1950 大陸
石家莊防衛戦に軍事顧問団も戦闘に参加した。
結果は負けに近かった。
石家莊を取られなかったが、陸戦では損害が甚大だった。敵の方が少ないかもしれなかった。
それなのに守り切れたのは、ひとえに航空兵力の差である。何しろ相手には航空機が無い。勝って当然だろう。それでも陸戦でボロ負けだった。
B-25の投下する小型爆弾多数とAD-1スカイレーダーの5インチロケット弾が効いた。P-63の機銃掃射も効いている。敵は航空攻撃での損害が多く辟易して後退したらしい。
損害の多かった陸戦では、装甲車両が派手にやられた。M23軽戦車とM3中戦車とM4中戦車が。
対戦車砲にやられてはいない。敵はそんな大口径高初速砲を持っていなかった。
至近距離から発射されたロケット兵器と思われる新兵器にやられたのだった。そのため歩兵を援護に来たはずの戦車が歩兵に援護されるという事態に陥っていた。
一方、中華民国軍では軍事顧問団の実力に疑問が付いていた。航空攻撃以外は実質負け戦だったためである。また中華民国政府首脳部の多くは、軍事顧問団を教導部隊では無く中華思想に基づいて傭兵並みに捉えていたのだった。
軍事顧問団は中華民国軍を教育しアメリカ製兵器で戦えるようにするのが主目的だった。戦闘に参加したのはあくまでも教育している部隊を助けるためだった。
この基本的な考えの違いは中華民国軍では修正されることもなかった。
そして、1950年7月。再び石家莊防衛戦が発生した。
規模が倍程度になり師団規模を越えた軍事顧問団。増えたのは航空機と装甲車両が主だった。歩兵は中華民国軍が有るという考えだった。
教育された中華民国軍は空軍を含め4個師団にものぼり、アメリカ製兵器を装備してアメリカ製兵器の取り扱いに慣れている。
前回の戦訓を基に新たに立てられた戦術思想で教育されていた。中華民国軍にすれば虎の子である。
敵は10個師団規模であり、従来の石家莊防衛戦力と足せば楽に撃退できるはずだった。
しかし、その虎の子の中から歩兵1個師団と航空部隊の半分を北京防衛に持って行ってしまった。
半分になった虎の子では猫の子よりもマシなくらいになってしまった。
中華民国が実質支配しているのは揚子江周辺から北であり、南部はシンセン派と重慶派が実効支配していた。そして、時期を合わせるかのように南部で動きがあったというのだ。
それを恐怖して、最精鋭部隊の半分近くを持って行ってしまった。
展開は以前と同じだったが、最初から航空攻撃主体に変更した中華民国軍が圧倒するかと思われた。
敵戦闘機が現れるまでは。
Pー63とBー25にADー1スカイレーダーでは戦闘機に対抗できなかった。ADー1スカイレーダーが超低空で艦載機としての機動力を活かして対抗できたくらいだった。
識別表に載っていない新型機。シルエットはなんとなくMeー109に見える。
それでもなんとか撃退は出来た。戦闘機の発進場所を爆撃で潰し、航空戦力が優位になったためであった。
同時期 某所
「どうかな。アレは」
「戦果は挙がったようです。相手が戦闘機とも言えない機体と爆撃機です。当然でしょう」
「モスクワ大公国に戦争中にもかかわらず兵器を売ってくれたからな。このくらいの嫌がらせはさせて貰う。パンツァーファウストで繋ぎが出来たのが大きいな」
「嫌がらせで済むでしょうか」
「済まないだろうね」
「どうしましょう」
「軍事顧問団の派遣はしない。兵器のみを売り渡す。もっと大量に」
「取扱説明要員もですね」
「取り扱いできるようになるまで面倒見るのは当然だろう」
ドイツ帝国マイヤー首相がOKW総長メッテルニヒ元帥と会談をしていた。
ヒトラーはモスクワ大公国戦の後で引退し、選挙で選ばれた後継者がマイヤーである。同時期のOKW総長であるブラウヒッチュ元帥は退役できたが後を継いでOKW総長となったマンシュタイン元帥は退役出来ず陸軍士官学校の校長をやっている。
中華内戦で確認された戦闘機はMeー109海軍仕様Tー5を元にしたMeー216だった。
撃墜された戦闘機を入手した中華民国軍とアメリカ軍事顧問団の調査で判明した。機体は出来る限り回収されアメリカ本国に送られた。
アメリカ合衆国はドイツに抗議するが通常の武器輸出であり、何故アメリカが文句を言うのだと不思議がられドイツが抗議を受け付けることは無かった。逆に戦時下のモスクワ大公国に対する武器輸出で文句を言われるくらいだった。
ロケット兵器パンツァーファウスト。
世界で初めて実戦使用されたのがこの時である。
ドイツで開発されたこの兵器は、対英仏戦とその後の対モスクワ大公国戦でも配備はされていた。だが、戦車が歩兵に迫るような事態が起きなかったので使用機会も無かった。
そして実戦試験の場に選んだのが中華内戦。ドイツとしてはアメリカと組んでいる陣営以外ならどこの陣営でも良かったらしいが、偶然流れた先があそこだった。おかげさまでドイツは対戦車兵器としての有効性だけでは無く、陣地や立て籠もった建造物にも有効で問題点も国内配備時と同じとコンバットプルーフされたわけである。
ドイツはこの戦闘の後、特許を取得して公開しており密造や模倣は困難な状況だ。モンロー/ノイマン効果を利用した簡単な構造で秘密特許としても直ぐに似たような物が作られるだろうから、公開してライセンス料を稼ごうということだった。使う場所が使う場所だけに直ぐにバレる。払わねばドイツが黙っていないだろう。
Me-216 ()カッコ内オプション
全長 10メートル
全幅 11メートル
自重 2.8トン
全備重量 4.3トン(各種オプション込み最大値)
エンジン ユモ392
離昇出力 1650馬力
1速公称出力 1580馬力/1800メートル
2速公称出力 1340馬力/5800メートル
最高速度 650km/h
実用上昇限度 10800メートル
航続距離 1100キロ+(600キロ 増漕・オプション)
武装 MG151 15ミリ機関砲2丁(オプションで4丁)
(MG151 20ミリ機関砲2丁および4丁はオプション)
MG17 7.92ミリ機関銃2丁
(爆装オプション) 両翼下+胴体下
胴体下 最大500キロ爆弾まで1個
両翼下 100キロまでの小型爆弾を片側1個から2個
通信機 無線電話機1基+(無線方向探知機1基・オプション)
搭乗員1名
メッサーシュミット社の海外向け低価格戦闘機である。Me-109の拡大改良版であるが簡易な整備性と不整地での運用を主眼としている。Me-109に比べて空力的に洗練され主脚配置など実用性も高く、ドイツ空軍で正規採用の声のあったほどである。しかし時代はジェットに向かっていたため採用はされなかった。
落下増漕など各種オプションがあるが、中華内戦向けには落下増漕と20ミリ機関砲に無線方向探知機のオプションは選択されていない。爆弾装備のオプションは選択されている。
エンジンは高価なDBシリーズから比較的安価なユモ392になっている。整備性と経済性が重視され特徴的な倒立配置は止め通常の液冷V型12気筒で機械式一段二速過給器になっている。過給器の配置は横向きを止めクランクシャフトと同軸になっている。39リットルまで排気量を上げたため大型化している。機械式燃料噴射ポンプは機密であるためキャブレターになっている。高圧冷却システムも若干低圧になり冷却系への負担を減らしている。
エンジンもオプションがありユモ394が選択できた。馬力が300馬力ほど向上する。当然値段も向上する。
なんとなくアリソンV-1710に似ていると言ってはいけない。鹵獲したP-40に載っていたアリソンV-1710は参考にしただけだ。
次回更新 10月09日 05:00です。
ですが、10月05日19時時点で一文字も進んでいません。10月09日に本文更新不能の場合、設定として書いた装備品に諸元などを少し。書いただけで出るようなストリーにならなかったんです。
アメリカ陸軍航空隊の主力爆撃機はBー25です。Bー17とBー24は高価に過ぎて予算上の問題もあり少量生産に留まっています。量産効果が無いのでさらに高価。そんな状態なのでBー29やBー32は構想段階。
フォッケウルフ社は旅客機主体になっている模様。タンクも当然。