第4話 昨日の敵は今日も敵
「本当に、申し訳ありませんでした……!」
医師によると"おそらく過労がたたっての偏頭痛でしょう"とのことらしく、一週間ほど安静にしていればなんの問題もない、と……うう。自分で自分が、情けない。私は膝に額がくっつくまで、頭を下げ続ける。
「いいや、急病人を放っておくわけにはいかないだろう? 大事に至らなくて何よりさ」
待合室のヨハンさんは、こともなげにそう言ってのける。
「悪いのは、倒れるまで君を働かせる社会のほうじゃないか」
「でも、その」
私の言葉を遮るように、どうぞ、と手渡されたのはホットコーヒーだった。ここまで運んで来てもらって、おまけに病院代まで、支払わせてしまって。
ほぼ初対面であるにも関わらず、こんなに至れり尽くせりで、もうなんとお礼をしたら良いのか……いたたまれず視線をさまよわせていると、
「気にするなと言いたいところだったが……そうだな。ここは一つ、君の善意に甘えさせてもらおうか。」
ヨハンさんが、驚くべき速さでスマホを取り出した。
(天才ゴールキーパーの連絡先……)
私の通知欄が、いよいよ豪華なことになってしまう。唯翔……は、もはやスタンプの鬼と化してるけど。思ったところで、ふいに昨日のチャット履歴が目に止まった。
ベッドに並ぶ膝当ての写真に、私は頭を抱える。
ーーそうだった。すっかり存在を忘れていた。
リュックのファスナーに手を伸ばす。
「すみません、ヨハンさんにお返ししようと思ってたんです。これ!」
昨晩ぶらんこの柵に干されてあった膝当てを見せると、ぽかんとしたように、口が開かれた。
「君が、わざわざ? ありがとう。フラウ・ミオ。なんて、なんて健気なんだ……」
よっぽど大事なものだったんだろう。感動の再会(仮)に、心なしか、彼が目を細めたような気がした。
「それにしても、ですよ」
眼鏡をかけたまま眼鏡を探してるみたいになっちゃいましたねーー私が言うと、ヨハンさんは照れくさそうに笑ってくれた。
*
「美桜、みーお。聞いてんの?」
まどろみかけていた私に、目の前の幼馴染がおーいと手を振る。
「あっ、ごめん。レモンティーだけでいいんだっけ」
慌ててメニュー表へ目を通すも、これ見よがしとため息をつかれてしまった。
「何言ってんだよ。さっきオレが注文してやったばっかじゃん。しかもチーズケーキ2つな」
お前今なん徹目なん? 大丈夫そ?ーー憎たらしいほど、にやにや笑ってくる唯翔。私はヘンっと悪態をついてみせる。
「動画の撮影スケジュール。まだ決めてなかったろ?」
動画ねえ。きっと唯チャンネルのことだろう。というより、それしかない。
「ええっ、またあ? 私病みあがりなんだよ? ホントさ、もうちょっと気を遣ってほしいよね。」
私はたまらずブーイング。そりゃあファンの皆さまは、公式からの供給を今か今かと待ってるだろうけど。
「おねがいっ♡ めっちゃカワイー幼馴染♡」
唯翔は悪びれもせず、最近流行りのぶりっこポーズを決めてみせる。
今度は私が肩をすくめる番だった。
さっきからなんだか、他のお客さんからの視線も痛くなりつつあったし。
だんだん、ひそひそ声まで聞こえてくる。
ーーねえねえあのお兄さん、少ぉし天鬼選手に似てない? ほらサッカーの!
ーーあらほんと! それじゃ私、サインもらってこようかしら!
たとえ平日、なんなら空きコマの昼下がりだろうと、主婦層はけっこういらっしゃる。
私は仕方なく、「いいよ」小声で承諾した。バカップルだと思われるのも癪だから。
そう、あくまで、仕方なく。
ずこー、とジンジャーエールを吸い上げる唯翔は、気づけば上目遣いになっていた。
「そういえばこないだ送った膝当てなんだけどさ。あれやっぱり、唯翔が届けなくて大丈夫になったから。」
ちゅ、ゆっくりと、ストローから口が離れてゆく。
「私、助けてもらっちゃったの。ヨハンさん、いやーーヨハン・ローゼンシュタール選手に。」
「は? 何それ、どーゆーこと?」
そうそう、連絡先も交換したんだよ、私がスマホをかかげた途端。唯翔はガバリと、乱暴に私の肩を掴んだ。
「ちょっ、痛っ……離して」
「ふざけんじゃねえ。ヨハン、あいつはオレのーー宿敵なんだよ」