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再生の砂時計  作者: 遊都
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プロローグ

 雲一つなく、澄んだきれいな青一色だけだった空は、寝ている内にすっかり鮮やかな茜色に染まっていた。

 丘の上の小さな公園。そのはずれにあるここは、街を一望できる隠れた名所としてマイナーな雑誌にも取り上げられたこともあるらしい。

 仰向けのまま空を見続ける。

 ここ数日の間に僕と僕の周りを取り巻く環境は大きく変わってしまった。

 初めは些細ない喧嘩に過ぎなかった。それが少しずつ、時間が経つごとに溝は深くなっていき、気付いた時には手遅れになっていた。

 今回の出来事で僕は思っていた以上にみんなのことを知らなかったことを思い知らされた。

 子供の頃からの付き合いだからと、自分でみんなのことを知った気でいるに過ぎなかったんだ。

「あの時こうすればよかったな、どうして僕はこんなことを言ったのだろう?」などといった後悔が頭をよぎる。思い出すたびに自分の浅はかさに心が痛む。

 暫しの間そんなことを考え続けた。


 五分くらいだろうか? 考えた末に結局結論は出なかった。

 芝の上で寝ていたためブレザーについた芝生を払い落しながら立ち上がる。


「帰ろう」


 誰に言うわけでなく、ただ呟いてみた。

 心の中ではまだ誰かがすぐ近くに居てくれるものだと思っていたからだ。

 頭では分かっている。今自分が一人だということに。それを僕の心は認めてくれないのだ。

 我ながら情けない弱い心だと、思わず苦笑いがこぼれる。



 家に帰ろうと駅に向かうため、丘まで来るのに使ったけもの道を通って街に戻った。


「何これ?」


 人。人。人。人。人。人。人。人。

 街は異常なほどの数の人で埋め尽くされていた。

 小さな子どもからブレザー姿の学生やスーツ姿の大人、果てはこんな人ごみには似つかわしいほど老いている老人まで、老若男女問わず様々な人種で溢れかえっていた。

 あまりにも異様な光景にさっきまで僕の考えていたことがいっきに吹っ飛んだ気がした。

 この異常は何事かと思い、近くを歩いていた人に声をかけてみた。


「あの、ちょっといいですか?」


 声をかけたブレザー姿の同年代らしき学生からは、返事が返ってこないばかりか反応すらなく、そのまま歩き去ってしまった。

 話しかけても無視されだが、そんなことを気にしていられる状況ではなかった。

 ただ街が人で溢れかえっているだけではない。今の人の混み具合は歩道だけに留まらず、車道まで埋め尽くされるほど人が混み入っているのだ。普段ならこの時間帯でも車は少なくとも何台かは走っている。それが今この状況では一台も走っていないんだ。

 何よりもおかしいのが、人の様子だ。

 さっきの学生もそうだったが、見る限りではみんな、その辺をふらふらと歩きまわっていたり、その場に立ち尽くすだけだったりと目的がなく行動しているようだった。

 続いて道の隅っこに座り込んでいる男の人に声をかけた。


「一体この街の様子は何なんですか?」


 座り込む男の人は俯いたままで、さっきの学生と同じく何の反応も示そうとしなかった。

 おかしい。何もかもおかしい。

 街の異変に、不穏な人の様子。この二つが僕の沈んだいた心をざわめかせる。

 心のざわめきは次第に恐怖という感情に移り変わってきた。

 全くの無反応。自分だけがこの状況についていけず、取り残されていく感覚。それがざわめきを恐怖に変えていく。

 そして僕は思わず座り込んでいた男の人の肩に手をかけようとした。

 手をかけた――そう思った瞬間、僕の手は男の人の肩をするり

 とすり抜けた。勢い余って倒れこみそうになる。


「……え?」


 体制を整えてもう一度男の人に触れてみる。やはりすり抜けてしまった。

 何度触れようと手を伸ばしても結果は変わらない。すり抜けてしまう。


「な、何だよこれ」


 後退りする。そこで人にぶつかったかと思うと、その人の体も僕はすり抜けてしまった。

 体から血の気が引いていく。

 この訳のわからない現象に僕の体は勝手にこの場から走り出していた。

 何だよ何だよ何なんだよ!

 意味がわからない。これはもしかして夢なのか? 違う。走っている感覚はある。この足で確かに地面を、アスファルトの大地を蹴って進んでいる。これは夢じゃない。夢じゃないんだ。じゃあ何なんだ?

 どのくらい走ったかわからない。すれ違う人、ぶつかってすり抜ける人。みんな表情がない。何の身振りもない。その辺りを彷徨っているか、立ち止っているか、座り込んでいるか。

 それだけで他に何の素振りも見せてくれない。

 ここはどこ? もしかして幽霊? いや、むしろ僕の方が幽霊になってしまったのか?

 溢れる人ごみをすり抜けてすり抜けて、止まることなく走り続ける。

 やがて息が苦しくなり、足が重くなってきた。

 そして周辺がビルに囲まれた通りで、体力は底をつきて、その場で立ち止まって膝に手を置き呼吸を整える。

 周辺を見てみると、この辺りの人は座り込んでいる人が多い。

 けもの道を抜けた辺りの人たちとここの人たちでは少しだけ様子が少し違った。表情は向こうと同じ無表情だがその姿からは生気が感じられなかった。

 この場に立っているだけでなんだか少しずつ気分が悪くなってきた。

 それはまるで心が少しずつ擦り切れていくような感覚に近かった。

 息も整ってきたところで、すぐにでもこの場所から立ち去ろうと思った――その時だった。

 先程までなかった人の声が上から聞こえたのだ。

 僕はすぐにその声の聞こえた方を見上げた。

 それほど高くないビル屋上のフェンスの外側にくたびれたスーツを着た中年の男がいた。

 男の立っている足元は下からではわからないが、一目見る限りでは少しでも動いたら落ちてしまいそうだった。

 はらはらしながらその男の後ろ姿を眺めていたら、どうやら誰かと話していることに気がついた。下に居たら僅かにしか聞こえないがその口調は荒いでいた。

 誰かと口論しているのだろうか? だとすれば人がもう一人いるはず。

 そう結論付けると、この不気味な世界に一筋の光が差し込んだように思えた。

 話せる人が二人もいる。

 人が自殺しそうというのに、不謹慎にも僕は自分以外にも普通な人がいることがわかり、安堵しホッと胸を撫で下ろした。

 そしてそのビルの内部に足を進めた。

 男のいるビルの玄関にあた自動ドアは何故か開きっぱなしでいたので、そのビルに侵入するのは容易であった。

 しかしエレベーターはどういうことか動かず、屋上に上がるのに階段を使うはめになった。

 それほど高くないビルだったので息が切れることはなかったが、急いで駆け上がったため足がパンパンになっていた。

 屋上に繋がる扉を前にして僕の心は高鳴っていた。

 ついに会える。自分以外の普通の人に。

 そう思うと顔が自然とにやけていた。

 自殺をしようとしている人がいるのだ。その気持ちを胸に抑え込み、顔に緊張感を取り戻しその扉を開いた。


「もう嫌なんだ! 妻と娘にはまともに相手にされなくて! 同期はみんな出世していくわ!」


 屋上に居た人の数は二人だった。一人は下から見えた男で、何やらもう一人のフェンスから少し離れたところいるブレザー姿の女子に対して乱暴な言葉をぶつけていた。

 息を整えて男は再び口を開いた。


「その上俺が仕事をクビだと? 俺の人生もう終わりだ!」


 叫ぶように言葉をどんどん吐きだしていく男の気迫は、少しも自殺するようには思えなかった。

 そんな男に対して、男の世迷言を受け止めているもう一人の人に目を向けた。

 そのブレザーは僕と同じ二高の制服だった。

 胸辺りまで伸ばした黒い髪をピンクのリボンで一つに纏めた後ろ姿で、僕の記憶の知り合いの中に該当する人はいなかった。


「お前にわかるか? 毎日家族に気付かれないように公園やネットカフェで時間を潰す惨めさが!」


 話の途中からだったが、流れはすぐに理解できた。

 あまりにも典型的なパターンに本当にそんな人がいるんだなあ、と感嘆すら覚えた。

 僕が一種の感動を感じている間に、彼女はきつめの口調で男への不満を言い放った。


「だから何? それだけで死ぬっていうの? 死ぬなら勝手にすればいいわよ。でもね、あなたはそれでいいの? 負けっぱなしでいいのかしら? それに残された家族はどうするつもりなのよ?」


 あれ? この声どこかで聞いたことがある。


「例え家族にどんな目で見られていても家族でしょ? 大切じゃないの? 仮にも愛し合って結婚したんでしょ。それだったら絶対、絶対に悲しむわよ」


 どこで聞いたのか覚えだせない。僕はこの後ろ姿の女性と面識はなかったはず。


「誰だってね……いつも一緒にいる人がいなくなったら悲しいものなのよ」


 最後の彼女のもの言いは、どこ 彼女は男を輸すのではなく、自分の言いたいことを言っただけかもしれない。

 彼女の放った言葉は、説得にしては感情的すぎる気がした。

 男の方はまだ何か言いたげだったが、彼女の言葉に共感するところがあったのか、口籠って頭を抱え何かを考えだしてしまった。

 そして彼女はこれで良しとばかりにこちらに振り返る。そして彼女の顔が目の前に現れた。

 そうだ。僕はこの顔に見覚えがあった。

 まるで人形のように整った顔立ち。きりっとした表情はまだ少し残る幼い可愛らしさを拭い去っていたが、それがまた、残った綺麗な顔立ちの中の少し背伸びする可愛さを印象強くしてした。

 彼女の後ろ姿はみていないからわからなかったが、今思い出した。一週間ぐらい前に踊り場で話しかけてきた人だ。

 けれど今、知る、知らないは今は関係ない。ただ僕の姿、声に反応してくれるか――そして触れられるかだ。

 意を決して彼女に声をかけた。


「あの、僕の声……聞こえますか?」


 声をかけたまではいいが、これでもし聞こえてなかったら……そう思うと怖くて、言いきった後思わず目を閉じてしまった。

 沈黙がこの場を支配している。

 まだ目は閉じたまま。そのまま時間が流れる。

 目を閉じている間にどのくらいの時間が経ったかはわからない。一秒が十秒にも一分にも感じられた。

 ……どのくらい時間が経っただろう? 彼女の言葉はない。もしかしたら駄目だったのか?

 恐る恐るギュッと閉じた瞼を持ち上げる。

 開かれた瞳に映ったものは、信じられないものをみる目で僕を見る彼女の顔があった。

 それは間違いなく僕に反応してくれているものだった。


「あなた、私が見えてるの?」


 声をかけられた。

 間違いない。彼女は僕のことを認識していることが確定した。


「はい! 見えます!」


「そう……あなたもこの世界に迷い込んだのね」


 この世界? 今いるここが違う世界だと言っているのか?

 彼女は難しい顔をして何かを考えだした。

 僕はその間何も話しかけることができず、黙っているしかできなかった。

 少しの時間彼女は考え込んでいると思ったら、すぐに答えは出たのかこちらに視線を向ける。

 そしてこの世界の――これから始まる物語の始まりを告げた。


「決めたわ。今からあなたにこの世界のことを説明します」

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