第1話 有名人の幼馴染
たとえば年越しジャンプだなんて幼稚な真似、私にはもうできっこない。
3、2、1…………あんこもち片手に、どこか冷めた気持ちでリモコンを探す。お正月の特番には今年も、華やかな芸能人に囲まれて笑う、幼馴染の姿があった。
「あらヤダ! も〜ユイちゃんったら、それは高級プリンじゃなくて養殖ウニよ! 一番間違えちゃダメなやつじゃない!」
厚化粧のおばさんーー天鬼唯翔の実母につられ、親戚一同からどっと笑いが起きる。私もいちおう空気を読んで、曖昧な微笑みを返しておいた。
(あの"泣き虫ユイちゃん"が、今じゃ日本を背負ってるんだもんなあ)
人生何があるか分からない、としみじみ思う。
プロサッカー選手として唯翔が上京してからというもの、おばさんはすぐ隣のウチ、矢車家に入り浸るようになった。
そのためこの「合同正月会」は、もはや冬の風物詩と化している。
最近はご近所付き合いを厭う人も増えているそうだが、おばさんいわく「唯翔と美桜ちゃんはほとんど兄妹みたいなものだもの、ね?」とのことだったので、誰も彼も、今さら苦言を呈す気にはなれなかったのだ。
とはいえ私も、みんなでワイワイやるのが嫌いなわけではない。福笑いやら羽子板なんかに興じていた日々を、今でもときどき夢に見る。
まあ……近々唯翔もオフをもらえるらしいから、賭けトランプに積んだお年玉は、その時にでも返してもらうとしよう。
*
朝っぱらから現役サッカー選手のツーブロをじょりじょりできるのは、もしかしたら幼馴染の特権なのかもしれない。
「しっかし水色頭かあ、宇宙人みたいで斬新だね。」
「ふっふーん、目立っていーだろ?」
季節外れにもサングラスをかける、アホな幼馴染。ストーカー対策だかなんだか知らないけど、エースストライカーだからって意識高すぎでしょ。私はふうとため息をつく。
「……ね、ずっと気になってたんだけど。唯翔はなんでいつも、おバカなふりしてるの?」
今のマネさんがそういう方針なの? ざっくばらんに切り出してみるも、唯翔はきょとんと小首を傾げるばかりだ。
「品格チェックスペシャルだよ。ほら、お正月にやってたやつ」
「ん? あー、そりゃお前あれだ。自分よりバカなやつがいるって思わせたモン勝ちっつうかさあ、特にまあ、バラエティなんかは。」
「はぇー」
「自分から聞いといて興味なさそうにすんじゃねえよ。時代は天然イケメンなの。オレ今絶賛モテモテ中なの」
「お、噂をすれば」唯翔が口の端を吊り上げる。
「見てみて美桜〜! ご飯誘われちった〜」
最新機種のスマホごと向けられたダブルピースに、私は目を細める。相手はこの間、ミリオン再生を突破したばかりのアイドルだ。
「ふうん。すごいじゃん。ま、すっぱぬかれないようにせいぜい気をつけてよね」
「なに、妬いてんの?」
「……余ってるお餅ならまだあるけど」
そっちの焼くじゃねーんだよ、と唯翔が地団駄を踏むのを横目に、私はすかさずタブを開く。
大手SNSアプリ・インメタ。久しぶりに見てみれば、天鬼唯翔公式アカウントのフォロワーは、なんと100万人にものぼっていた。
ほほう、さすがは半タレント。私のなけなしの200人とは大違いだ。そのままスクロールしていく。相互フォロー欄には女子アナ、読モ、お天気お姉さん……無加工かわいこちゃんがよりどりみどり。
「はあーあ、呆れた。女遊びもほどほどにしときなよー? いち幼馴染として特別に忠告しといたげる。」
やかんのように、唯翔はみるみる顔を真っ赤にさせると、バッと私からスマホを奪った。
「勝手に見んなし! つか、もっと他に言うことあんだろ‼︎」
はて、他に……? なんだろう、本当に分からない。
「あ、おデート楽しんでらっしゃ〜い」
遊園地キャストのように、ひらひら手を振ってみせる。
おい待てちげーよバカ! このヤロ、化粧ぶーす! 妖怪くそババア!……背後からこれでもかと、小学生レベルの罵倒を浴びせられるが、自転車のペダルのせいで聞こえなかったことにする。
だってしょうがない。私のようなしがない一般人は、真面目くさって、バイト代という名のギャラをもらいにいかねばならないのだから。
*
卒業式にはよく「世界に羽ばたけ」とか言われるものだが、特にこれといってなりたいものもなく。私が選んだのは結局、大学の中でも費用の一番安い、心理福祉学科だった。
ぎいこ、ぎいこーーバイト帰り、さびれたブランコの音色が、静寂にこだまする。
(ここ、こんなにボロボロだったっけ)
昔は唯翔と2人乗りできるくらい頑丈だったような気がするけど、こんな調子では、いつ壊れてしまってもおかしくないだろう。
そうっと、茶色の鎖から手を離して、周囲に誰もいないことを確認した。
深呼吸。そして私は、いつの日か自分で作詞作曲した歌の一節を、口ずさむ。
「♪〜」
中学生の頃、唯翔に死ぬほどネタにされたのが悔しくて、しばらく口を聞かなかったなあ。たしか唯翔が先に折れて、高いアイス奢ってくれたけど。
「♪〜」
そんな唯翔もそのうち、美人モデルとかと付き合ったりし出すのかな。サッカー選手って、なんでかみんな結婚早めだもんなあ。
唯翔だけじゃない。周りの友達は免許取ったり、彼氏つくったり、就活に奔走したりしてて、私も何かしなきゃって、毎日不安で。
誰にも置いていかれたくないから、なんとなくバイトして。なんとなく大学行って。
街も人も、全部変わっていくのに、私だけがなあなあのまま、いつまで経っても変われない。
「♪〜 ♪〜」
本当は、歌手になりたかった。路上ライブすら恥ずかしくてできなかったヤツに、そんなこと言う資格はないのかもしれないけど。
いつしか自分で自分が、分からなくなってしまった。
良い就職先なんて知らない。結婚適齢期なんて知らない。
"オーディションとか受けてみれば良かった。"それはいつしか、私の中できっと呪いになる。
そろそろ現実見なきゃいけないってことくらい、私だって分かってる。
夜空を撫でる指先に力を込める。煌めくシリウスに手を伸ばしてーー届かない。
白星をあげるには、私では役不足らしい。
でも。
「私もあんなふうに、なりたかったな……」
ーーパキッ。
私の独り言に応えるように、それは鳴らされた。
「だ、だれっ」
今は夜中で、公園にはたしかに私ひとりだけだったはず。
まさか、クマかイノシシ? それか、考えたくない。考えたくはないが、茂みに隠れているのが変質者だったとしたら。どうしよう、そんな、いやだ、殺されたくなーー
なすすべなく、ぎゅっと目を瞑る。しかしいくら待っても、衝撃はやって来なかった。
「…………?」
おそるおそる瞼を持ち上げる。ゆったりとした足取りで、距離を詰めてくるのは。下手したら獣や殺人鬼なんかよりも恐ろしいーーこの世ならざる、美しさだった。全身が凍りつきでもしたかのように、素直に粟立ってゆく。
豊かな絹の金髪、男性にしてはいささか赤すぎる唇、切長のエメラルドは、私に、氷床の薔薇を彷彿とさせた。