1970 世界&日本 1980
全体的に数年遅れていますので、
1973年、ついに中華内戦が終結。国際連盟が暫定線を引きそこから長い交渉の末、ついに呉と中華民国の間で講和条約が結ばれ恒久的な国境が確定した。
残る不安定地域はアフリカ中東部から南東部であったが、相変わらずだ。
国際連盟では内乱・内戦状態をなんとかしようとするが、国際連盟も一枚岩ではない。加盟していてもアフリカ中東部南東部に武器を売る国はある。加盟当初からG5に批判的なフランスとベルギーに、我が道を行こうとするイタリアの3カ国だ。その3カ国は中華内戦でも国際連盟成立後に頑張って売っていた。売っているのは軽機関銃と小銃や拳銃とその弾薬なのだが、それでも簡単に人は死ぬのであった。
昭和四十年代日本 三種の神器時代
カラーテレビ・クーラー・自動車を三種の神器といってもてはやした。
昭和三十年代終わりから世の中にはアメリカ発アドベンチャーズの テケテケテケテケ が流れ、それに続きイギリス発ザ・ビートアップズが一世を風靡していた。ドロップ・ストーンズも加わり人気は加速する。
それに触発された連中が次々とエレキギターを手にして音楽活動を始めていた。
グループサウンズが商業的に成功を納め、寺内サトシなどのグループも活動していた。そしてアメリカ発のフォークソングが入ってきた。
山田一郎もフォークギターを手に入れたが不器用すぎた。何よりも芸術的センスという決定的な物が欠けている。業界で活躍できたのも前世在ればこそである。映画業界がテレビに押され下火になりつつあったので音楽を目指したのかもしれない。もっとも山田自身は映画会社のテレビ番組制作子会社に転籍させられている。出向ではない。放り出された。
しかし、相変わらずアニメや特撮を見るときに正座待機なのは変わりない。
クーラーは扇風機で十分だ。大丈夫。チョット暑いけれど、日中は居ないしな。
グッフッフ。自動車である。ついに買った。
ドブネズミ色のSSSである。ウルフガイの愛車でもあるこの車。ちょうど良い時代時に転生できたものだと喜んだ。もっともエンジンも足回りもノーマルである。犬神明のようにマセラティ2台分もの金を掛けるなど不可能。
この車はアフリカ中東部方南東部でも安定している少ない国の一つケニアで行われたサファリ・ラリーで総合優勝を飾った。ポルシェ911などの高性能ヨーロッパ車を押さえての総合優勝であった。
俺もいつかウルフガイ仕様にと思うがそんな金がない。
翌年、石川プロがこの車とセスナを使った空撮までして撮った映画「5000キロの挑戦」がヒットするはず。
昭和四十八年のことだった。
アフリカ 1970年代後半
一方、アフリカであるがようやく戦火は下火になり部族間の諍いも減ってきた。国連の活動で農業を中心とした開発を行い、食い扶持を心配しなくても良くなったためでもある。新イスラム主義勢力は頼みの中東イスラム圏に「それはイスラムではない」と関係を絶たれ次第にただのテロリストになっていく。そうなるとさすがにテロリストに武器輸出は出来ないとフランス・イタリア・ベルギーが手を引き始める。
新イスラム主義勢力が組織として力を失ったのは1980年になってからだった。
アフリカは平和になりつつあった。
1980年 イギリス
世界初の個人向けコンピューターがイギリス、ケンジントン・コンピューター社から発売される。シルキーと名付けられた。通称シルキー1の登場である。
英国アムラーム社製8bitCPU A8008と4kBのメインメモリを持ち、メモリは最大32kBまで拡張可能であった。しかし、メモリを最大実装すると28kBでメモリチップも大きくもう1台分の容積を必要とした。本体はディスプレイ一体型で拡張性に乏しかったので、大容量メモリは外接するしかなかった。本体内は最大16kBまで内蔵できた。
改良版のシルキー2が出た頃にはメモリチップの小型化とディスプレイ1体式からディスプレイ分離としたことでかなりの小型化と低価格が実現された。CPUもA8080となり動作速度向上やメモリ管理適正化が図られている。表示機器であるディスプレイもテレビブラウン管の高性能化でより精細な表示が可能となっていた。内蔵メモリも標準で16kBとなり最大64kBまで拡張できた。全て内蔵可能である。
シルキー2はヒットし、英米で個人向けコンピューターの標準となっていく。
日本ではシルキー1に刺激され、各社が個人向けコンピューターの販売に乗り出した。今ままでは法人や公的機関などの限られた需要しかなかったが個人向けが成功すれば事業者向けメインフレームよりも客単価は低いが数量が魅力だった。半導体工場の稼働率を高い水準で維持するには数を流すしかない。それはコストダウンにつながり、製品価格をそれほど低価格にしなければ利益は増加する。
コンピューターのCPUや作動プログラムの開発ではイギリスが世界最先端だが、構成する半導体となるとトランジスタやFETで先を行っているアメリカと日本が強みを持っていた。シルキーもイギリス企業だけでは製造できず日米企業に特注品製造を依頼したり各種半導体を買って製造していた。
日米英の3カ国で個人向けコンピューターの開発販売が勢いを増していく。国際競争の始まりだ。ドイツは1歩遅れていた。ドイツは機械関係に振りすぎて機械関係では世界最高水準を行っているが、電子関係はイマイチだった。東ロシア帝国は電子技術が遅れており完全に消費者側になろうとしている。その代わりヘリコプターでは世界最高水準だった。
ここで文字の問題が日本の足を引っ張る。英語圏であるイギリスとアメリカはエンドユーザー向けソフトウェアまで1バイト文字で済むのだが、漢字を含む日本語は1バイトで表現が出来ない。2バイト文字にするしかないのだがソフトウェア・ハードウェア共に大きな負荷が掛かる。日本語処理でコストも増え英米に較べるとコンピューターやプログラムの価格が高い一因となる。普及もはかどらない。国策として企業に様々な便宜が図られる。補助金という形になると国際的に問題が出ると思われていた。これで個人向けコンピューターの価格が英米並みになった。
重大な問題はここでソフトウェア開発に大きな差が出てしまった。英語圏での商戦は諦め国内メーカーは漢字圏を標的に開発する方向になっていく。中華民国と呉である。
逆にハードウェアの能力が不足する現況では2バイト文字は英語圏企業にとって強敵だった。2バイト文字圏では日本企業以上に苦しんでいる。
後年、ハードウェアの能力向上と共に様々な開発支援プログラムが提供されるようになると言語圏の垣根は低くなっていく。
次回更新 10月23日 05:00です。
次回も本文だといいな。
フォークギターは家にあるよん。習おうとしたら指先の傷跡に弦が当たるのが気持ち悪いので弾けません。某社試作品。白いギター。ちなみに音痴です。キーボードを叩くときもなんとなくその指は使わないません。
ウルフガイのSSSは年代的に510SSSのはず。生頼範義さんの挿絵だと610になっていたりしますが。
LZの16か18にスーパーチャージャーつけて、タイヤはピレリチンチュラート。表記無いと思いましたがホイールはクロモドラあたりかな。ブレーキや足回りにも手が入り掛けた金がマセラティ2台分。
MZが懐かしい。クリーンコンピューターという思想は良かった。