クレムリン
1946年02月26日 クレムリン
「ミコヴィチ枢機卿はどこぞ」
「ここに、大公様」
「そこに居ったか。卿に頼みたいのだ。アメリカに兵器をもっと渡せと告げてくれ」
「もっとでございますか」
「そうだ。あの兵器ならドイツ恐るるに足りず」
(勘弁してくれないかな。こいつは自分が一番偉いとでも思っているのか)
「されども大公様。アメリカは金と引き換えと申しております」
「金なら10トンほどやったではないか。まだ足りないと」
「アルハンゲリスクまでの輸送費が大変高くなっておりますれば」
「バルト海は使えんのか」
「使えません」
「そうなのか。ふむ。どうするか」
「ミコヴィチ枢機卿。金10トンをアメリカに渡す。頼むぞ」
「ははっ。この身に代えましても」
(10トンか。また手数料として500キロくらい抜いておこう。これで1トンか。そろそろおさらばだな)
ミコヴィチ枢機卿は、モスクワから南下。トビリシ経由でイスタンブールへ。そこから船でニューヨークに向かう。
3月10日。ニューヨークに着いたミコヴィチ枢機卿は数名の経済人を含む要人と会合。金と引き換えにアメリカ製軍需物資の購入と輸送を頼んだ。ある程度在庫は積み増しされており、6月初めには出航出来るとなっていた。
もういいか。枢機卿も辞めだ。モスクワ大公国はもうダメだろうし、ミコヴィチの名も捨てる。金1トンがあれば数名の側近も含めて死ぬまでドルに困らないだろう。側近はそのうち減るだろうしな。
ミコヴィチ枢機卿が手配したアメリカ製軍需物資がアルハンゲリスクに届いたのは、モスクワで激戦が始まる前の6月末だった。この軍需物資によって、9月までモスクワが落ちなかった。
ミコヴィチと側近は名を変えアメリカ合衆国市民権を得て生きていくことになった。
ミコヴィチと側近は帰りの大西洋で船ごと沈む手配になっている。乗船名簿に載っていれば船と共に沈んだとされ死亡となる。
「大公様。お知らせがございます」
「なんじゃ」
「ミコヴィチ枢機卿と供回りの者が遭難したそうです」
「なんじゃと!」
「はい。ニューヨークから乗った船が大西洋で沈没したと」
「生死はわからんのか」
「絶望ということです」
「・そうか」
「カスペルスキー将軍を」
「畏まりました」
「お呼びでしょうか。大公様」
「おお良く来た。そなたも聞いたか。ミコヴィチ枢機卿が遭難したそうだ」
「遭難ですか。初めて知りました。救助されたのでしょうか」
「絶望だそうな」
「残念です」(あの怪しい奴が消えたか。ここもかなりましになるだろう)
「そこで聞きたいのだが、ドイツを撃退できるのか」
「届いたアメリカ製兵器がかなりのものです。2ヶ月は暴れることが出来ましょう」
「2ヶ月とな」
「量はもっと有りますが、そのアメリカ製最新兵器を動かせる人間が少ないのです。動かすことが出来る兵士を消耗すれば、次はありません」
「なんだと。それは真か」
「消耗しすぎました。教育はしておりますが追いつきません」
「いかんではないか。手は有るのか」
「このままですと有りません。高度な兵士が減っているのは報告がされているはずですが」
「受けておらん」
「なんですと?」
「受けておらんのだ!」
「誰が報告する事になっておられたのでしょう」
「ミコヴィチ枢機卿じゃ」
「「・・・・・・」」
ミコヴィチ枢機卿の執務室からは大量の未決済書類が出てきた。勿論、軍の要望書なども有った。ミコヴィチ枢機卿が渡米する前にとっくに処理されているべきものも有り、意図的に遅らされていると思われるものも多数有った。ミコヴィチ枢機卿や取り巻きどものサボタージュが疑われた。
事務関係の責任追及と責任逃れを宮中で繰り返している内に戦況は悪化した。
モスクワ大公国軍はアメリカ製兵器でドイツ帝国に対抗したものの、国家の地力差はいかんともしがたくクレムリンにドイツ帝国陸軍が雪崩れ込んだ。
1946年9月19日のことである。
「探せ!どこに隠れても見つけろ」
居なかった。最高責任者であるモスクワ大公セルゲイ・アレクサンドロヴィチがクレムリンに居ない。
各部屋は勿論、倉庫、天井裏。床下、都市下水道まで探したが発見できていない。現在、クレムリン以外の貴族屋敷や富豪住宅を捜索中である。
「ケスラー大佐、どうやら逃げたようです」
「なんだと、シュタインメッツ少佐」
「複数の住民が車列を目撃しております」
「どちらへだ」
「ウクライナ軍が南からクルクス-ヴォロネジ-サラトフを押さえボルガ川の監視もしています。逃げるとすれば東しかありませんし、東へ向かったようです」
「空軍に要請を出す。不審な車列を見つけたら行動不能にして欲しいとな」
「それは止められた方が良いかと」
「何故だ。首脳陣の行方を捜すのはモスクワ攻略部隊司令官カウフマン中将直々の命令だぞ」
「クレムリンの宝物庫が開けられ金塊や美術品などが減っていると報告があります。財宝などを持ち出しているようです」
「財宝だと?まさか貴重な物まで」
「あるでしょうな」
「行動不能にすると拙いな」
「傷つくことも多かろうと考えます」
「吹き飛んだ金塊を回収するのは嫌だな」
「勿論です」
「・・・司令部に行きカウフマン中将に判断していただく」
「お供します」
大公は逃げても東ロシア帝国があるし南へ行けばイスラム教圏で逃げ場はない。財宝など持っていても追い剥ぎに遭うだけだろう。
どこへ行こうとしたのか。
大公一行はエカテリンブルクで1週間後に捕縛される。ドイツ軍は空挺部隊まで使って慎重に行動した。
その大公捜索騒動が起きている頃、国際情勢は不穏な動きを見せていた。
中立国を標榜するアメリカ合衆国が、交戦国に武器輸出をしていたのだ。
ドイツ帝国はアメリカ合衆国を国際法違反だとして非難する。初期の分は戦争前なので問題ないが、2度目は交戦中にアメリカ合衆国という中立国の国旗を掲げた船舶で堂々と交戦国に武器を引き渡している。
やがてイギリスもアメリカ合衆国を批判するようになり、大西洋にきな臭さが漂ってきた。
次回更新 9月18日 05:00です。
沈む船からは逃げ出すのだよ。ミコヴィチ。
モスクワ大公は2代目になっています。