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バルカン

 佐々木が俺の代わりに転生者と当たりを付けてくれたようであるが、俺はもっと一大事に巻き込まれていた。俺ではなく日本がだ。

 日清・日露と日本を取り巻く戦役がなかった事で、油断していたという事は有ると思う。ここまで騒ぎになるとは。


 

 大正三年八月十七日 参謀本部


「厳しい暑さの中、集まって貰ったのは他でもない。ヨーロッパで戦争が始まった」


 参謀総長が言われた。

 ざわつく室内。


「では一部長が説明をする。いいね」

「畏まりました」


「では、説明する。諸兄はヨーロッパの火薬庫を知っていて当然だが、その火薬に火が付いたのはサラエボ事件で知っているはずだ。そして、いくつかの国が戦争準備を始めついに宣戦布告を行った。ここまではいいな?まだ大爆発までは行っていないが時間の問題だと考える。そこでだ、我が国の立ち位置の確認と今後の方針を確認するために集まって貰った。何か聞きたい事はあるか」


 予想通りというか、俺の知っている歴史でのボスニアだな。少し進行が遅いのが気になる。田中さんが俺たちの知る歴史は通用しないぞと言っていたがなるほど。


「想定される舞台を教えてくないか」


 二部長が言う。


「そうだったな」


 そう言って一部長が壁に掛かっている白布を取った。あざとい。

 そこにはバルカン半島の地図といくつかの印が注釈と共に付けられていた。


「これは政府から現状を説明するために渡された。制作は外務省だ。我々の仕事は先ほど行ったとおりに我が国の立ち位置の確認と今後の方針を確認するために必要な軍事方面からの意見だ」

「一部長殿。参戦するのですか」

「一課長か。まだ決まっていないが、あり得ると考えて貰いたい。が、イギリスとドイツ次第だな」

「ドイツの太平洋領土と租借地ですか」

「うむ。イギリスから参戦要請があればだ。海軍さんからは脅威になるドイツの艦艇は軽巡洋艦だけだが通商破壊をやられると厄介だという事だ」

「占領ですか」

「開戦すればな。まだ研究だけでいい」





 だが、戦場は拡がらなかった。動員体制に入ったモスクワ大公国が宣戦布告をしないと慎重な姿勢を見せたためだ。ドイツが最後通牒をモスクワ大公国に突きつけた、この最後通牒を受けモスクワ大公国は動員令を解除。

 両国ともバルカン方面へ部隊移動を始めていたがごく少数の部隊の移動に留まった。

 これは有事に備えての国境警備強化と言われても通用する程度の戦力なのでフランスとイギリスも警戒を強めただけだった。

 これにはセルビア王国も勝ち目無しと弱気になり、オーストリア・ハンガリー帝国と9月5日に講和。犯人を共同捜査するとなる。


 ただ、火種は消えたわけではない。狭い地域に歴史的にいがみ合っている多民族多宗教でまとまりが取れるわけもない。

 いつか発火する。





「対ドイツ戦の研究を中止する」


 そう聞いたのは九月二十日。結局、日本は日清戦争も日露戦争も第1次世界大戦も経験しないままに歴史を重ねていくことになったが、これは拙いと思う。

 そもそもモスクワ大公国とドイツの動員と解除は出来レースではないかと見ている者が多かった。周囲の反応を見るための。サラエボ事件はいいように利用されたわけだ。

 個人的には第2次世界大戦も無いといいなと思う。

 


 そして運命の大正十二年九月一日がやってきた。一応転生者の事を知っている関係者にはこういう事態になると教えているが、なかなか実感がわかないのだろう。田中さんが大政奉還と白虎隊と五稜郭と西南戦争を当てたが、日清戦争も日露戦争も第1次世界大戦も滑った。サラエボ事件だけは当たったが。

 それでも防火水槽の多数設置や道路の拡幅と公園整備などはできるだけやった。無責任な流言飛語は防げないだろうが、朝鮮が井戸に毒をというのは無いだろう。朝鮮人が日本国内にほぼいないのだから。

 当日、軍の移動訓練という事で関東圏の陸軍部隊がかなり移動している。これが精一杯だ。地震を言い当てて予言者などになる気は無い。全てを知っているわけではないのだ。


 各地の被害は俺が知るよりも少なかった。少なかっただけで悲惨なのは変わらない。火災もかなり発生したが道路の拡幅で範囲が限定され避難所としての公園も役に立った。防火水槽は多少増やしてても火災が多すぎ消火活動という意味では威力が無かった。逃げる際に水を被るくらいの役には立ったので、無いよりはましだった。

 何より軍による統制で避難が上手く進んだという事実があった。

 俺の知る歴史では10万人くらいの死者が発生したはずだが、5万人程度まで減っている。

 後日、参謀本部や自治体や大学などで研究したが軍の統制が無ければ8万人から10万人程度の死者が出ていたはずだとの研究結果が出た。

 知っている地震を教えてくれと言われるが、知っているのは1944年12月の東南海沖地震くらいで日時もはっきりしない。伊勢湾台風も1958年くらいかなと言うところだ。雲仙と昭和新山も有るがいつかは知らない。記憶は定かでは無いし俺は予言者ではない。


次回更新 7月27日 05:00です。

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