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獲りどき井戸

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 学校の菜園も、また野菜が育ってきたなあ。

 今年で僕たちの学年は卒業。野菜たちを収穫できるのも、最後の年になるねえ。

 野菜たちは、昔からいろいろなこだわりをもって、人に育てられているものが多いよね。

 目をつけられたが最後、至れり尽くせりのお世話をされて、守られ続け、いずれは美味しくいただかれる……形の残らない芸術品のごとき存在。

 人でさえ、こうして世話を焼くことに余念がないんだ。もし、人でないものであったなら、どれだけのこだわりを見せてくれるのだろうか。

 父さんから聞いた話なんだけどね。耳に入れてみないかい?



 父さんが昔、住んでいたところに、あかずの井戸があったらしい。

 家々を囲う田畑のあぜ道たち。そのはずれにたたずむ井戸は年がら年中、木のフタが閉められていてさ。桶などが取り付けられているでもなし、父さんたちは井戸が利用されている姿を見たことがなかった。

 まわりは背の低い柵で囲われていて、「危険なため、立ち入り禁止」という札が掲げられている。


 父さんは、この手の禁止事項はきっちり守るタイプだった。

 言いつけを守らないことは、怒られることに直結する。怒られることは父さんにとって、多大な精神ダメージであり、こいつを破ることに抵抗があったとか。

 それでも、くだんの井戸については目にするたび、気になることしきり。いつぞやの折におばあちゃんに話を聞いてみたのだそうだ。

 それによると、あの井戸は「しこみ」の最中だという。

 神様やそれに準ずるものへ捧げるための支度をしており、それには長い時間を要するとのこと。

 だからこそ、余計な手が入らないようにああして、あそこに置き続けているのだという話だった。

 ただ、厳重な囲いを用意することはできない。

 外気にさらすこともまた、しこみをする上で大事な過程のひとつ。

 妨害が入ることもできることなら避けたいが、それ以上にしこみが不十分になることのほうが怖い、とも。


 しかし、それも祖母たちが生まれるより前から続いているという、壮大なしこみ。

 果たして、どれだけの信ぴょう性があるかは疑わしいところ。でも、自分たちが言われ続けてきたことに従い、かたくなに井戸はそのときの状態のまま。

 そこにあり続けているのだという。

 学校に通うみんなも、かの井戸に興味を持った子たちがいたようだが、いずれも似たような注意ごとをもらったらしい。

 仮に井戸へいたずらをしたとて、そのことをおおっぴらに話せるような空気じゃなかった。実際のところ、誰かが井戸に手を下したのかどうか、判断はつかなかったらしい。



 その年、この地域ではまれな台風の直撃があった。

 父さんも、生まれてより最大の強さだったらしく、家全体が吹き飛ぶんじゃないかと心配するほどだったらしい。

 幸いにも、家そのものに被害は出なかった。けれども、問題となったのがかの井戸だったらしいんだよね。

 すでに苔のむした箇所がまばらにある井戸の石組み。そのふたへじかに接する一部が、ころりと転げていたらしいんだ。

 そこから漂う腐敗臭は、遠巻きのあぜ道を行くときにも、つい鼻をつまんでしまうような強烈さ。

 何十メートルも離れているのに、目さえもしみるその強烈さに、父さんもしこみのすさまじさを、間接的に感じ取らざるを得なかったとのことだった。


 かの井戸は、学校からも見えないことはない距離にある。

 屋上へ出て、視力のよいものが目を凝らせば、かろうじてその姿をおさめることができた。

 学校はまだ、屋上への立ち入りに関して制限が緩かった時期。父さんもよく屋上に気分転換をしに出掛ける派のひとりで、その日の放課後も何気なく屋上の柵へ寄りかかっていたらしい。

 いちおう晴れに分類させる瀬戸際で、空には雲が多かった。いずれも台風の余韻を残すような黒々とした色をとどめていたそうだ。


 その頬へ不意に、打ち付けるしずくがあった。

 それはすぐさま数を増し、父さんの身体へ、屋上全体へもろともに降り落ち始めた。

 雨だ、とつい頭へ手をやりかける父さんだったけれど、その場にとどまっていたことで不可思議な光景を目の当たりにすることになる。

 雨がね、いきなりピタリとやんだんだ。

 それだけじゃなく、頭上をはじめとして、今見える空に浮かんでいる雲たち。そのいずれもが、風に吹かれているかのように猛烈な勢いで動き始めたんだ。

 集まる先は、くだんの井戸。

 四方八方から殺到し、何秒もしないうちに井戸上空へ集まったそれらは、今度は勢いよく井戸の一点へ落ちていった。

 速さもさることながら、その色濃さもまた周囲を圧倒する。たちまち霧にまかれたかのごとく、姿を隠されてしまった井戸。その姿は数瞬後、ふっとかつての雲たちがかき消えるのとともに、跡形もなく、消えてしまったんだ。


 井戸があった場所をあらためても、そこには積んであった石や、そなえてあったフタなどはおろか、普通ならば掘ってあるだろう穴の姿さえ残っていなかった。

 やはり、あの井戸は、井戸のように見せかけたしこみであったのだろう。

 それがああして、台風のあとに臭いが漏れ、食べようとした主の食欲をそそった結果、真に熟するを待たずに食べられてしまったのだと解釈されたらしい。

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