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第3話 元MGは頑張りたい


「んぅ……あと20ぷん…………」


ーーピコン、ピコピコ、ピコン!


「……さむっ………」


 ひとつあくびをして、寝ぼけ眼でスマホを探す。私、こんな朝早くに設定してたなんて。サイアク。部屋にはまだ、藍色のやわい光が差し込んでいた。


 今すぐ布団に潜り込みたい。そんでもって二度寝したい……のに、アラームをオフにはできなかった。


 私は目を丸くした。メッセージアプリの通知が、何十件も溜まってしまっている。


 ああそういうことか。きっと()()の仕業に違いない、スマホをベッドに放り投げるのと同時に、通知音がさらに軽快な音を立てた。


『窓見て』


 しぶしぶカーテンを開ける。ベランダの向こう側には、アンダーシャツに軽いウインドブレーカーを羽織ったーー天鬼唯翔あまきゆいとの姿があった。



 ほの暗い河川敷のランニングコースを、唯翔と一緒に走る。


「もうちょいで3キロ。いいよいいよ、ペース上げてこ〜」


 とは言っても、エースストライカーと朝っぱらから8キロランなどキツすぎてやってられないので、私は唯翔を急かすだけだが。すぐ後ろから、ママチャリで。


 いきなりで悪ぃ、と唯翔。


「大事な試合控えてっとさ。美桜のスパルタがなきゃ締まらねえっつうか、なんかこう、どーしても落ち着かねえんだよなー」


「あーね」


 私はつとめて平坦に相槌を打つ。


「あとシンプルになついってのもある。下でよくドリブル練習してたし。」


 これにはふふっと、笑みが溢れた。勢いあまって、備品のボールを川に吹っ飛ばしたこともありましたもんね、あなた。


「そういや中学ン時、怒らせたら死ぬって評判の鬼マネージャーがいたような気が……あれえ誰だったっけー⁇」


「やっぱ16キロダッシュでいい?」


「うはは、そういうとこだよ!」

 

 私はやれやれと肩をすくめてみせる。これじゃまるで、年甲斐もなく鬼ごっこにはしゃいでるみたいじゃないか。


(でもま、さすがはプロだよね)


 こんなふうにふざけていても、全く息の上がっていない後ろ姿に、ふと、幼き日の約束を思い出す。


『おれ、おれっ……ほんとに、くやしい……うぅっごめん、みお……あいつらのこと、ぜったい見返してやるから……!』


 成長期までにたくさん牛乳を飲んでいた唯翔だったが、残念ながら私との身長差はほぼ生まれなかった。


 でも。


 唯翔は他の選手より体格が劣るぶん、誰より速くフィールドを駆け抜けた。誰より多く、点を決めた。


 己の境遇を恨む暇があるなら、特訓のひとつもこなしてみろーーこの"影の努力"に、私はいったい何度付き合わされたか分からない。



「そろそろ折り返しだよ、って」


 思わずきき、と自転車を止めた。


(キレー……)


 朝焼けが、私たちを焦がしていた。水晶みたいに、きらきら輝き始める汗。早起きは三文の徳とはよく言ったものだが、たしかにこの光景は徳かもしれない。


「……唯翔って、元旦も慌ただしくしてたよね?」


「? おー」


「じゃあさ、これが初日の出ってことにしようよ。」


「は…………そ、だな。うん。」


 唯翔はなぜかそっぽを向いていた。煮え切らない返事に、私はどこか歯痒いものを覚える。


「何その微妙な反応ーーなあんかムカついてきた。追い抜いてやる!」


 ペダルを漕ぐ足に、いっそう力を込めて。


「なっ⁉︎ おい待て、スポドリ持ったまま行くんじゃねーよ‼︎」


 唯翔の悲痛な声は、いつまでも河川敷にこだまし続けた。



 頑張る人の成長を側で見守るのは昔から好きだったし、仕方ないっちゃ仕方ないけど、


「いらっしゃ、せぇーー」


 こちとら唯翔のせいで、しっかり寝不足だ。繰り返されるオーダーミスを引きずっていたら、さっき焦ってグラスを割ってしまいそうになった。


 シフト前に、栄養ドリンクでも注入しておけばよかった。もはや立っているのもやっと、って感じ。


 年季の入った薄い壁からは、いつにも増してがやがや声が伝わってくる。どうやら今日に限って外国人の団体さんが入っているらしく、個人経営のウチはてんてこまいだ。


「あっまた注文入った! 誰かヘルプ〜‼︎」


 ここぞとばかりに胸元から、すっとボールペンを取り出した。私とて、給料泥棒になるのはごめんなのだ。


「えー、ミオちゃん大丈夫⁉︎ 具合悪そうだったし、なんならもう上がってもいいんだよ?」


 ひょっとして、女の子の日だと思われてたんだろうか。大皿を抱えた店長が、気遣わしげに私を覗く。


「ありがとうございます。でも平気です。私に、行かせてください」


 必ず汚名返上してみせますから。私は握り拳をつくって、そう言った。



「お待たせいたしました」


 個室の障子を開ける。卓上に並ぶビールやソーセージにうっすら吐き気が込み上げてくるが、頑張って堪える。


「ご注文お伺いしまっーー」


(あ、れ?)


 頭が妙にチカチカする。どうして片側だけ、真っ白に見えるんだろう。


 しだいに視界がぐにゃりと歪み始める。私は小上がりにつんのめってそのまま……



 ばすっーー



 お腹に残ったのは、たくましい腕の感触。


「おっと、間一髪だったな。」


 私を受け止める流暢な日本語にはとても、聞き覚えがあった。


「ヨハ……お客、さま…………」



「安心して……眠、といい……俺が病……に連れ……」薄れゆく意識の中。チュベローズの香りが、鼻先をくすぐっていった。



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