった。
(ださ……っ)
プルルルルーー無機質な音が、雪の中へ吸い込まれる。
両親でもなく、友人でもなく。私が真っ先に向かったのは、ヨハンさんのもとだった。
*
ヨハンさんが滞在しているというホテルは、近所で一番と名高い高級スポットだった。
しかしなあ……
(これじゃ、出会い厨みたいだ)
仮にも、私たちはまだ知り合ったばかりの男女なのだ。ヨハンさんは了承してくれたが、いきなりホテルに押しかけるだなんて、なんだかすごく、いけないことのような気がして。
重そうな回転扉の前で、私は一瞬躊躇する。
おそるおそる、スリッポンを前に出す。
そうだ、もう後には退けないのだ。
唯翔もーー私も。
*
「やあミオ、元気にして……いや、今はよそうか。」
苦笑いのヨハンさんに、私はぺこりと会釈する。
「こちらこそ、突然伺ってしまってすみませんでした。」
ビロードのソファに腰掛けるよう促され、私は事のあらましを、ゆっくりと説明した。
「なるほど……ユイトとそんなことが」
ヨハンさんは何かを思い出すように、ふむふむ頷き出した。すかさず彼の視線を追ってみる。
「改めて、確認したいんですけど。私の幼馴染にーー唯翔に、会ったことがあるんですか?」
ああ、ヨハンさんがこともなげに顎を引く。
「昔、練習試合をしたことがあってな。もちろん俺たちの圧勝だったんだが……ふふ。彼だけは、最後の瞬間まで諦めていなかった。」
好戦的な笑みが、ふいにこちらへと向けられた。
ーーオマエには絶対負ける気がしないな。
そう言った時の唯翔の憎らしげな声が、いまだ耳にこびりついている。
「直感だったんだ。ユイトは良い眼を持っている。そして、いずれは俺すらを凌駕するような素晴らしい選手に成長すると……俺としてはあの時、ハッパをかけてやったつもりだったんだがな」
「そう、なんですね」
ーーハッパ、か。どこか愉しげなヨハンさん。遠回しは遠回しだが、本心ではあるんだろう。
「つくづくひどい男だ。」
まあ、たしかに。
「いちいちムカつくヤツではあるんです。毎回いいようにこき使われてるし。でも、なんていうのかな……もうちょっとお互いを、理解し合ってるつもりだったんです」
彼は静かに、私を眺めていた。
「それなのに私は、ずるい、いいなあって」
天才と肩を並べるために、必死で彼らに食らいついていこうとする、唯翔を。
「今までの、唯翔の努力を……頭ごなしに否定しました。」
幼馴染失格。それ以前に、人として一番やってはいけないことだった。
もう引っ込めたはずだったのに、堰を切ったように涙は溢れ出てくる。
「……う、ひぐっ……」
ヨハンさんは優しく、ハンカチを差し出してくれる。
「ヨハンさっ…………」
「たくさん泣くといい。幸い、ここには俺しかいない」
私は何度も頭を下げながら、勢いよく目元を覆った。
「こっちを向いてくれ、ミオ」ヨハンさんが、流れるように顎を掬う。
ああ、吸い込まれるーーと思った。瞳の奥のエメラルドが、私を捕らえて離さない。
「……俺ならそんな顔、させないのにな。」
どこか熱を孕んだ吐息に、私はただただ困惑する。
「ちょっと待っていてくれ。」
俺にいい考えがある、そう呟いたヨハンさんの口元には、にやりとした笑みが浮かんでいた。
*
〈ヨハン視点〉
「こうして顔を合わせるのは久しぶりじゃないか? なあ、ユイト。」
気さくに片手を上げると、うら若き日本のエース……天鬼 唯翔は、こちらを睨んだあげく肩までぶつけてきた。
「……オレの知らねえ間に、美桜と知り合ってたそうだな。」
男子トイレの出口にUターンしようとする唯翔を、ヨハンは余裕の表情で通せんぼする。
短い舌打ちが、流水音にまぎれていた。
「人の寝取ってどんな気持ちだ、え?」
頭の中で、即座に辞書を引く。
まさか、「この泥棒猫」、とでも言いたいんだろうか。
覚えず、腹の底から笑みが溢れていった。
「そんな野暮なことはしないさ、でもーー」
一瞥した途端、貧乏ゆすりをし始める唯翔。構わず続けた。
「今度の親善試合、ミオをかけて勝負しないか。」と。
唯翔の眉が、ぴくりと動く。
「とはいえ、これはあくまで個人的な誘いだ。もちろん断ってくれても構わない」
ベンチコートに隠れたユニフォーム。
チームに対しても不誠実だしなーーそう言うなり、ヨハンの肩はギリリと唯翔に掴まれた。
すると何を思ったのか、ハッと、唯翔は鼻で笑い出す。
「よく言うぜ、後で泣いても知らねえぞ。」
「……ファイナルアンサー?」
ああ、唯翔が深く頷く。
「乗せられてやる。ま、暇つぶしにはちょうどいーわ」