2-2章 初任給の使い道
「うわーすごい! わたし、電車って初めて乗りましたー!」
「ほら、ウルゥ。落ち着け、電車の中だぞ。……まぁ、誰も乗ってないからいいか」
結果として、ウルゥにゲスト権限を付与することは可能だった。
駅員さんも耳と尻尾が隠れているウルゥを普通の日本人と判断したみたいで、特にトラブルもなくゲスト証を発行してもらうことができた。
ウルゥがアジア系のベビーフェイスだったこと、髪色が茶色で日本において違和感ないものだったことが幸いした。
これがクイーンとかエンジェだったら厳しかったかもしれない。あの二人はどちらかといえば白人系の顔立ちで、髪の色も奇抜なので誤魔化すのが難しかっただろう。
ちなみに、今俺がやっていることは制度的に黒寄りのグレー。というか、ほぼアウト。
連れ出したからには、絶対にウルゥが異世界人であると周囲に知られてはいけない。
うっ、考えたら急に胃が痛くなってきた……。
そんなこんなで、俺とウルゥは誰も乗っていない電車に揺られていたのだった。
「あ、あそこになんかいます!」
「あー、あれは某アニメ映画に出てくるキャラクターだな」
小規模な竹林のようなものが車窓から見えたのだが、その竹林の中に某アニメ映画のキャラクターのハリボテが置いてあった。となりの……いや言うまい。
そういえば、あの映画って所沢が舞台だったからな。いわゆる聖地ということもあり、誰かがあそこにあのハリボテを置いたのだろう。面白い趣向だな。
「アニメ……?」
「えー、アニメっていうのはな」
所沢と異世界が繋がって五年。こちらの世界の生活必需品などは異世界人の間でも馴染みが出てきたのだけれど、娯楽やエンタメというものはまだ流入していない状況がある。
こちらの世界では当たり前のものも、異世界では当たり前ではない。それを一つ一つ懇切丁寧に教えていくのが、教師である俺の仕事だ。
「ちなみに小手指先生、これからどこに向かうんですか?」
「ん? あー、競馬場かな」
「なんてところ連れてこうとしてるんですか! 女子高生ですよ、わたし!」
「競馬場は知ってるのか……」
「バカにしないでください、こっちの世界にも競馬場はあるんですからね!」
「マジか」
結局のところ、同じ人類なのは変わらないってことか。
やっぱり、ギャンブルは言語や文化の壁を越えるんだな。ギャンブルって素敵。
「とにかく! 連れ出してもらって申し訳ないですが、競馬場は却下でお願いします! もっとこうトウキョーらしいところを見たいです」
「仕方ないか……。あんまり期待はしないでくれよ?」
初任給を競馬で溶かすよりは、女子高生の観光に付き合った方が有意義か……。
「す、すごい人……!」
「ほら、立ち止まってると人にぶつかるぞ」
電車に揺られること約三○分。三大副都心の一つ、日本で三番目に乗車客数の多いターミナル駅、池袋駅にたどり着いた。
土曜日ということもあり、改札を出入りする人間の数が多い。関東育ちの俺からすれば見慣れた光景だけれど、異世界出身のウルゥからすれば驚きの光景だろうな。
「小手指先生、すごいです! これがトウキョーなんですね!」
「あー、まぁそうだな……」
別に池袋をディスるわけではないんだけど、これぞTHE東京として紹介するにはちょっと物足りないというか……いやさ、十分に栄えたエリアだと思うけどね。
だってほら、池袋って埼玉県民しかいないじゃん。池袋で石を投げれば埼玉県人にぶつかるとはよく言ったもので(言わない)、池袋は埼玉の植民地なんてネタもあるくらいだ。
本当は同じ三大副都心の新宿渋谷だったり、スカイツリーや浅草を中心とした下町、東京タワーや港区といった高層ビル街の方が、『東京』として紹介はしやすいんだけどな。
けど、今回はウルゥが異世界人であることを隠しての観光ということもあり、あまり遠くに行かない方がいいだろうと判断した。
まぁ、散々の物言いではあったが池袋にも大抵のものが揃っているからな。お上りさんのウルゥにとっては十分魅力的な街だろう。
「ほら、ついてこい。人が多いから気をつけろよ」
「はい!」
西武池袋線の改札を抜け、足早に人混みをかき分けながら、駅デジタルサイネージのアプリゲーム広告を尻目に西武東口から駅の外に出た。
「こ、これがトウキョー!」
視界に広がるのは、背の高い商業ビルが所狭しと並ぶ池袋東口の街並み。
右にも左にも人、人、人。大きな買い物袋を手に下げた男性、寄り添い合うカップル、楽しそうにはしゃぐ学生の集団。多種多様な人間が、様々な目的でこの街に集っている。
「どうだ、驚いたか?」
「こんなの見たことないですよ! あんなに大きい建造物、たくさんの車、溢れんばかりの人、どれもわたしの国では絶対にお目にかかれません!」
「なら、よかった。どこか行きたいところとかあるか?」
「もう全部見たいです! 隅から隅まで! 早く行きましょう!」
「ちょいちょい、落ち着けっ……!」
興奮を抑えきれないといった感じのウルゥをなだめながらも、こんなに喜んでくれるなら連れてきた甲斐があったな、と充足感を覚えていた。
「小手指先生、あの黄色い文字の看板が特徴的なお店はなんですかー!?」
「あれはディスカウントショップだな、通称ド○キ。都会だとそうでもないが、地方だと何故か黒金のジャージを着たヤンキーが集まる店だ」
「小手指先生、あのピカピカがいっぱいあるお店はなんですかー!?」
「あれはゲームセンターだな。たまにメガネのお兄さんが、目にも止まらぬ速さで太鼓を叩いてたりするお店だ」
「小手指先生、あのガラス張りの建物はなんですかー!?」
「あれは有名なファストファッションのお店だな。全身ユ○クロという侮蔑表現があるが、俺はそれに批判的だ。シンプルなものこそ本質的だ」
そんな感じで、俺の独断と偏見をもとにウルゥの質問に回答をしていく。
「うーん、行きたいところが多すぎて困ります……。小手指先生のおすすめスポットとかないですか!?」
「そうだねぇ、女の子が喜びそうなスポットか。……水族館とか?」
元カノと付き合いたての頃は水族館とか美術館によく行っていたので、その記憶を引っ張り出して提案をしてみた。
「水族館……?」
「あ、知らないか。えーと、泳いでる魚を鑑賞する場所みたいな?」
「えー、それって楽しいんですか?」
「うーん、正直俺もあんまり楽しいとは思わないけど……。なんかまぁ、初デートとかではわりと定番なんだよな」
「で、デート!? ち、違いますからね! 今日のは別にで、で、で、デートとかじゃなく、その、て、偵察みたいなものなんですから!」
デートという単語一つで、ウルゥが顔を赤くして大騒ぎしている。
やれやれ、生娘の扱いは難しいぜ(ハードボイルド)。
「大丈夫大丈夫。そんなの分ってるから。大体、俺とウルゥがデートする関係ってのが無理あるだろ。俺だって、子供はそういう対象に見れないし————グゲボラ!?」
言い終わる前に思いっきり腹パンされた。三○センチくらい宙に浮きました。
「その言い方はなんかムカつきます! あくまで『わたし』が! 小手指先生をそういう対象に見れないってだけなんで!」
「……イタタ、おいおい殴る必要はないだろ。そういうとこがガキだって言ってるんだ」
「また子供扱いした! あのですね、獣人っていうのは実年齢より精神・肉体年齢は上なんです! 精神・肉体年齢では小手指先生とそう変わらないですよ!」
ウルゥはその大きな胸を誇らしげに突き出す。
「うむ……確かに胸部の成長に関しては、子供とは言い難いな。ナイスおっぱ————ギュべボンベ!?」
「だ、だからって! そんなにジロジロ見るのは駄目です!」
「おまっ、また同じところを……この怪力女子め……」
さすがに同じところへ二発はダメージがデカい。かなりグロッキー状態だ。
「ちょーっと、お兄さんお姉さん? 仲が良いのはわかるんだけどさ。ここって公道だから痴話喧嘩は控えてもらっていいかなー?」
『ち、違います!』
見かねて声をかけてきたお巡りさんの勘違いを正すように、二人揃って否定をする。
いやいや、お巡りさん。これのどこが仲良く見えるんですか……。一方的に男側が凄まじい怪力女に殴られ、蹂躙されている光景でしたよ、間違いなく。
「もー、小手指先生のせいで変な勘違いされちゃったじゃないですか!」
「お前にも原因があるだろうに……」
また言い争いになってお巡りさんのお世話になっても迷惑なので、冷静に諭すような物言いで抗議をしておく。間違いなくさっきのはお互い様ってやつだ。
ってなわけで、俺とウルゥはサンシャインシティの中を歩いていた。
「け、けど、他の人から見たらカップルに見えるんですかね……わたし達?」
「まぁ、その方が都合いいかもな……。お巡りさんに俺たちの関係を説明したときに『教師と生徒です』って言ったら、怪訝そうな顔をされたからな」
「先生と生徒ってこっちの世界ではあんまり付き合ったりしないんですか?」
「いやー、意外といるみたいな話は聞いたことあるけど、なんというかモラル的な問題で基本NGだよな」
見え方的によくないって話だ。
教師は大人としての役目を与えられているわけで、それが子供である生徒と恋愛関係になるのは大人としてどうなんだという。
「こ、小手指先生個人はどう思いますか? 先生と生徒の恋愛は」
「んー、まぁ卒業した後なら別にいいんじゃないかなー」
知っての通りそこまで倫理観も強くないからな、俺は。
好きなもの同士がくっつくのは別に悪いことじゃないし、外野がとやかく言うことでもないと思っている。
「そ、そうですか。……ま、まぁ? わたし的には小手指先生は論外ですけどねっ!」
「それ言う必要あったか……?」
地味に傷つきました。
こっちが恋愛対象と思ってなくても、女の子にナシ判定されるのはつらい。
「悔しかったら、男らしくエスコートしてくださいー!」
「あー、分かったよ。じゃあ、とりあえずサンシャイン水族館行くぞ」
地味に負けず嫌いなのでその挑発に乗ってやろう。最後に「今日はとても楽しかったです。小手指先生、素敵!」って絶対に言わせてやる。
それから当日券を購入し、俺とウルゥは日本初の屋上にある水族館・サンシャイン水族館の中へと足を踏み入れた。
サンシャイン水族館は館内エリアと屋外エリアに分かれており、まずは順路通りに館内エリアの水槽を観賞してみることにする。
「う、薄暗いんですね……水族館って。へ、変なことしないでくださいよ!?」
「しないから……、ほらついて来い。あそこに水槽があるぞ」
薄暗い空間を青白く照らす大きな水槽。
その前にでは、多くの人が中にいる海の生物を物珍しそうに見つめている。そんな人の隙間を縫うようにして水槽の前に立つ。
「……すごい! キレイですね、小手指先生!」
「だな」
学生時代に水族館に来た時は、隣にいた彼女のことばかり考えていた。今思えば、水槽の中をゆっくりと見ることができていなかったんだと思う。
今も隣にいるのはとびっきりの美少女だが、あの時の俺よりは幾分か余裕というものが生まれたのかもしれないな。おかげで純粋に水族館という場所を楽しむことができる。
さっき水族館は楽しくない、なんて言ったが前言撤回。
こうして改めて足を運んでみると色々な発見がある。魚の模様、形、泳ぎ方。一つ一つに面白さがあった。
「小手指先生! あの砂から顔出してる細長いやつは!?」
「あぁ、あれはチンアナゴだな」
「チンアナゴ! あれ、めっちゃ可愛いくないですか!?」
ウルゥは身を乗り出してチンアナゴを凝視している。砂の中からニョキニョキと体を出して揺れているその姿は、確かに愛らしい。
実際にチンアナゴは水族館の中でもかなり人気な魚だったと思う。お土産コーナーにもチンアナゴ関連のグッズはかなり置いてあるイメージだ。
「すごーい、変な魚がいっぱい! 小手指先生、あっちの水槽も見てみましょ!」
「ほら、危ないから走るなー」
まるで子供だ。本人は子供扱いするなと息巻くがこれじゃーなー。
けど、そんなウルゥに連れられるように、俺も早足で後を追いかけるのだった。
「小手指先生、あれはー?」
「えーと、あれは……」
ウルゥが指差す生き物と、水槽脇にある解説文を照らし合わせる。
こうして見ると知らない生き物だらけだ。ウィーディーシードラゴンとか初めて見た。なにこの名前に負けないカッコいいフォルムの生き物は。家に持って帰りたい。
あとはトラフザメってなに、超愛らしいんだけど。サメといえば有名な映画の影響で凶暴なイメージだったから、そのギャップにやられてしまってる自分がいる。トラフザメ萌え。
なんて館内のエリアを歩いていると面白そうな水槽を発見。
ふふふ、これはウルゥを驚かすチャンスだな。
「なぁ、ウルゥ。ちょっと目瞑ってくれ」
「な、なんですか!? こ、こんなところでキ、キ、キスとかやめてくださいよ!?」
「お前のその自意識過剰なところは治した方がいいぞ……。ほらいいから」
「もぉー、なにするつもりなんですかー。まぁ、いいですけど……」
ウルゥに目を瞑ってもらってから、肩を掴んでお目当ての水槽の前まで連れて行く。
その水槽にいたのはオオグソクムシ。すごいのは名前だけではなく、見た目も凄まじい。食事中には、絶対にお目にかかりたくないような姿形をしている。
端的に言えば、海にいるでっかいダンゴムシと思ってくれ。男の俺でもその見た目にはゾワっとするところがある。これをウルゥに見せて脅かそうという魂胆だ。
「よし、ウルゥ。目を開けてくれ」
「一体なにを見せようって…………えっ!?」
「ははは、どうだビックリしただろう」
「なんですかこれ……! すっごい、美味しそう……」
「ファっ!?」
こ、これが美味しそうだと……?
「これって食用のやつとかないんですか?」
「あ、あるわけないだろ……。まぁ、一応調べてみるか」
結果、色々と出てきました。通販サイトから食レポ動画まで色々と。どうやら結構美味しいらしい。けど、皆さんが検索するときは自己責任でお願いしますよ。
「小手指先生、このあとこれを食べられるお店に……」
「おーっとウルゥ! あの水槽になんか面白そうな生き物がいるぞー!」
これ以上は言わせまい。俺はウルゥの気を逸らすように次の水槽を指差した。