何故だろう
始まりは明治中期。
「はぁ?もう一度言え。自分の聞き間違いかもしれぬ」
「はい。最新の情報です。ロシア宮中で反乱が発生しました。続けてよろしいですか」
「続けよ」
「では。・・・・・・・・・・・」
時は明治二十四年月五月七日、西暦1891年5月7日である。
逓信省管船局の局長補佐室。
「では何か?皇太子であるニコライ二世殿下が来日された隙を狙っての反乱なのか」
「はい。反乱はプロシア・・もとい帝政ドイツの影があると報告があります」
「真偽は確認したのか」
「帝政ドイツが新国家の承認を先駆けて行いました。まず間違いないかと」
「いかんな。あんなところに大帝国が出来てしまう。それに何故私のところが第一報なのだ。外務省からであろうに」
「外務省からの第一報です。逓信大臣も各局長も外出しておられ、現在逓信省に居りません」
「もしかして現在の省内最高責任者は私なのか」
「どうしましょうか」
「自分の職掌から大きく外れる。この案件は重要な案件だ。それにニコライ二世殿下御一家の安全を確保しなければいけない。外務省が連絡を忘れているといけない。大至急軍を含む各部局に連絡を。私の名前を出していい。わかっていると思ういがニコライ二世殿下御一家の安全確保を第一に」
「承りました」
ロシア革命ではないよな。まだ共産党など生えてもいない。ラスプーチンもいないはずだ。では誰だ。ただの権力闘争なのか。だがドイツが後ろで糸引いているとなると厄介すぎる。ヨーロッパの縁戚関係は絡まっているからな。フランスがどう出るか。こればっかりは俺には理解も辿る事も出来ん。こうなると世界史が変わる。俺の、歴史を基本線だけでも知っているという優位が無くなるのか。
俺の名は田中一郎。どう見ても怪しい名前です。同じ名前の人ゴメンナサイ。
場所は逓信省管船局局長補佐室。何でこんなところにいるのだろう。こんな重責(局長補佐)を背負って。
俺は転生者だ。死因が脳内出血であろう事はその想像を絶する頭痛であっという間に気を失った事から想像できた。
気が付いたら、幕末の長州に下級武士の倅として生きていた。尊皇攘夷は拙いと思いながら他に選択肢もなく、それでも松下村塾の連中とは距離を置いていた。特に高杉晋作。しかし流された。気が付いたら前の方に錦の御旗が見えていた。倒幕軍に参加していたよ。
あれよあれよと功績を積み上げ、気が付いたらここにいる。明治政府の役人になった時点で船舶か航空機をやるつもりでいたので頑張ったんだよ。前世苦手だった英語もなんとか身につけ、下級武士の倅からここまで来た。
俺が自慢する最大の功績は、榎本武揚に接触し「教育勅語」をできるだけ簡易に且つわかりやすくする事に協力した事。本人は原案の難解さと儒教の影響にやる気をなくしていたようだが、俺が「このままでは教育を受ける子供たちが理解しにくい」と、わかりやすさを主上に訴えてはどうかと嗾し成功した事だ。さらに仮名遣いをカタカナではなく平仮名にしてやった。
ただ平仮名にしたのは頭の硬い権威主義の連中から、尊皇精神と儒教色を薄めたのでそっち方面からも反発を買ったようだ。歴史を知る田中一郎としては儒教色を是が非でも排除したかったが、薄めるのが精一杯だった。俺氏田中一郎は原案の教育勅語がその後、日本人の精神的硬直を招いた主原因だと思っている。平仮名にしたのは単純に読みやすいからだ。こちらの方が優しく美しいですよと言いくるめたのは俺の勝手だ。
とにかくわかりやすさを全面に押し出したのが良かったようだ。
そして榎本武揚に気に入られ、逓信省管船局の局長補佐という史実には無かっただろう地位にある。
翌五月八日
「田中君。君、少しやり過ぎではないのか」
「何のことだ」
「ニコライ二世殿下御一家の安全を図る事を指示したそうだな」
「私が一番早かったと?」
「外務省よりも早いと外務省が文句を言っていた」
「外務省が間抜けなだけだろう。計画的行動なら御一家の安全も脅かされる可能性は有る」
「軍も君の警告を聞いたが、警察まで君の指示に従ったので内務省もお冠だ」
「内務省も想像力が足りんな」
「気をつけなさいよ。恨まれているぞ」
こう言ってきたのは、枢密院顧問官で俺と共に長州から函館まで戦った奴だ。小早川隆純という。あの有名な一族とはほぼ関係ない別の一族だともいう。お互い五十を超えそろそろ引退かとも言い合っている。ついでに前世がある事も歴史を大まかに知っている事も知られている。それを利用してお互いにいろいろやったのだが。
自称最大の功績を教育勅語(改)だと思っているが、他の連中は倒幕行動と薩摩でいろいろやらかしたのが最大の功績だと思っているらしい。歴史を大まかに知っているだけでかなり有利なんですよ。
これを美談とか悲劇にしては後世への影響が大きいと思った事柄にはかなり強く突っ込んだのは事実です。
会津で白虎隊を説得して大部分を生き残らさせたとか、西郷さんを説得して西南戦争の拡大を防いだとか。田原坂の後だったな、あれは。厳しい交渉だった。政府使者の白旗掲げていてもビビってちびりそうだった。俺の目の前で西郷さんが「・・ごわす」と言うたびにビクッとなっていた。後でふんどしが湿っていたのは汗だと思いたい。あの大迫力を思い出すたびに凄い人と対面したものだと思う。
函館には参加していなかったので史実通りに近い結末になった。
白虎隊説得で説得の田中という通り名が付いてしまい、西郷さんの説得で決定的になってしまった超黒歴史である。
おかげで俺の言う事は大分信用されている。
明治二十四年五月二十五日 内閣
「ロマノフ王朝の正当性を持つのはニコライ二世殿下でいいのか」
「ウラジーミル・アレクサンドロヴィチが正当性を主張しているが、奥方がフリードリヒ・フランツ二世の娘だからな。帝政ドイツが陰にいると言われても仕方がないだろう」
「ビスマルクは何をしているのだ」
「失脚して影響力を落としている。ヴィルヘルム二世が主犯かもしれないな」
「我が国はどうすべきか」
電信という限られた通信手段でヨーロッパから送られてくる情報によると、ウラジーミル・アレクサンドロヴィチがモスクワ大公として大公位に就きロシア帝国の後継として【 モスクワ大公国 】の名乗りを上げた。そして帝政ドイツがいち早く国家として承認した。
「モスクワ大公を名乗るには、血統が途切れている」
「言うな。我が国も他国も怪しい家系は一杯有る」
「おい!最新の電報だ。なんとフランスがモスクワ大公国を承認したぞ」
「「「なんだと!!」」」
「これではヨーロッパが飲み込まれますな」
「フランスは日和ったか」
「だが奴らにもロマノフ王朝と縁続きの一家がいる」
「共和制だろう。関係しないのでは」
「ヴィルヘルム二世がフランスに接近しているから、何らかの取引はあったとみるべきだ」
明治二十四年七月三日 内閣
「我が国はモスクワ大公国を承認しない」
「よろしいのですか」
「我が国は友好国であるロシア帝国のニコライ二世殿下御一家を保護している。ロシア帝国の正当性を持たれているお方だ」
「駒と言うには大きすぎます」
「いささかどころか大きすぎるのである。扱いは難しいのである」
「だが殿下は日本滞在を望まれている。他国だとイギリスしか頼れないらしい」
「今イギリスへ渡ると」
「火種だな。特大の」
「アメリカは政治的に無理だろう。民主主義を掲げている限りは帝国の政治にどこまで踏み込めるかも未知数だ」
「イギリスがフランスとドイツを合わせて相手取れるなら、イギリスに渡っていただくか」
「無理だろう。イギリスといえどそこまでの力は無いはずだ」
「主戦場が陸ではな」
「そう。数に対抗できない」
「現状維持か」
「それしか選択肢がありませんな」
日本はニコライ二世をロシア帝国の正当後継者として承認した。もちろんモスクワ大公国を承認しない。
ニコライ二世は幸いな事にそれほど嫌われておらず、モスクワ大公国を嫌った勢力と供にニコラエフスクを暫定首都とした東ロシア帝国を樹立。イギリスとアメリカが日本と同時に国家として承認した。
日本は朝鮮半島の事などにかまっていられず、清とは関係の悪化はあったが戦争までは至らなかった。
そして英米と協調していくのが生き残り戦略となる。
ヨーロッパと日本は特大の火種を抱える事になった。
大津事件も日清戦争も日露戦争も起こらなくなってしまいました。
シベリア鉄道も開通しないですね。
次回更新 7月25日 05:00です。