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第5話 痴話喧嘩


 そこはかとなく剣呑な雰囲気に、皆がなんだなんだと集まってくる。


「ライバル、って……うそ。唯翔と、ヨハンさんが?」


「ッいいから来い!」


ーーカラン、カラン。


 唯翔が腕を引っ掴んだことで、私たちはカフェを後にしたのだった。



 部屋は、前に来た時よりも殺風景になっていた。


 狡い真似しやがって、と唯翔が吐き捨てる。


「クソが……お前に偽善見せた片手間、あいつは敵情視察でもしてるつもりなんだろ、どうせ。」


「偽善なんかじゃないよ! ヨハンさん、ほとんど見ず知らずの私に親切にしてくれてーー」


 食い気味に言う私と唯翔の視線が、ばちっと絡み合う。


「……美桜はなんにも分かってねえよな」


 え、と掠れた声が、私から漏れてゆく。


「忘れもしねえ、ヨハン・ローゼンシュタール。あいつはな、ユース時代のオレを完封したあげく、こんなふうに言ったんだよ。」


「なんて」と言うよりも先に、唯翔が憎悪に満ちた目で告げた。


「オマエには絶対負ける気がしないな、ってな」


 その瞬間。私の脳裏に、悔しさに打ちひしがれる唯翔と、それを見下す涼しげな顔をしたヨハンさんが、くっきりと浮かび上がった。


「すぐ連絡先消しとけよ」


 二人の間にどれほどの確執があれど、今はそんなことよりーー


「これ、ほっといていいの……?」


 唯翔の配信チャット欄に、おびただしい量のコメントが流れ始めていった。


 どうやら気付かぬうちに、とっくに配信開始時間が過ぎてしまっていたらしい。


 唯翔はちょっと考えるような素振りを見せると、私にどさっと機材を渡してきた。


「美桜、そのまま付き合って。」


「はあ、何がなんでも急すぎじゃ」


「とりまカメラ回すだけでいいから」


 幼馴染ーーいや、天鬼唯翔に、「プロ」のスイッチが入ってしまった。こうなるともう誰にも止められない。唯翔に早くと促され、私は素直に応じるしかなかった。


 なんかいつも振り回されてる気がするんですけど……私のぼやきを遮るように、唯翔が撮影ゴーサインを出す。



「みなさんこんにちは〜っ!」


 カメラを構えれば、そこには爽やか(営業)スマイルを讃えた《《天鬼選手》》が映っていた。


「実は今日、配信があるってことをうっかり忘れちゃってまして。オレとしたことが、すみませんでした。点取って詫びます!」


 この通り! とおどけたポーズを取ってみせる唯翔に、『おっちょこちょいww』『さすが我らがエース、かっこよ〜』などといったコメントが寄せられる。


 私はいっそう、唇に力を込める。自分の苦笑いなんかが動画に入っていかないよう、細心の注意を払っておく。


 視聴者と軽い雑談を済ませたあと、


「さーてみなさん、来週の日曜には何が待ってると思いますかあ?」


 どこかうきうきしたように、唯翔は耳を傾けた。


「ハイ! そうでーす。ご存知のとおり、ドイツとの親善試合がいよいよ埼玉で開催されるんですね。そこでなんスけど、今回の配信はオレなりの決意表明っつーか、まあ宣戦布告的なあれなんかな。とにかく、"天鬼唯翔"が言いたいことはただ一つ……」


 唯翔は前髪をかき上げながら、すーっと深く息を吸う。


「鉄壁だかなんだか知らねえけどーーオレが必ず、ドイツをぶっ潰してきますんで。」


 だから、とさらに語気は強められた。


「サポーターのみなさんは、オレを大船に乗ったつもりで応援すること。しっかり期待しててくださいよ……以上!」



(撮影は切り上げたほうが良さそう……?)


 さらっと一礼した彼に対し、私は声をかけにいく。


「唯翔、お疲れ様。今回はけっこう短かったね」


 ん、なんだろう? 唯翔が口パクで何か訴えかけているような……


「ボ・タ・ン!」


 そうーー配信を切り忘れていることになんて、全然気づかないまま。


『今の誰? 彼女?』、『声きれい』、『マネージャーじゃないよね』、『こりゃ週刊誌案件だな』etc……


「えっ、ええっ……⁉︎」


 うろたえる私などお構いなしに、怒涛のコメントが、一気にずらーっと押し寄せてきて。


 唯翔はやれやれといったふうに肩をすくめ、やがて口を開く。


「ま、別に紹介しといてもいいか? 改めまして、こいつはオレのーー」


「あっ…………姉、です。」


 私が声を振り絞ってそう答えた途端『天鬼ってねーちゃんいたんだ』というコメントを最後に、"突如現れた謎の女"について詮索する人は、ぱったり現れなくなった。





「なあ、お前さ。なんでさっきウソついた?」


「それは、だって……」


 だって。唯翔は曲がりなりにも有名人だ。万が一マスコミなんかで、プライベートを面白おかしく取り上げられたとしたら。私の存在ひとつで、選手生命が絶たれたんだとしたら。


 私たちただの幼馴染なんです、そんな言い訳が通用しないのは、とうの昔に知っていた。


 短い舌打ちの音が、いやに響いた。


「唯翔……」


 昔から癇癪を起こすことはあったけど、今日の唯翔はなんだか、いつにも増して不機嫌な気がする。カリカリしていて余裕がない、というか。



ーーもしかして。


「最近、なんか嫌なことでもあった?」


 袖をつまむ私を、唯翔がはん、と一蹴する。


「……お前に話したとこでなに、解決するって?」


「な」


 開いた口が塞がらない私。大仰に、頭を抱えてみせる唯翔。


「昔のよしみで下手に同情なんかすんな。どーせいつもの自己満だろ? それで一番の理解者気取ってんなら、大間違いだわ。お前よりオレを理解してるヤツなんて、この世にごまんといるんだよ」


「……なんで急に、そんなこと言うの」


 姉を名乗らないでほしかった? 身内だと思われたくなかった?


 考えた先で、ひとつの確信にたどり着いた。


 長所なんて何もない。実績もない。努力という努力すら、してこなかった。


 そんなちっぽけな私に、隣にいられるのが。


「ずっと、ずっと。恥ずかし、かったんだ……?」


 めんどくさがりの私と、ストイックな唯翔。不釣り合いな幼馴染だって、本当はずいぶん前から気づいてたはずだった。


 でも、そんなのってあんまりだ。


 幼馴染って特別な肩書きがあるだけで、なんとなく嬉しかったんだ。サッカーそのものに興味があるわけじゃなかったのに、中学校の部活でマネージャーにもなった。


 唯翔がまんざらでもなさそうにするから、私たち、実はちょっとくらいは仲良しなんだと思ってた。




 しかしどうだ、すぐそばで育ってゆく素晴らしい才能は、いつだって無自覚に私を潰してきた。


 私は唯翔のせいで、人前でーー歌えなくなったのに。


 唯翔ばっかり、


「唯翔はいいよね。ただ恵まれてるだけじゃない、応援してしくれる人も、あんなにいてさ。」


「いきなり意味分かんねえ。なんだよ、負け惜しみ?」


 そっか、うん、それもそうだね、私はすっと立ち上がる。


 その先は言うべきじゃないと、頭では分かっていても、不出来な心のほうが、先に動いてしまった。


「天才の唯翔には分かんないよ! 凡人こっち側の気持ちなんて!」


 なんで? なんで唯翔ばっかり、上手くいってるの?


 ずるい。ずるい。ずるい。ずるい。ずるい。


 ハッとなった時にはもう、遅かった。




「あ、ごめ…………やっ」


 ものすごく、強い力だった。身動きが取れない。びくともしない。


 私は、唯翔に押し倒されていた。


 背中にこすりつく柔らかいベッドの感触、体の痛みと重みが混じりあって、すごく気持ち悪い。


「オレが、天才だって? テメェ、どの口が言ってんだよ……!」


 輪郭が、ぐちゃぐちゃに歪んでいた。


 どうしよう、怖い、こんなの知らない。


「唯翔、じゃない。だれ……?」


 かすかに怯む唯翔。私はその隙を、けして見逃さなかった。


「ごめんわたしっ、帰るからーー」


 ほつれた糸を握り締めながら、降りしきる雪の中をひた走った。

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