1-6章 プラスマイナスゼロ
「あぁ、くそ。教師とかマジでやめてー」
相変わらず職員室に居場所がないので、屋上でタバコを吸いながらひとりごつ。
始業式から一週間ほど経過し、少しずつ異世界人との交流にも慣れてきた。
学級委員のウルゥやカイムはクラスをよくまとめてくれているし、猫又女やクイーン、エンジェやファーストともあの飲み会以来おおむね関係も良好だ。
あとはやたらと絡んでくるレインとか。
始業式から一度も学校に来ていない猛者や、他生徒と一才交流をせず、教師である俺を完全に無視している輩は数人いるが、それでもまぁ大きな問題は起きていない。
だから、こちらから積極的に声をかけることはしないでいる。俺は別に生徒と友達になるつもりはないからな。
それに、クラスメイトと交流しない高校生活があってもいいと思っている。
俺も高校生活で友達と呼べるような人間はほとんどいなかったが、それでも今は娯楽も充実しているし、人と繋がる手段なんて無数にあるからな、さして困りはしなかった。
友達は一○○人も作らなくてもイイのだ。
本当に心から話せる人間、親友みたいなものが一人でもいれば十分だと思う。
そして、それは別に学校で見つけなくてもいい。比較的、学校という場は同年代の友人を作りやすいが、あくまで選択肢の一つにすぎない。
「……っていうスタンスだったんだがなー」
なんていう放任主義にも限界がきていた。他の先生から苦情が入ってしまったのだ。
異世界人との交流より、同僚との交流の方が余程面倒だ。なんで社会人というのは、回りくどいというか迂遠な物言いしかできないんだ?
「小手指先生のやり方は尊重しますけど、いささか生徒が自由すぎるのでは? 私は別にいいんですけどね、ただ先輩としてアドバイスさせてもらいますが————————云々かんぬん」
うっせーハゲ。要はとある生徒の態度が気に食わないということらしい。
はぁー、本当に人間関係ってめんどくせー。
俺ってやっぱり協調性がないから社会で働くとか向いてないわ。もう教師やめて高等遊民になりたい。どうして俺は資産家の息子に生まれなかったんだ。
なーんて愚痴っても仕方ないので、このあとのアクションプランについて考える。
その件の生徒はユノー・ゼン・マキャヴァリアス、魔王の娘だ。
始業式からずっと無視されているので放置していたが(決して親が怖そうとかじゃないからな)、いよいよ他の教師から苦情が入ってしまったら対応せざるを得ない。
苦情の内容としては、授業中に勝手に抜け出すことが多いとか。それを注意すると「つまらない授業に時間を使いたくない」と生意気なことを言うらしい。要はガキだ。
ただまぁ、つまらない授業をする教師も教師だと思うがな。
俺も高校生の時は授業が退屈だったので、教科書のページを先取りして好き勝手に勉強していたから気持ちは分かる。
しかし、今は仮にも教師なので、注意する側に回らなくてはいけない。
「まー、帰りのSHR後に軽く注意しとくかー」
一応は注意をした、という体裁が必要だからな。
言うだけ言っとけばいいだろう。
「マキャヴァリアス、ちょっといいか?」
ということで、SHRが終わった後にマキャヴァリアスに声をかけた。
「…………」
はーい、いきなり無視ね。
なるほど、あのハゲ教師の言い分にも一理あるな。
「もしかして聞こえないのか。いい耳鼻科を紹介してやろうか?」
俺は大人だからな。まずは軽い皮肉でジャブを打ってみる(大人気ない)。
「……うざいんだけど」
「安心しろ、俺も同じことを思っている。お互い様だ。さて、とにかく時間の無駄だから本題に————————グチボッ!?」
気がついたら視界にチラチラと星が生じていた。三秒ほどフリーズして、平手打ちをされたのだと認識する。ヒリヒリと刺すような痛みも出てきた。
「いちいち鼻につくのよ」
「……すぐに暴力を振るうのは感心しないな。自身の教育レベルの低さをひけらかしているような————————グリババッ!?」
二回目の視界星。これ以上は俺の目が宇宙になっちゃうなぁ。
……あーいかんな。思考がまとまらない。今はもう完全に、頭の中が一つの感情で支配されてしまっている。
「いいかげん黙って————————ブベボッ!?」
「教師とか生徒とか、男とか女とか関係なく、人を傷つけるってことは、自分も傷つけられる覚悟をしないとな。暴力はダメだとパパに教えてもらわなかったか?」
圧倒的な怒り。気がついたらマキャヴァリアスを引っ叩いていた。
俺はね、冷静でいた方が勝ちみたいな理屈嫌いなんですよ。
人間怒る時は怒らないと、自分の大事なものを守れないと思ってるんで。矜持を捨ててまで他人に迎合する気はない。
「……ッ! うっさい! アンタも暴力振るってるじゃん!」
もう一発平手打ちを食らう。
「違う、俺のは正当防衛だ!」
すかさずこちらも平手打ちをお返しする。
「いちいち、うざいのよ! あたしに干渉しないで!」
「干渉されたくないならいい子ちゃんを演じてろよ! 誰かに構ってほしいから授業をサボったり、今もこうやって教師を殴ったりしてるんじゃないのか!?」
「マジでうざい! ほんとマジでうざい!」
それからはもう取っ組み合いの喧嘩となる。相手は魔王の娘ということだけあって、こっちも本気でやらないとマジで殺されそうな勢いがあった。
「ちょ、二人とも何してるんですか!? わ、わたし他の先生呼んでくる!」
「先生もマキャヴァリアスさんも落ち着いて! 頼む、シアン! 二人を押さえるのを手伝ってくれ!」
それからウルゥが呼びに行った教師とカイム・シアンの勇者パーティーコンビに押さえつけられる形で、俺とマキャヴァリアスの殴り合いは強制終了ということになった。
そして、そのまま俺たち二人は学園長室に連行される。
「マキャヴァリアスさんは少し私と話をしましょう。理事長は小手指先生をお願いします」
学園長はいつもの少し砕けた口調とは違う、シリアスなトーンで言葉を発する。
その言葉を受けて、マキャヴァリアスは学園長に連れ添われる形で部屋を出ていった。
『…………』
部屋に残されたのは俺と理事長・久さんの二人。気まずい沈黙が続く。
————————結論から言うと、今回の件については双方が謝罪する形で幕を閉じた。
現場を目撃していたウルゥとカイムから、理事長と学園長に事情を説明したので、先に手を出したのはマキャヴァリアスということは伝っていた。
しかし、だとしても教師が生徒に手を出したのは大問題だ。
マキャヴァリアスは頑なに拒否をしていたが、保護者である魔王にも状況を説明し、望むのであれば、今回の件を世間に公表すると理事長が譲らなかった。
結果、理事長から通信魔法(こちらの世界と異世界でのやり取り時に使うもの)で魔王に事情を説明することになる。
一通り話を聞いた魔王は「娘に代わってくれ」と言い、それから二言三言くらい二人で話をしていた。そして理事長に「意向は娘に伝えた。娘の発言が私の意見だと思ってもらって構わない」と伝えて通信を切ってしまう。
それからマキャヴァリアスは、人が変わったように「小手指先生。今回の件大変申し訳ございませんでした」と謝罪から始まり、「こちらから小手指先生を糾弾したいという意向はございません。可能であれば本件は大事にせず内内での話としていただけないでしょうか」と今までの態度はなんだというくらいの低姿勢で、理事長と学園長に懇願していた。
となれば、学園サイドとしても大事にはしたくはないので、俺の方からも手を出したことを謝罪し、今回の件は手打ちとなった。
大騒ぎにならずに事は済んだというわけだが、やってしまった事実が消えるわけでもない。俺とマキャヴァリアスはそれぞれ理事長、学園長と話をすることになったわけだ。
「小手指くん。はっきり言って、私は君を殴りたい気分だよ。でもね、絶対に手は出さない。それは私が教育者だから……君はそうじゃないのかい?」
ようやく口を開いた理事長は明らかに憤怒していた。
極めて冷静に努めているようだったが、声から怒りが滲み出ている。ここにきて、自分がそれだけのことをしてしまったんだと、ようやく自覚することができた。
「す、すみません……」
「私はね、綺麗事は言わない。暴力で解決することもあるよ、世の中には。でもそれをしないように、と歩んできたのが今の世界だ。そして、それを先導するのが我々教育者、担任を持つ君の使命だろ!」
「……はい」
「異世界の子たちはね、それこそ生きる死ぬの世界出身の子たちにとっては、暴力が当たり前なんだよ。手段として当然のように許容している。でも、だからこそ……我々が教えなきゃいけないのは、暴力以外の解決手段じゃないのかい!? 君まで同じようにしてどうする!」
「……すみません」
それ以外の言葉が出ない。
俺はどこかで自分が間違っていないと思っていた。
教師だって人間なんだからやり返したって問題ないだろ、と当然のように考えてどこかで開き直っていたんだ。
けどそれは間違っている。
俺は彼らの「先生」なんだ。家族以外で身直にいる数少ない大人なんだ。そんな俺が暴力という手段を正当化しちゃダメだろ……!
「それに、今回の件が表に出たらどうなると思う。メディアは君の事情なんて関係なく『教師が異世界人に暴力を振るった』それを大々的に伝えるよ。ただでさえ、特別行政区の中はブラックボックス化しやすいんだ。そうなれば、この学園も『そういう学校』というように世間に認知されしまうよ。君の行動一つで、この学園は無くなってしまうんだよ。だから、お願いだよ……小手指くん……! この学園を、この場所を、異世界人たちの学びの機会を、奪わないでやってくれ……!」
「————————本当にすみませんでした!」
気がついたら地面に膝をついて頭を地面に擦り付けていた。
それ以外に、今の申し訳ないという気持ちを表現する方法を知らなかったから。
「……頭を上げなさい。分ってくれたならそれでいいんだ。小手指くん。私はね、君と異世界人の距離感はいいな、と思っているんだよ。まぁ学園長のセフィレムには色々と言われたかもしれないけどね。彼らと共にお酒を飲んだり同じ目線で話をしたり、褒められたことではないんだろうけど、それができる先生がこの学園にはいなくてね。今回の件も、それをやり過ぎてしまっただけだと思ってるよ」
「そんな、自分は本当に迷惑かけてばかりで……。別にそれだって好き勝手やった結果で、何か狙いがあったとかそういうことでもなく……」
結局のところ、理事長・久さんは笑って俺を慰めてくれた。
そのせいで逆にどうしようもなく、やるせない気持ちにさせられる。
成人して、酒を飲むようになって、タバコを吸って、社会人にもなった。だけど、俺はまだ子供のように扱われている。大人になりきれていない自分が恥ずかしい。
「迷惑はかけてもいいんだよ。今の若者はみんな失敗を怖がって縮こまり過ぎている。それはパッと見はカッコイイのかもしれないけどさ。ハリボテだ。小手指くんみたいに泥臭く人間臭いくらいでいいんだよ、若者は。そうやって許してもらった分、教え子の迷惑を笑って受け流せばいいのさ。だから、私から言える事は一つ。小手指くんはそのままでいなさい。もちろん今後も暴力とか犯罪行為はNGだけどね?」
「はいっ……!」
もう言うまでもなく、涙で顔面がぐちゃぐちゃだった。本当にダサい。
二十二歳がなんでこんなみっともなく泣いてるんだよ。こんな姿は生徒たちには絶対に見せられない。
「ほら、ハンカチ」
「……久さん、今日トイレ行きました?」
「調子を取り戻したのはいいけど、相変わらずだね、君は!? ちなみにそのハンカチは未使用のやつだよ!」
これからは担任としてもっと生徒と向き合っていこう。
放任主義を言い訳にして、俺は一部の生徒から逃げていた。ちゃんと「教師」になるんだ。俺は俺のやり方で俺がなりたい教師像を目指す。
「久さん、色々すみませんでした! この失敗は仕事で取り返します!」
「期待しているよ。それとあれだ、ウルゥくんとスレイヤーくんには後で謝っておきなさい。彼ら、君をクビにしないでくれって私に何度も頭を下げてたんだから」
「あいつら……」
なんだよ、この感じ。胸の辺りに電流が走ったというか。
なんか言葉にしようとしたら、照れ臭くて何も言えなくなってしまいそうな……。
「ほらほら、たぶん二人とも外で待っていると思うから」
「はい、それでは失礼します!」
俺は少し早歩きで学園長室を後にする。
扉を開けて廊下に出ると、すぐさま「先生!」という声とともに、ウルゥとカイムが駆け寄ってきた。
「ん、どうした? 二人とも?」
二人のことを直視できないので、さも平然と何事もなかったように応じる。
「『どうした?』じゃないですよ! それで、小手指先生はクビになっちゃうんですか!?」
「とりあえずは大丈夫そうだ」
「よかったー!! もぉー本当に心配したんですからね……!」
「すまんすまん」
ウルゥは喜怒哀楽の感情を惜しみなく出していた。
こんな素直な子を心配させていたと思うとかなり心苦しい。
そして、こんなに思ってもらっていることがたまらなく嬉しい。でも、それを表に出すのは恥ずかしいので飄々とした態度を続ける。
「ほ、本当によがっだぁ!!」
「うわ、なんでカイムがそんな号泣してるんだよ!?」
カイムはウルゥ以上に感情を爆発させる。
いいのか、勇者がこんなことで泣いて。というか、出会ってからまだ一週間くらいなのに、どうしてこんなに大泣きができるんだ。
俺が思っている以上に、担任として認めてもらっていることなのか……。
だとしたらそんな教師冥利に尽きることはないよな。
「スレイヤー君、さっきまでファースト君に先生をクビにしないでくださいって、ずっと祈ってたんですからね!」
「そういえば、あいつって神様だったな……」
「神に人の願いを叶える力なんてない、とか言ってましたけど」
「あいつに喋らせると、この世界の宗教観が狂いそうだよ!」
そもそも一神教の宗教からすれば、ファーストの存在自体が邪魔だからな。日本は幸い、八百万の神という考え方があるからギリギリセーフな感じはするけど。
「とにかく! スレイヤー君はめっちゃ先生のこと心配してたんですからね!」
「うむ……そのなんだ、二人ともごめんな。心配をかけたな。あとなんだ、理事長にも、俺をクビにしないでって頭下げてくれたんだろ? うん、まぁなんか、ありがとな」
かなり照れ臭くて頬をポリポリと掻いてしまう。
「せっかく小手指先生の扱いが分かってきたのに、また担任が変わったら面倒ですからね!」
「先生となら、今年一年楽しくやれそうだなって思ったんです。だから……先生がクビにならなくて本当によかったです!」
教師になってよかった。初めてそう感じた。
当たり前のことだが、生徒がいるから俺は教師になれる。人は他者の存在があって、初めて肩書きや地位を得ることができる。人は他者との関わりの中で自己を認識できる。
何が言いたいのか。生徒にとって俺は鏡だし、俺にとっても生徒は鏡なんだ。
そういう存在が身近にいることは、大変幸せなことなんだと思う。
……なんぁもう、自分でも何が言いたいのか分からないや。とにかく、俺はこれからも教師を続けていくってことだ。
「あー、あとあれだ。お詫びを兼ねて……よかったら、このあと飯でも行くか?」
「小手指先生の奢りならいいですよ! あとお酒は禁止!」
「ぜひ、お供させてください!」
まだ問題は山積みだけど、俺は俺のやり方で異世界人と向き合っていこう。
……ちなみに、このあとウルゥがびっくりするくらいので大食いであることが判明し、会計がとんでもないことになった。
情けないことにカイムから金を借りました。
しょうがないだろ、まだ初任給も貰ってないんだから!