1949 大陸
なんで今頃新装備で出てくるのという声には。
日清日露にWW1もWW2も無い世界線なので、科学力の発達は少し遅いです。
兵器の場合、3年から5年遅れ。戦争が無いのでもっと遅いと思いますがこの程度で。
軍事予算も多くの国で平時体制のため少なく配備も遅れがち。
と最初にお断りを。
日本は大陸に直接介入しないことを決めている。従来路線の継承だ。
では、共産主義と思わしき勢力をどこに潰して貰うのか。
アメリカ合衆国、君に決めた。
中国国民党幹部の宋麗紹とアメリカ合衆国大統領との距離が近いとわかったからだ。若い頃にはけっこうな関係だったという調査結果も出てきた。日本が掴んでいる。他の国や勢力も掴んでいるだろう。
近年、中国国民党にアメリカ製兵器が多数渡っているのも、この関係からということだった。
1949年3月 上海
「全く、周り全部チンクだぜ」
「ぼやくな。フィールズ二曹。ここには仕事で来ている。周囲を敵にするな」
「アイ、サー」
ヘンリー中尉は何故こんな所に突っ込まれたのだろうと思いながら、ぶつくさ言う部下を指揮して揚陸された物資の確認をしていた。
俺は兵站担当でも無いのになんでだ。
ヘンリー中尉が指揮を執っていたのは、その場で彼が上位士官だったからに過ぎない。故障した船には彼より上に大尉がひとりいるのだが、遅れたので原隊復帰を急がされていて忙しい。わかっているのだが愚痴らずにいられないヘンリー中尉だった。
ヘンリー中尉達の乗る輸送船が機関不調から船団に対して10日ほど遅れてしまったのは、彼のせいではないし10日前に上陸した本隊が彼らを置いて通常の予定にしたがって徐州目指しているのも彼の責任ではない。
西海岸を出てハワイとグアムで休養を取りあと2日で上海という九州南方で機関不調になり航行不能。乗っているのが兵隊ということで、わざわざ佐世保軍港まで曳船で引っ張られたのだった。佐世保海軍工廠で応急修理をして上海に着いたのが昨日だ。
何故佐世保かは、長崎の修理用設備が空いていなかったからだと聞いた。他に考えられるのは兵隊に上陸を許して悪さをされたくなかったのだろう。あの戦艦の主砲を見れば悪さする気も無くなると日本が考えたのだと思う。それか政府の間で何か取引でもあったのかだろうか。
半舷上陸を許されて上陸したが軍の町だな。飲み屋が一杯あったのがうれしい。
水みたいな透明な酒は軽めのからきついのまであって面白かったな。
彼らはアメリカ合衆国が派遣した軍事顧問団だった。名目上は中華民国軍にアメリカ製兵器の取り扱いや戦技を教育する集団だ。時には教育先の中華民国軍に最前線で実戦を経験させることも仕事の内だった。軍事顧問団が中華民国軍生徒のお守りに就くのも仕事である。
もう一つの顔は新兵器のテストだ。どこの国も中華内戦で小火器や小口径砲の実戦テストをしている。大抵は武器商人と称する精々一個小隊規模の軍人達だった。
大規模な部隊を派遣するのはアメリカが初めてだ。
アメリカは強化された旅団相当の部隊を派遣した。指揮官は中将だった。多分に外交も含んでおり、平時の最上位者である中将が派遣された。
内訳は歩兵一個連隊。戦車部隊が二個大隊。航空部隊が二個大隊。砲兵部隊が二個大隊。通信と衛生と兵站部隊が合計二個大隊。
この部隊は教育を担当する教育連隊と、新兵器の試験も兼ねた教導連隊の二つの部隊に分けられ活動することになっていた。ヘンリー中尉達の部隊は砲兵大隊だった。
持ち込まれた新兵器や装備は
M1ガーランド自動小銃
M1ヘルメット
M8柄付き大型手榴弾
M3 37ミリ砲
M23軽戦車
M4中戦車
M3サブマシンガン
ジープ
G.Iポケットストーブ
Pー63キングコブラ
ADー1スカイレーダー
が主な新装備新兵器だった。
勿論実戦では何があるかわからないため、従来の信頼性溢れる兵器装備も持ち込んでいる。
新装備新兵器といっても既に配備開始後数年の物も有る。実戦の過酷な状況で使用して問題が無いか確認するためだ。
ジープとポケットストーブは大変評判がいい。
M1ガーランド自動小銃は、アメリカ国内では運用上問題ないが中華内戦でのダメ出しを狙っている。機構上の問題が実戦で不利にならないかどうか。アメリカ国内での更新率は40%になったくらい。
M8柄付き大型手榴弾はドイツでの使用実績から威力十分として採用された。しかし、威力はパイナップルの5割増しだがデカくて重いので評判は良くない。遠投は効く。
Pー63キングコブラは大型機関砲による対地攻撃能力を買って。実際は在庫処分である。敵対勢力に航空戦力が確認されていないので空戦性能は問題にされなかった。
M23軽戦車はトラック用ディーゼルエンジンを搭載。主砲は57ミリ砲。非力なエンジンで装甲が薄く歩兵相手以外は厳しいと思われている。こいつも在庫処分。一応8分の5インチ厚追加装甲を前面と側面に施したが速度が20マイル/h程度しか出なくなった。
真の最新兵器はADー1スカイレーダーとM4中戦車だけだ。
ADー1スカイレーダー4機持ってきた。
M4中戦車は8両持ってきている。
M3サブマシンガンはトンプソン・サブマシンガンが高価で配備数が伸ばせないために採用された。M3サブマシンガン通称グリースガンは歩兵の曹クラスと戦車乗員と後方要員に多数持たせている。
他の装備は
Bー25が8機装備されている。
M3中戦車が戦車部隊の主力。歩兵戦闘が多そうなので一部は37ミリ砲をM2機関銃に換装している。
無線機は充実している。
そんな軍事顧問団が実戦を経験したのは、1949年も終わろうとしていた頃だった。
「クリスマスまでに仕事が終わらなかったのさ」とうそぶいていたという。
場所は河北省石家莊。ここを取られると敵対勢力の根拠地である延安の安全性が高まる。落とされてはいけない地点だ。
石家莊西方で始まった交戦の相手は小さな部隊だった。中華民国軍も簡単に相手できるはずだった。ただそれが増えるにつれ対応が困難になっていく。人民の海とまではいかないが軍装ではない便衣兵も多く、気が付くと接近され中華民国軍兵士が撃ち倒されていく。打ち返すと本物の一般人だったりして、混乱が増していった。
さらに集まる敵に対して中華民国軍は後退を余儀なくされた。
そこに応援として投入されたのが軍事顧問団が教育中の部隊と軍事顧問団である。
初めに偵察機としてBー25が投入された。有効な対空兵器が無いようで撃ってこないのをいいことに1000メートル程度の高度で偵察を行った。
そこで判明したのが、総数は4個師団ほどと推定されたが大部隊として纏まって行動していないことだった。中隊規模が多く大隊を当てて各個撃破すれば良いという声に賛同の声が増えていった。
そこで中華民国軍司令部とも相談の上で、教育中の部隊二個連隊を投入することになった。勿論アメリカ製兵器を装備しアメリカ陸軍の戦術思想で教育された中華民国軍でも最精鋭部隊になっている。
はずだった。
アメリカ陸軍の経験していた陸戦は南北戦争とその後の中南米干渉などで、南北戦争後は数万人規模の大部隊を相手にしたことはなかった。しかも相手は拳銃や単発式ライフルが主要装備で砲も小口径が数門という程度の弱武装だった。そして戦術は同等の交戦相手がいなければ進歩しにくい。いくら他の国の戦争を参考にしても実践が伴わなければ、穴だらけだろう。
アメリカ陸軍の戦術思想は現代戦を戦うのには遅れていたのである。兵器は最新鋭だが最新鋭の兵器を扱うための戦術思想が兵器に合わせて進歩しているといっても古かった。
また、軍事顧問団参謀達が中華民国軍から提供された情報を真面目に取り扱わなかった。
実は戦場で経験を積んでいる中華民国軍の方が部隊運用思想で進んでいたのだが、旧式兵器が多いこともあり馬鹿にしていたのである。
そして敵戦線の抵抗が弱まったとして突撃していく兵士を待っていたのは7.92ミリモーゼル弾の十字砲火だった。
MG34やZB26が連射され、二個大隊相当が損耗してしまった。
そうなると部隊は潰走を始めてしまった。そこで分散していた敵部隊が潰走している部隊をさらに痛めつける。
集合地点まで帰還できたのは半分にも満たなかった。完敗であった。
結果を分析した軍事顧問団参謀達は周辺偵察不十分として片付けた。つまり部隊の練度不足であると。
そして自分たちが実力を見せてやるとばかりに軍事顧問団が戦闘に参加した。
次回更新 10月06日 05:00です。
中華民国軍も敵勢力も歩兵用弾薬は7.92ミリモーゼル弾に統一されています。小銃はKar98Kの中華製コピー。実際に中国国内で作られていました。
そこに供与兵器としてMIガーランドの代替で予備兵器となったM1903が万丁単位で大量に持ち込まれ、30-06ウインチェスター弾使用ということで補給が混乱したりします。
同じ弾薬を使用する機関銃としてM1917が有ったが、既に中華民国で7.92ミリモーゼル弾仕様をライセンス生産をしており弾薬の違いもあり供与は断れました。